(『図説 楽器の歴史』フィリップ・ウィルキンソン著から抜粋)
🔵チェンバロ
ヨーロッパの中世後期に、鍵盤で弦の音を出すメカニズムが考案された。
その初期にできたのが「クラヴィコード」で、弦を叩いて音を出す。
一方「チェンバロ」は、弦をはじいて音を出す。
ハープなどの弦をはじいて音を出す楽器は、同時に音を出せるのは弦1本か2本である。
しかし鍵盤ならば、もっと多くの音を同時に出せるので、複雑な和音も可能となる。
チェンバロは、1397年頃に北イタリアのヘルマン・ポールが考案したらしい。
15世紀に普及し、16世紀にチェンバロ用の曲が数多く作られた。
1570年代に工房を開いたハンス・リュッケルスは、チェンバロ作りの名手として評判になった。
16世紀の後半からは、チェンバロ製作の中心地はネーデルランドの国々となったが、これはリュッケルス一族が製作者として活躍したのが大きい。
リュッケルスは、高音域には鉄製の弦を用い、低音域には真鍮の弦を用いた。
16世紀以降に、チェンバロおよびその仲間である「ヴァージナル」と「スピネット」のために、数多くの曲が作られた。
ヴァージナルとスピネットは、どちらもチェンバロと同じ発音原理の鍵盤楽器である。
すぐれた作曲家はイタリアから輩出されて、ジローラモ・フレスコバルディやクラウディオ・メルロ、アンドレア・ガブリエーリとジョヴァンニ・ガブリエーリが挙げられる。
ドイツでもヨハン・フローベルが出て、J・S・バッハに大きな影響を与えた。
イングランドでは、ウィリアム・バードとジョン・ブルが出た。
18世紀になると、チェンバロはバロック音楽の中心的な存在となり、大活躍した。
この時期の作曲家では、ドイツ人のバッハとヘンデルが有名である。
イタリア人のドメニコ・スカルラッティも有名で、彼は長くスペインで暮らしたので、フリジアン・スケール(スペイン民謡でよく使われる音階)や、フラメンコのようなパッセージも使っている。
フランス人のフランソワ・クープランも、すばらしいチェンバロ曲を残している。
1711年にピアノが発明され、しだいに普及すると、チェンバロは流行遅れとなっていき、18世紀後半に衰退した。
そしてバッハやスカルラッティのチェンバロ曲は、ピアノで演奏されることになった。
🔵ピアノ
ピアノは長い間、クラシック音楽の中心的な存在となっている。
独奏、協奏曲、歌の伴奏、作曲時の使用と、さまざまな役割をこなせるのが魅力である。
18世紀のはじめ、鍵盤楽器では「チェンバロ」が人気だったが、音量の調整ができないという難点があった。
弦をタンジェントで叩いて鳴らす「クラヴィコード」が登場して、ある程度は音量の調整ができるようになった。
しかしクラヴィコードは音量が小さかった。
1709年頃に、フィレンツェのバルトロメオ・クリストフォリが、新しい鍵盤楽器を完成させた。
これは小さなハンマーで弦を叩く仕組みで、「強弱のつけられるチェンバロ」と名付けられた。
鍵盤を押す力の加減で、音量をコントロールできるのが特徴で、「ピアノ」と呼ばれるようになった。
ピアノには独特の仕組みがある。
ハンマーで弦を叩いた時に、すぐに離れないと弦は振動せず、音は鳴らない。
だからピアノには、「エスケープメント」というメカニズムがある。
さらに各弦にダンパーを付けて、鍵盤から指を離すとダンパーが弦に触れて振動が止まる(音が止む)ようにした。
「鍵盤+ハンマー+エスケープメント+ダンパー」という仕組みが、ピアノのメカニズムの心臓部で、まとめて「アクション」と呼ばれる。
ピアノには「響板」があり、弦の振動に共鳴することで、大きな音量を生み出している。
ただし誕生時のピアノの音量は、まだ抑えめで、現在のピアノよりもチェンバロに近い。
ゴットフリード・ジルバーマンは、ピアノを製作してJ・S・バッハに見せている。
だがバッハは、誕生して日の浅いピアノを弾いてみて、高音が弱いし鍵盤のタッチが重いと酷評した。
バッハはピアノのための曲は作らなかった。
