(以下は『音楽の正体』渡辺健一著から抜粋
2010年7月29日にノートにとり勉強した)
🔵音楽は自由ではない
音楽は、良いメロディなどを考え始めると、とたんに自由でなくなってしまう。
音楽は自由とほど遠い存在のため、逆に殻を破りたい強烈な衝動が生まれ、その衝動がエネルギーになり感動を生み出せるのである。
(※全くその通りだと思う。自分の実感もある。)
🔵音楽活動での心得
音楽も共同作業(チームプレイ)で成り立っている。
なので毎度毎度、独創的なゼロから作り上げるものでは、周りが付いていけない。
100%独創的だと他人が理解するのが難しい。
だから20~30%のほどよい割合で独創を織り混ぜるのがプロの仕事である。
(※時代の変革をする位の大作は、80%位がオリジナルの世界だと思う。
たしかにジャズでもモンクやパーカーの世界は、周りが付いていけてない。 )
🔵演歌について
作家の五木寛之は『ゴキブリの歌』の中で、「演歌の中には援歌も怨歌も艶歌もある」と書いている。
(※すごく納得ができたので、ここに書いておく)
(以下は『よくわかる作曲の教科書』秋山公良から抜粋
2010年8月6日にノートにとり勉強した)
🔵作曲の話
1993年に「音楽の正体」という番組があり、画期的な内容でビデオに録り何度も見た。
それ以来「なぜ人は音楽に感動するのか」という現象に興味を持った。
作曲を志す人が一度は考えるのが、「全く新しい作品はもう作れないのか」という疑問だろう。
これは限りなくイエスと言わざるを得ない。
『音楽の正体』の本では、平均律によって音が12に限定されたこと、どの音楽ジャンルも徐々に複雑になり不協和音を加えていき、人が気持ち良くない所まで行って衰えること、が書かれている。
12しか音がないため、どのジャンルもハーモニーが似通ってしまう。
近年はラップから始まってダンスミュージックがロックに代わって流行した。
ハーモニーが手詰まりのため、新鮮さをリズムで表すしかなかったと、私は分析している。
ラップはメロディを考えるのを放棄した音楽だった。
『音楽の正体』では、「もう平均律から脱却して良い頃だ」と結んでいる。
これには異議ありで、少なくとも本書を読む人が生涯を終える頃までは平均律中心は変わらないと確信している。
現代にはたくさんの音楽ジャンルがあり、それをどう料理するのか、どう組み合わせるかの工夫で充分やっていけるだろう。
自分なりのスパイスを加えられるかどうかだ。
大切なのは創意工夫を怠らないこと。
(2025年6月22日に作成)