神
罪の宣告という行いは、愛のある行いではない。
あなた方は、「神は愛である」との認識では共通している。
神が愛であるならば、どうして罪の宣告などをするのか?
どうして神は、永遠の苦しみを与えるのか?
あなた方は、こんな問いかけを始めた。
この問いに対し、あなた方は、「愛について、まだ理解していない事があるに違いない」との解答を出した。
そして、「人生や愛は、条件付きだ」という幻想を思いついた。
これが、『条件が存在する』という幻想である。
「人生の結果は疑わしい。失敗が存在する。」との第2の幻想が、「神の愛には条件がある」という幻想を支える事になった。
あなた方の人生には、条件付きの愛という体験があふれている。
あなた方は生命についても、「ある条件のもとで現れるプロセスだ」と考えた。
だが、宇宙(生命エネルギーで溢れる世界)には、生存するのに条件は無い。
「ある条件では、生命は存在しない」という事はあり得ない。
『存在するすべて(神の総体・生命エネルギー)』が存在しなくなる事は、不可能だ。
「生命=神=愛」は永遠であり、ただ存在する。
愛(=神=生命)が存在しない事は不可能であり、「条件付きの愛」というのは、言葉自体が矛盾している。
条件と愛は、両立しない。
「条件と愛は両立できる」との考え方が、あなた方を破壊している。
あなた方の文明は、「条件が存在する」という幻想によって、滅亡の危機に瀕している。
それがあなた方の選択なのか? それが意識的にした決断なのか?
この問いについて、慎重に考えることだ。
あなた方の宗教は、「神の王国には条件が存在する」と教えている。
だから多くの人が、「その条件とは何なのだろう?」と考えて、一生を過ごしている。
だが、考えても袋小路に迷い込むばかりだ。
なぜなら、『条件は存在しない』のだから。
あなた方は創造者であり、望むものを手に入れられる。
ただ、それを選べばいい。
これが、あなた方には信じられない。
そのために、「そんな簡単なはずはない。課題を果たさなければ!」と考えた。
そして、神のもとへ戻る方法をでっち上げた。
赦しとか救済という考え方を生み出した。
それが、宗教と呼ぶものを通じて説明されている事だ。
宗教によって赦しや救済の方法が違う事実を、冷静に見つめれば、でっち上げだと分かるはずだ。
だが今でも、大抵の人にはそれが出来ない。
あなた方は、何百という宗教があり何千もの条件があっても、「神のメッセージは色々なのだ」とは思わず、「自分だけが正しい条件を分かっているのだ」と言う。
そして、他の宗教を滅ぼそうとしてきた。
明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。
しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。
その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として使えば、偉大な創造につながるからだ。
だが彼らは、過ちを犯した。
幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。
こうして、第8の幻想の欠陥を繕うために、『優越』という第9の幻想が生まれた。
(『神とひとつになること』から抜粋)