「必要性」という、第1の幻想

 神

この幻想は、最初の幻想というだけではなく、「最大の幻想」でもある。

この幻想の上に、他の全ての幻想が成り立っている。

神・宇宙には、必要性は存在しない。

何かが必要になるのは、特定の結果を求める時だけだ。
神・宇宙は、それ自体が結果であり、特定の結果を求めはしない。

神は『存在するすべて』であり、神でないものはない。

神・宇宙は、今起こっていること以外の何も必要とはしない。

あなた方は、「生き延びるためには、何かが必要だ」という体験から、『必要性』という考え方を生み出した。

だが、あなた方の本質(魂)は不死だ。
あなた方は、常に存在し生きている。

あなた方が生き延びるために必要なものは、何もない。
生存は保証されている。

私は永遠の生命を与えたし、それを取り上げる事は決してしない。

だから、生き延びるかどうかではなく、「どう生きるか」が問題なのだ。

あなた方は、「生き延びることと幸せとは別だ」と言うかもしれない。

そして、「幸せに生きるためには、何かが必要だ」と想像するかもしれない。

だが、幸福とは『心の在り方』であり、ある条件の結果として生まれるものではない。

存在(在り方)が経験を生み出すのであり、経験が在り方を生み出すのではない。

神は幸福だし、神を不幸にすることは何もない。

あなた方がこの様な神を想像できないのは、そんな人間を想像できないからだ。

自分もそんな風に生きられると分かれば、神についてすべてが分かるだろう。

地球人の歴史の初期には、人間の唯一の望みは「不幸や苦しみを避ける」ことだった。

そのために、快楽を中心に生きる戦略が組み立てられ、快楽へと近づき苦痛から遠ざかった。

初期の人間は、「幸せになるには、何かが必要だ」と考え、「神も何かを必要としている」と考えた。

初期の人間は、自分達にはどうしようもない出来事(災害など)が起こった時に、それを説明するために「神が何かを必要としており、要求をしている」と考えたのだ。

神が全能ならば、何かを必要とするのは矛盾している。

だが彼らには、それが分からなかった。
今でも、分からない人が大勢いる。

何かに左右される神(何かを必要とする神)を考え出した人間は、「神には決まった予定がある」という物語を創った。

そして、「神の意志はいずれ実現する」と結論づけた。

あなた方は、「神には意志があり、それを人間に強制する」と考えたので、神の意志とは何かを探ろうとした。

ところが、神の意志については、どうしても意見が一致しなかった。

そこで賢い者が、「そのために、物事が上手くいく者と上手くいかない者がいるのだ」という理屈を考え出した。

すると、新たな疑問が生まれた。

「神が全能ならば、神の意志がただちに実現しないはずはないではないか?」

明らかに、この幻想には欠陥があった。
だから、間違いだと分かるはずだった。

しかし、あなた方の祖先はどこか深いレベルで、「この幻想を捨てると、大切な事が失われる」と感じていた。

その感じ方は正しかった。
幻想は、創造の道具として活用すれば、偉大な創造につながるからだ。

だが彼らは、過ちを犯した。

幻想を幻想と見抜いて、創造の道具として活用するのではなく、「幻想の欠陥を繕わなければならない」と考えたのだ。

こうして、第1の幻想の欠陥を繕うために、『失敗』という第2の幻想が生まれた。

(『神とひとつになること』から抜粋)


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