思い出すこと⑪
死のタイミングと状況は、常に完璧である

 神

思い出すことの11番目は、これだ。

『死のタイミングと状況は、常に完璧である』

ニール

私は、それを信じます。

でも、殺害された子供の親や、テロで愛する人を奪われた人は、「この死は完璧だ」と受け入れられますか?

 神

いいかね。人生は、常に永遠に完璧だ。

あなたが理解した方がいい事は、「神とは何者なのか」という事だ。

神との対話シリーズで言ってきた事を、もう一度ここで言おう。

『神と生命は同じものである』

「神は完璧だ」と言うのは、「生命は完璧だ」と言うのと同じだ。

生命のシステムは、完璧なバランスで存在している。

「すべては、完璧なタイミングで、完璧な方法で起きる」と、視野の広い賢者たちは説いてきた。

だが、彼らのメッセージは無視される事が多い。
その結果、見えない者が見えない者を導き続けている。

あなた方は、見える者の言葉を聞こうとしない。

聞く耳を持つ者は、聞きなさい。

『神の王国には、不完全さは存在しない』

ニール

神の王国ではそうでしょうが、この地上では違うでしょう?

 神

「この地上」は、神の王国だよ。

神の王国ではない場所など、何処にもない。

ニール

そう思えない事が多いです。

 神

それは、あなたが「本当の自分」を思い出さず、他の人達を「本当のその人」として扱っていないからだ。

もしそうしていれば、地上で天国を経験するはずだ。

すべての人、すべての出来事に神を見て、すべてを完璧だと見なさい。

完璧さは、深く見つめれば見つかる事を知りなさい。

ニール

しかし、悲劇的な死をした人については、どうなのですか?
その死も完璧なのですか?

 神

見えている事実だけで、魂の選んだ道を推測できるとは思わないことだ。

魂たちが共同で創り出す、人生の微妙な絡み合いは、あなた方には分からない。

どんな死も、その死に関わる人々の課題(アジェンダ)に役立つのだよ。

(『神へ帰る』から)


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