タイトル大作曲家たちの音楽論②

(以下は『大作曲家があなたに伝えたいこと』千蔵八郎著からの抜粋
2011年4月25日~29日にノートにとり勉強したもの)

🔵音楽パターンによる暗示(マクダウエルの話)

フレーズによって色々と暗示できる。
例えば「紡ぎ歌」は、車のぐるぐる回る様子を同じフレーズ・パターンを用いることで示している。

ワーグナーとメンデルスゾーンのような全く異質の作曲家が、動く波を暗示するのに同じパターンを用いているのは偶然ではなく、暗示にもパターンがあるのだ。

音楽における暗示力の神髄は、ハーモニーやダイナミクスよりも旋律にある。

🔵民族音楽(マクダウエル)

民俗的な素材を使用したからといって、それが民族音楽になるわけではない。

民族を特徴づける内容になって初めて民族音楽と呼べるのだ。

(※非常に説得された。ジャズはアメリカの音楽と言われる。しかしアメリカ人を特徴づけているのだろうか。

スイングジャズ時代まではそうだったかもしれないが、モダンジャズ以降は微妙である。
モダンジャズ以降は、意識的なアフリカやラテンアメリカへの傾倒があるからだ。)

🔵音楽の意味(ディーリアス)

音楽は、言葉や演技が表現の限界に達した時に、限界を突破できる事に意味がある。

音楽に「おはよう」とかの言葉を模倣させるのはくだらない事で、他では表現し得ないものを表現できてこそ価値がある。

(※ベートーベンの田園などは自然音を模倣をしているが、それは自然から受ける感動の表現の一環として行っているのであり、単に 模倣して満足しているわけではない。)

(千蔵氏の解説 ディーリアスは不協和音や無調を嫌悪し、批難した。)

🔵芸術論(ドビュッシー)

芸術は、「つくりごと」の中で最も美しい「つくりごと」です。

人々は日常をつくりごとの中へ組み入れようとしますが、それではつまらなくなります。

人々は忘却を求めて音楽を聴きに来るのです。
夢の中に現実を持ち込みすぎると人々は失望します。慰めある世界こそが長続きする美となるのです。

(※宝塚ファンの宝塚論を聞いているようだ。)

現在の音楽院などの和声学は、画一化を招きます。
昔は自然界から美の法則を汲み取っていましたが、今は表面上でごまかすメッキの時代です。

🔵作曲のプロセス(R・シュトラウス)

作曲中に行き詰まったら、ピアノのふたを閉め、スケッチブックを閉じて寝てしまう。
朝目覚めたら続きが出来るのである。

1つのモチーフ・フレーズが浮かび上がったら、書きつけてすぐに16や32小節の長さに拡大する。

変化させて、厳しい自己批判に耐えられる形へと変貌させていくのだ。

イマジネーションによってさらに発展させ得る時が来るまで、この作業は続いてゆく。

ゲーテは「天才は勤勉である」と言ったが、勤勉と意欲が欠かせない。

🔵休止について(ニールセン)

休止とは、実際には継続なのである。

休止とは衣装のようなもので、姿を隠してしまう。しかし姿は見えないが何があるかを感じることはできる。音と休止のつながりを感じるのである。

休止はブレークではなく、継続をほのめかしている。

🔵喜劇性(デュカス)

コミック要素とは、二つの観念または感情の間の併置・不均衡から生まれる。(※すれ違いということだ)

歌劇では、陽気な言葉に暗い音楽を結合させたり、コミックな情景にシリアスな音楽を結合させたりする。

🔵傑作とは(シベリウス)

作曲家が、その人にとっての真実だけを残そうとする作品だけが、時代を越えて残り得るのです。

🔵インスピレーションとは(ルーセル)

インスピレーションとは、質の良い楽想を思いつき、明確にそれを表現できる能力を言います。
音楽的にまとめ上げる力を前提とします。

🔵音(スクリャービン)

私は時々、音が絵になるという幻想(夢)を見る。

(千蔵氏の解説 彼の交響曲5番では、演奏に合わせて背面のスクリーンに色が投影された。)

🔵テンポ、ダイナミクス(レーガー)

テンポは、作曲者の指示以外にも、和声・対位法的な内容や、演奏されるホールによっても決定される。

ダイナミクスは、譜面の行間を読むことから始まる。記号だけでは足りない。

🔵作曲(ラフマニノフ)

一人だけで静かな環境にいてこそ作曲は進む。

ピアノか机の前で過ごし、太陽が沈む頃に筆をおいた。

私には現代音楽が理解できないので、レパートリーに入れていない。

🔵12音技法の解説(シェーンベルク)