ジルバーマンの弟子だったヨハネス・ツンペは、一般家庭向けに小型のピアノを開発し、「スクエア・ピアノ」と名付けて売り出した。
スクエア・ピアノは1760年頃から普及し、アクションの軽さや、持ち運べることから人気が出た。
こうして徐々にピアノ用の曲も増えてきた。
一方で、大きなホールで演奏するためのグランド・ピアノも普及していった。
イギリスで作られたピアノは、品質と音色の良さで高く評価されたが、アクションが重くて速い連打が難しかった。
一方、ウィーンで作られたピアノは、アクションが軽くて速い連打はできたが、音はやや細かった。
ウィーン式のピアノを、ハイドンやモーツァルトは好んでいた。
18世紀の間に、ピアノメーカーは「ペダル」をピアノに装備した。
1つ目はシフト・ペダルで、左側にあり、これを踏むと音量が小さくなり、やや暗い音になる。
2つ目はダンパー・ペダルで、右側にあり、踏むとすべての弦がダンパーから離れるため、鍵盤から指を離しても音が持続する。
ダンパー・ペダルを踏むと、鳴らした弦以外も共振するので、音色は豊かに響く。
ピアノによっては3つ目のペダルが真ん中にあるが、ソステヌート・ペダルである。
ソステヌート・ペダルは、踏むとその時に押していた鍵盤のダンパーだけに作用し、その音だけを長く伸ばす。
1808年頃に、セバスティアン・エラールが「ダブル・エスケープメント・アクション」という新しいアクションを考案した。
これは、ハンマーが弦を叩いた後、すぐに元に位置に戻らず、途中でいったん止まる仕組みである。
これにより、速い連打が可能となった。
現在もこの仕組みは使われている。
ピアノの改良では、音量を上げる工夫も行われ、弦の張力を上げた。
それまでの木製フレームでは張力に耐えられないので、金属製のフレームが採用された。
1825年にオルフェウス・バブコックは、一体成型の鋼鉄製フレームの特許を取得した。
金属のフレームだと、木製と違い温度や湿度の影響を受けにくく、調律が安定するメリットもある。
だからグランドピアノは金属フレームが標準規格となった。
ヘンリー・スタンウェイ(1797~1871)は、1853年にニューヨークでピアノ製造会社を立ち上げたが、スタンウェイ社は世界一の高級メーカーに成長していった。
ただしピアニストの中には、ベーゼンドルファー社のものや、ファツィオリ社のものを好む人もいる。
1830年頃に、垂直構造の「アップライト・ピアノ」が発売された。
これは狭い部屋にも置けるので、家庭用として普及した。
20世紀になると、電子ピアノが登場して、これも普及した。
🔵チェレスタ
チェレスタは、鍵盤の操作でハンマーが金属製の音板を打ち、その音が木製の箱で増幅される楽器である。
見た目はピアノと似ているが、澄んだ鈴の音のような音色がする。
うっとりする音なので、フランス語で「天国の」という意味の名前が付けられた。
チェレスタは1880年代にパリの楽器工房で、シャルル・ヴィクトル・ミュステルとその息子たちが開発した。
ミュステルはオルガン製造の職人だった。
チェレスタを広く世に知らしめたのは、チャイコフスキーだ。
パリでチェレスタを聴いて気に入った彼は、バレエ音楽「くるみ割り人形」(1892年)でチェレスタを使った。
マーラーもチェレスタを活用した人で、交響曲6、8番で使っている。
ホルストの組曲「惑星」と、バルトークの「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」でも使われている。
チェレスタは、ピアニストが演奏することが多く、ジャズでも演奏されてきた。
ヘンデルはオラトリオ「サウル」(1738年)で、「カリヨン」という楽器を使っている。
ヘンデルの台本作家チャールズ・ジェネンズは、「カリヨンはハンマーで金床(かなどこ)を叩くような音で、鍵盤があった」と書いている。
おそらくチェレスタの祖先だろう。
(2023年8月29日、9月7日に作成)