外の世界は、我が家(神)に帰るための道標だ

 神

空き地から、深い森に入っていくと想像してごらん。

あなたは森の奥に入っていくのは初めてで、「元の空き地に戻るのに苦労するかもしれない」と思う。
そこで、道々の木に印をつけていく。

さて、森から戻る時になって、あなたは木の印を見て「帰り道で迷わないために、印をつけた」と思い出す。

その印が、あなたの外の世界だ。
その印は、あなたを「我が家(神)」に導いてくれる。

だが、その印は目的地ではない。
目的地への道筋を示してくれるだけだ。

外の世界は、「我が家(神)」に帰るための、『道標(道しるべ)』だ。

外の世界は、そのためにある。

ニール

私自身が、木に印を付けたのですね。

でもそうなると、この対話も道標ってことですね。

 神

正にその通りだよ。

ニール

でも、外の世界のすべてが道標なら、どれが本当の道標なのですか?

 神

どの方向に進んでも、神に帰り着くのだ。

どの道を行っても構わない。

ニール

では、ある道を選ぶ意味は、どこにあるのですか?

 神

道には、「険しい道」と「険しくない道」がある。

(『神へ帰る』から抜粋)


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