私の技法、「12音のみによる作曲法」は、12音をコンスタントに使用するメソッドである。

12音をすべて使用するまでは、同じ音を反復させない。
そしてこの音列は、半音階とは全く異なる。

私の作った音列順序のパターンは、曲を統一するためのものだが、音階とは異なる。

音階は旋律や和音を生み出すが、私のパターンはそのような機能を果たすものの、カデンツを生み出さない。

私のパターンは、セリーと呼ばれる。
(※セリーで書かれたものを、セリエルな音楽と呼んだ)

🔵反復(アイヴズ)

反復が、明晰性と一貫性の欠くべからざる要素となる。

🔵作曲(ラヴェル)

作曲という仕事は大変に辛い。アドバイスをくれる人などいなくなる。

いつも良いものが書けるとは限らない。捨てた譜面を惜しかったと思うことさえある。

だがもっと上手くいったかもと分かったら、何かを学んだことになるのさ。汗を流して励め。

(千蔵氏の解説 彼は2小節書くのさえ苦しんで書いていると言った。
すぐれた手本を見つけ、それを模倣することから始めなさい、と言うのが口癖だった。)

🔵農民の音楽の導入について(バルトーク)

方法の1つは、その旋律を用いて、それに伴奏をつけることです。
その例はバッハのコラールに見られます。

2つ目は、模倣して旋律を創り出すことです。

3つ目は、雰囲気を導入することで、それは完全に語法を吸収しないとできません。

民俗音楽と無調性は別物です。なぜなら民俗音楽は調性的だから。

🔵作曲の心がまえ(エネスコ)

新しい言葉を探してはいけません。
自分の内奥にあるものを明快に表現するのです。

音楽を書くことです。音楽について書いてはだめです。

🔵作曲の動機(ストラヴィンスキー)

創作の前に、「これから作ろうとしていることを前もって味わうこと」が前提条件です。

それは作品の直観的な把握を伴います。
すでに予知はしていても、まだどんなものかは判らないのです。

作品の実体は、慎重なテクニックによって形をとってきます。

この「前もって味わう」行為は、私の注意を引いた音楽的要素を秩序立てようと考えるだけで起こり、習慣的なものです。定期的に生じます。

(※私も、ある響きやメロディを聴くと何かを味わえるのだが、なかなかそれを形に出来ない。形にするにはもっと音楽知識が必要なのだ。)

🔵良い音楽家とは(コダーイ)

それは以下の4つに要約できる。

①よく訓練された耳
②よく訓練された知性
③よく訓練された心
④よく訓練された手

4つはいつも均衡をもって育てなければならない。一つが遅れても進みすぎてもよくない。

最初の3つがなくては独創的な作品を作れない。

🔵作曲(山田耕筰)

音が心の耳に聞こえてくる。作曲はそれを書き取るに過ぎない。

しかし苦心はある。
あるどころの騒ぎではない。汗だらけだ。

苦心は毎日の生活においてなのだ。生活から生むというのが、私の信条だ。

一生に一回でもいい、心に聴く10の10まで残りなく書き留めてみたい。

🔵作曲の仕方(オネゲル)

シューマンはピアノによる即興的な作曲を認めなかった。
しかしショパンとリストはそうしていただろう。

バッハや対位法作曲家は、めったに即興的な作曲はしなかった。

ベルリオーズはメロディを考え、和声づけはギターを弾いて行った。

🔵多調性(ミヨー)

多調性を研究してみた。
五度カノンで書かれたバッハの二重奏曲は、二つの調性が重なり合い、対立しながらも調和している。

現代のストラヴィンスキーらの多調性和音は、しばしば対位法的で、あるいは保続低音として用いられている。

私には多調性和音の方が、微妙なやさしさと強烈な説得力を感じる。

🔵ヒンデミットの著作

(千蔵氏の解説 彼の書いた『音楽家の基礎練習』という本は、ソルフェージュの教科書で、具体的かつ実用的。)

🔵ベートーベンの曲(セッションズ)

ベートーベンの作品は、彼以前のどの作曲家よりも対照性において豊かである。

🔵ジャズ(ガーシュイン)

ジャズはアメリカで生まれ、他の国で演奏されると全然響きが違う。

ジャズはエネルギッシュで騒がしく、卑俗でさえある。

ジャズはアメリカを表現していて、未来の音楽になんらかの形で足跡をとどめるだろう。

永続される音楽は形式を有するものである。

(※形式化されることで活力と自由さを失い陳腐化するが、それによって伝統となり生き残るという事なのか。)

(千蔵氏の解説 ガーシュインのいうジャズは、スウィング・ジャズ時代のこと。スウィングジャズの独特のペーソスは白人が参加するようになって生まれた。)

