タイトル大作曲家たちの音楽論②

(以下は『大作曲家があなたに伝えたいこと』千蔵八郎著からの抜粋
2011年4月25日~にノートにとり勉強したもの)

🔵音楽パターンによる暗示(マクダウエルの話)

フレーズによって色々と暗示できる。
例えば「紡ぎ歌」は、車のぐるぐる回る様子を同じフレーズ・パターンを用いることで示している。

ワーグナーとメンデルスゾーンのような全く異質の作曲家が、動く波を暗示するのに同じパターンを用いているのは偶然ではなく、暗示にもパターンがあるのだ。

音楽における暗示力の神髄は、ハーモニーやダイナミクスよりも旋律にある。

🔵民族音楽(マクダウエル)

民俗的な素材を使用したからといって、それが民族音楽になるわけではない。

民族を特徴づける内容になって初めて民族音楽と呼べるのだ。

(※非常に説得された。ジャズはアメリカの音楽と言われる。しかしアメリカ人を特徴づけているのだろうか。

スイングジャズ時代まではそうだったかもしれないが、モダンジャズ以降は微妙である。
モダンジャズ以降は、意識的なアフリカやラテンアメリカへの傾倒があるからだ。)

🔵音楽の意味(ディーリアス)

音楽は、言葉や演技が表現の限界に達した時に、限界を突破できる事に意味がある。

音楽に「おはよう」とかの言葉を模倣させるのはくだらない事で、他では表現し得ないものを表現できてこそ価値がある。

(※ベートーベンの田園などは自然音を模倣をしているが、それは自然から受ける感動の表現の一環として行っているのであり、単に 模倣して満足しているわけではない。)

(千蔵氏の解説 ディーリアスは不協和音や無調を嫌悪し、批難した。)

🔵芸術論(ドビュッシー)

芸術は、「つくりごと」の中で最も美しい「つくりごと」です。

人々は日常をつくりごとの中へ組み入れようとしますが、それではつまらなくなります。

人々は忘却を求めて音楽を聴きに来るのです。
夢の中に現実を持ち込みすぎると人々は失望します。慰めある世界こそが長続きする美となるのです。

(※宝塚ファンの宝塚論を聞いているようだ。)

現在の音楽院などの和声学は、画一化を招きます。
昔は自然界から美の法則を汲み取っていましたが、今は表面上でごまかすメッキの時代です。

🔵作曲のプロセス(R・シュトラウス)

作曲中に行き詰まったら、ピアノのふたを閉め、スケッチブックを閉じて寝てしまう。
朝目覚めたら続きが出来るのである。

1つのモチーフ・フレーズが浮かび上がったら、書きつけてすぐに16や32小節の長さに拡大する。

変化させて、厳しい自己批判に耐えられる形へと変貌させていくのだ。

イマジネーションによってさらに発展させ得る時が来るまで、この作業は続いてゆく。

ゲーテは「天才は勤勉である」と言ったが、勤勉と意欲が欠かせない。

🔵休止について(ニールセン)

休止とは、実際には継続なのである。

休止とは衣装のようなもので、姿を隠してしまう。しかし姿は見えないが何があるかを感じることはできる。音と休止のつながりを感じるのである。

休止はブレークではなく、継続をほのめかしている。

🔵喜劇性(デュカス)

コミック要素とは、二つの観念または感情の間の併置・不均衡から生まれる。(※すれ違いということだ)

歌劇では、陽気な言葉に暗い音楽を結合させたり、コミックな情景にシリアスな音楽を結合させたりする。

🔵傑作とは(シベリウス)

作曲家が、その人にとっての真実だけを残そうとする作品だけが、時代を越えて残り得るのです。

🔵インスピレーションとは(ルーセル)

インスピレーションとは、質の良い楽想を思いつき、明確にそれを表現できる能力を言います。
音楽的にまとめ上げる力を前提とします。

 (2025年10月15日に作成)


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