「不足」という、第4の幻想

 神

この幻想は、第3の幻想(分裂の幻想)から生まれる。

分裂という幻想がなければ、不足という幻想は支えられない。
「すべてが一つ」で一体ならば、どのような不足も存在し得ないからだ。

分裂の幻想は、「充分ではない(不足している)」という考えにつながる。

あなた方は、「神と自分は離ればなれだ」と想像をし、自分を神(あらゆる生命)から切り離した。

この自分自身からの分離こそ(あなたは神だから、神から離れれば自分から離れる事になる)、「エデンの園からの追放」と呼ばれるものだ。

この「自分(=神)からの分離」によって、永遠の生命があるのに、(想像上の)死が出現する。

ありあまる豊かさがあるのに、(想像上の)不足が出現する。

『不足という幻想』に囚われると、自分があらゆる生命と競い合っているように見えてくる。

そして、あなたを支えている生命(大自然)を、コントロールしようとする。

あなた方は、永遠で限りなく豊かで、すべてと一体の存在だ。

それなのに、その事を思い出さない。

それゆえに、もっと豊かさを得ようとして、生命を抑えつけようとする。

あなた方は、「この世界には、充分な生命がないのではないか」と心配をし、その不安から『死』を想像した。

自分たちがばらばらだと想像するまでは、神(生命)が永遠ではないなどとは、思いもしなかったのにだ。

死は、不足という幻想の最高レベルの働きだ。

生命が充分でなくなると、あなた方は「生き延びるために必要な事は何か」を考え始めた。

そして、「生き延びること」が本能だと認識されて、セックスまでもを「種としての生存を確保する行為」とした。

あなた方は、『セックスは愛の表現だ』という真実を見失った。

生命は永遠だが、あなた方はそれを思い出さずに、「生命をめぐって競い合う事が多いのだから、生命は充分ではない」と考えた。

限りがあると思うから、それをめぐって競い合い、地球と自分自身を滅ぼしかけている。

あなた方は、生命は充分ではないと思うがゆえに、生命を創造する神までが充分ではないと思った。

これは、「神には限りがある」という信念にまとめられる。

「神には限りがある」と思うから、神をめぐって競い合い、時には一つの文明を絶滅させようとさえする。

あなた方の宗教は、この事実を認めない。
特に神学は傲慢で、すべての答えを知っているふりをして、疑いを許さない。

「充分ではない」という考え方(幻想)は、競争につながるだけではなく、弾圧・抑圧・沈滞を引き起こす。

「充分に存在する」と思えば、争いもいさかいも無くなる。

明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第4の幻想の欠陥を繕うために、『課題』という第5の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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