🔵音楽学校(チャベス)

音楽学校は理論の教育を与えるが、実践的ではない。
実際の音楽ではなく、理論という一面だけを教えるためだ。

音楽学校は、独創性のない姿勢を助長している。

巨匠たちは現場での活動を通して作品を完成させていった。
彼らは常に公開演奏のために書いており、革新的なものでも企業商品的な要求にも応えていた。

(千蔵氏の解説 昔は音楽家の数が少なく、時間はゆったり流れていた。現代ではそうはいかない。)

🔵インスピレーション(コープランド)

全ての作曲家は作曲を楽想で始める。突然に主題が訪れるのだ。

主題は天から授かるもので、どこからくるか知らない。コントロールできない。

🔵傑作とは(ハチャトゥリアン)

作曲技法が一流でも、内容がなければ役に立たない。
深い思想や生きた感情に欠けたものは感動させない。

創作は平均化を許さず、多様で明確な個性を前提とする。

🔵標題とは(ショスタコーヴィチ)

標題については、単なる名前と考える人と、作品の内的思想と考える人がいる。

私は後者と考える。思想的内容なしに価値のある音楽はありえない。
標題は、思想の概括、総体である。

🔵鳥の声(メシアン)

鳥たちはそれぞれ自分のテンポで歌っています。
そして異なったテンポが積み重なっても常に調和的です。

これを音楽に翻訳しようとしました。

🔵作曲(バーンスタイン)

自然観賞をすると、後になってから音楽に置き換えられる事柄が思い浮かぶ。

しかし自然に魅せられている時点では置き換えは不可能です。

感情は、回想されなければならないのです。

回想するには、家に帰ってできることならブラインドを降ろして自然界を遮ぎる必要があります。

(※今までは魅せられたら、その場で楽想が浮かぶものと思っていた。しかしそうではないと知った。私自身もその場で浮かんだことはない。)

実験主義の作曲家は、過去の音楽を避けているだけで、過去の音楽に縛られているにすぎない。

🔵作品について(ブーレーズ)

価値ある作品は、現在は困難でもいずれ大衆とのコミュニケーションを必ず打ちたてる。

現代音楽は、楽員に自覚がないと演奏は難しく、作品がくだらないものに聴き手に思えてしまう。

🔵日本について(シュトックハウゼン)

日本人は偉大な模倣者で、模倣して次に別のものに変えます。

最良の音楽家は、音や声をすぐに模倣できる人です。

日本人は三百年も世界から隔絶されていたため、むしろ自然の恩恵を受けている。そのためスポンジのように他の文化を吸収する。

彼らは伝統的な文化を守り、毎日の生活を文化的ものにしている。毎日の生活が芸術になっている。

(※今の日本が忘れてしまっていることだ。)

🔵作曲(武満徹)

作曲は、最初に「聴く」ことが本質だと思う。

人は聴いた時に、同時に違うものを聴くことができる。それが大事だと思う。

(※私も何かを聴いた時に、別の曲や自分の曲が聴こえてくる時がある。)

※以下は、作曲家ではなく、画家、作家、映画監督の論である。

🔵画(アラン)

画家自身も、生まれつつある自己の作品の観賞者だ。

天才は、自ら驚くのでなければならない。

🔵新作の説明(ゴッホ)

今度の作品は僕の寝室で、簡単なものだ。ここでは色彩が問題になる。

単純さとどっしりした様式によって、安息と眠りを暗示するものでなければならない。

(※ゴッホは色盲だったので独自の色使いになったと言われるが、これを読むと意図的に色を変えていると思われる。)

🔵創作とは(ジャコメッティ、画家)

私にとって創作は、身近にいる人々についての私のヴィジョンを、私自身に説明する手段でした。

創作は、私が見るものを、私自身がより理解するのに必要な手段なのです。

🔵光について(ガウディ)

最高の調和は、45度の角度で物体を照らす光である。

水平と垂直の中間のこの光は、物体をあるがままの姿で見せる。

地中海はこの光で、地中海の人々は造形感覚に富む。具体的である。

一方で、北欧はうら悲しい水平の光で、幻想を生む。

熱帯は垂直の光が差す。

🔵創作の仕方(トーマス・マン)

どの作品も多くの準備が先行します。

私は順序通りに書き進め、後の章を先に書くことはありません。

後の部分は前の部分が出来上がってないとうまくいかないのです。

🔵芸術とは(ジャン・ルノワール、映画監督)

映画だろうが菓子作りだろうが、芸術品の製作に異ならない。別に芸術家という稼業はない。

全ては自分の仕事をどうやるか、やり方にかかっている。
芸術とは「成す」ことに他ならない。

 (2025年10月15~16日に作成)


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