神
幻想が積み重なっていくと、人生は分かりにくくなった。
まもなく、哲学者も教師も音をあげた。
「分からない。分かる事が可能かどうかも、分からない。」と、彼らは言った。
こうして、『無知』という第10の幻想が生まれた。
この考えは便利だったから、たちまちに拡がって、究極の解答になった。
「私たちには、真実は分からないのだ」と。
これで宗教も政府も、誰にも答えなくて済むようになった。
それどころか、宗教や政府は「宇宙には秘密があり、神はそれを私達が知ることは望まない」と宣言をし、「その秘密を探ることは冒とくだ」と言った。
その結果、ある質問をするだけで首をはねられる時代も生まれた。
「探ってはならぬ」という命令により、『無知は好ましい』という事になった。
質問をしない方が、賢くて礼儀正しいことになった。
今でも、反対意見が残虐な方法で消されている国がある。
このような野蛮なふるまいは、「秩序を維持するためだ」との理由で正当化される。
だが、言っておこう。愛の本質は『自由』である。
あなたを愛する人は誰でも、あなたの自由を認めるだろう。
人間の体験の核心には、二つのエネルギーしかない。
「愛」と「不安」の二つだ。
愛は自由を認め、不安は自由を奪う。
愛は充分な表現を促し、不安は表現を罰する。
これを物差しにすれば、誰があなたを愛しているのか、誰があなたに不安を抱いて恐れているのか、が分かる。
相手の言葉ではなく、行為を見ることだ。
愛は常に、「あなたの真実を生きなさい」と促す。
愛は常に、「無知の束縛を断ち切りなさい」と促す。
あなた方は、「神を知ることは出来ない」「神について問うのは無礼だ」と言われてきた。
それは、全く真実ではない。
(『神とひとつになること』から抜粋)