「罪の宣告」という、第7の幻想

 神

あなた方は、「課題を果たさなかった者は、裁きを下される」と考えた。
(課題と裁きの幻想)

そして、「課題を果たさなかった罰は、死に違いない」と考えた。

だが考えを進めた人は、「誰もが死ぬのに、なぜ死が罰なのか。課題を果たした者だって死ぬのに!」と考えた。

ここであなた方は、「身体の死は、終わりではないのだ。死後に罰が与えられるのだ。」と考えた。

そして、死後の罰を『罪の宣告』と呼んだ。

これが、『罪の宣告』という幻想である。

こうして、死後の裁きにより、課題を果たしていた者は『永遠の生命という報酬』が与えられ、課題を果たせなかった者は『罪の宣告という罰』が与えられる事になった。

そして、『罪の宣告』を語る物語や神話が創られて、幻想を確かなものにしていった。

神話が物語を支え、物語が神話を支える。
これが、あなた方の理解の柱だ。

そして、それはすべて偽りである。

罪の宣告という行いは、愛のある行いではない。

あなた方は、「神は愛である」との認識では共通している。

神が愛であるならば、どうして罪の宣告などをするのか?
どうして神は、永遠の苦しみを与えるのか?

あなた方は、こんな問いかけを始めた。

明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第7の幻想の欠陥を繕うために、『条件』という第8の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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