「課題」という幻想を、幻想と見抜いて活用する

 神

課題という幻想は、「しなければならない事は何もない」という真実を経験するために、活用できる。

人生が終わる時にあなたは、自分がした事(行為・業績)には何の意味もなく、それをした時に自分がどんな人間だったか(自分の在り方)が大事だった、と知るだろう。

あなたは幸せだったか? 親切で思いやりがあったか? 愛していたか?

人生が終わる時にあなたは、魂にとって大切なのは「何をしたか」ではなく、「どんな人間だったか」だと分かるだろう。

『しなければならない事は何もない』

ほとんどの人にとっては、この真実は解放であると同時に、恐ろしいものでもある。
多くの人は、「人は放っておかれれば、必要な事をしなくなる」と信じているからだ。

この不安・信念には、根拠がない。

よく見れば、人間は素晴らしい存在である事が分かる。
規則のないコミュニティでも、良い行いをする人は沢山いる。

それどころか、良い行いをしない人はごく少ない。
何も貢献しない人だと思われるのは、気分が良くないからだ。

規則や規制が無ければ、「行われる内容」ではなく、「行われる理由」が変わる。

しなければならないと「言われたからする」のではなく、自分が「選んでする」ようになる。

これによって、行為と存在のパラダイムが逆転する。

あなた方は、「すべての行為には、見返りが与えられるべきだ」と思っている。

だから、地上にいる間に良い事をした者は見返りとして天国に行き、悪い事をした者は見返りとして地獄に行く、と考えた。

だが、言っておこう。地獄は存在しない。

地獄とは、「ある状態」だ。
それは、神や自分自身と離れていると想像し、自分自身を見つけようと試み続ける事だ。

天国も、「ある状態」だ。
それは、一つであるという経験、『存在するすべて(神)』と再び一つになるという歓喜、自分は神であると知ること、だ。

あなた方は、常に天国に居る。

だが、天国に居ながら(すべては一体であるのに)、それを知らない(忘れている)場合がある。

これを変えるのは、行為によってではない。
『存在(在り方)』によってのみ、変えることが出来る。

それが、「しなければならない事は何もない」という言葉の意味だ。

しなければならない事はなく、ただ存在の仕方があるだけだ。

そして存在の仕方は、「一つであること」があるだけだ。

あなたが「全てと一つ」になれば、驚くべき事が起こる。

あなたは自分にしてもらいたいと思う事を、自然に人にするようになる。

あなたは自分にしてもらいたくないと思う事を、自然に人にしなくなる。

全てと一つになれば、他者など居ないと気付き、他者など居ないという世界を体験する。

「一つであること」は、課題として要求されるのではない。

すでにそうなっている(実現している)事を、要求することは出来ない。
従って、課題は存在しない。

あなた方は、様々な事を要求する神(課題を設定する神)を想像した。
そうやって、課題という幻想を創り出した。

あなた方は、「実は課題などない」と気付くと、信じられないほどの喜びを経験し始める。

課題の幻想は、「実は課題などない」と気付いて喜ぶために、使いなさい。

この事を覚えておきなさい。

『真の愛(神の愛)は、何も要求しない』

(『神とひとつになること』から)


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