「課題」という、第5の幻想

 神

あなた方は、すべては充分ではない(不足している)と思い込んだ。
(不足という第4の幻想)

そして、「どうすれば充分に手に入れられるだろう? 誰にその資格があるのだろう?」という疑問にぶつかった。

あなた方は、「充分ではないものを手に入れるには、何かをしなければならない」と考えて、それが『課題』というものだと想像をした。

これが、『課題』という幻想である。

あなた方は、「必要な事をすれば、自分が望むようになる」と信じている。

「必要なものを充分に手に入れられないと、幸福になれず、愛されもしない。手に入れるには、課題を果たして資格を獲得しなければならない。」と信じている。

そう信じたために、あなた方は「行為」というものを、最高の位置に引き上げた。

(本当は、意識・在り方・思考の方が、人生への影響力は大きい)

課題という幻想も、「必要性」という第1の幻想に基づいている。

本当は、幻想は一つしかなく、他の幻想はすべて言い換えに過ぎない。

すべての幻想は、「必要性が存在する」という幻想の別バージョンだ。

幻想を一つ一つ調べてみれば、『それぞれの幻想は、前の幻想の派生物』だと分かる。

「課題が存在する」という信念の採用は、人類にとって大きな決断だった。

この決断のために、様々なルール・指針・法などが出来て、それを守らなければならなくなった。

あなた方は、神を喜ばせて天国に入るための課題を、色々と考え出した。

そして、「これが課題であり、しなければならない事だ。しっかりと理解しなさい。」と言い、「この課題は、神が決めたのだ」と主張する。

あなた方は、神の名を持ち出して、自分の言い分を正当化しようとする。

「神の名において正当化できれば、欲しいものを手に入れる資格ができる」と考えているからだ。

このような考え方をして、欲しいものを獲得するためにする、殺人などのあらゆる行為を、正当化してきた。

それを、「聖戦」とさえ呼んだ。

あなた方は、神の名において、最も神らしからぬ行為を行ってきた。

それはすべて、「課題を神が決めた(課題が存在する)」と考えたからだ。

「しなければならない事がある」と信じている間は、それが何なのかを知ろうとし、次にそれを達成しようとする。

そして、「達成すること」があなた方の神になる。

やがてあなた方は、「課題が達成されたかどうかは、どうやって決定すればいいのか?」という疑問を持ち始めた。

明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第5の幻想の欠陥を繕うために、『裁き』という第6の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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