ニール
あなたは、「すべての出来事は、たった今に起こっている」と言います。
それならば、どうして私達は出来事を「連続的なもの(同時的ではないもの)」として経験できるのですか?
神
それは、「どのような見方を選ぶのか」という問題なのだよ。
あなたの経験は、あなたが何を見るかによって創造される。
もっと正確に言えば、『時/空間』の中をどの方向に動くかによって、経験が決まる。
ニール
どういう事ですか?
神
分かり易く説明してあげよう。
『自分が、大きく豪華な書斎に入室した』、と想像してごらん。
あなたは部屋に入り、何かに気付く。
隅にある大きな裸像かもしれないし、壁際の大型テレビかもしれない。
あなたは関心をそっちに向けて、心をそこに置く。
やがて、あなたは部屋を見回して、それほど印象的ではない小さなものにも目を向ける。
そして、本棚にある1冊の本に視線が止まる。
あなたがこの部屋に入ったのは、その本を探すためだった。
あなたは、「ああ、ようやく見つけたよ!」と思う。
あなたは部屋に入ってすぐに、その本を見つける事もできた。
探していた本はずっとそこにあり、あなたが見つけるのを待っていた。
だが、あなたはそっちを見なかったから、本に気付かなかった。
その部屋には、すべてが最初からあった。
すべてが同時に存在していた。
あなたは、何かに注目する事で「発見」をし、それから経験をする。
ニール
なるほど、分かってきましたよ。
神
どんな出来事も、突然に現れるのではない。
あなたが注目したから、あなたの目の前に現れたのだ。
量子物理学では、「あなたが見るまでは、何も存在しない。あなたが見る事で、それは存在する。」と言う。
しかし、もっと進んだ科学では、このように説明する。
「究極の現実では、あらゆる状況とあらゆる結果が、たった今ここに存在する。
あなたは注目をする事で、その可能性の中の1つだけを経験する。
可能性の1つを、あなたの心に置く。」
(『神へ帰る』から)