タイトルヴァイオリン、ヴィオラ

(『図説 楽器の歴史』フィリップ・ウィルキンソン著から抜粋)

○ヴァイオリン

ヴァイオリンは、弦は4本で、5度間隔で調弦する。

オーケストラでは、弦楽器の中で最高音域を担当している。

9世紀ごろに、ビザンチン帝国に「リラ」という楽器があった。

これは洋梨型のボディで、弦は3~5本、弓を弦に当てて、膝の上に乗せて演奏した。

同時期にアラブ地方では、1~3本の弦の「ラバーブ」という楽器があった。

リラとラバーブが、ヴァイオリンの元祖である。

中世の初期にリラとラバーブは西ヨーロッパに伝わり、リラは「フィドル」に、ラバーブは「レベック」に変化した。

フィドルもレベックも、胸や肩や首に楽器を当てて演奏した。

フィドルとレベックは、中世の末期には2つの「ヴィオラ」に発展した。

これは、現在のヴィオラとは別物である。

「ヴィオラ・ダ・ガンバ(脚)」は、両膝の間にはさんで演奏し、指板にはフレットがあり、弦は6本で、小さなものから人の背丈ほどのものまであった。

「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕)」は、首や肩にあてて構えるタイプで、フレットはなく、4本の弦だった。

上の2種のヴィオラは、15世紀には存在していた。

ガンバは柔らかい音で音量があり、和音の演奏に適していた。

ブラッチョははっきりした音で、音がよく通った。
やがてブラッチョがヴァイオリンへと進化していった。

ヴァイオリンは、1520~1550年の間に北イタリアで誕生した。

クレモナのアンドレア・アマーティ(1505~77)の製作したヴァイオリンが、現存する最古のもので、彼がヴァイオリンを生んだ人と見られている。

17~18世紀には、イタリアでヴァイオリン製作の黄金時代となり、ヴァイオリンは弦楽器の王となった。

ストラディヴァリやグァルネリといったクレモナのヴァイオリン製作者は、優れたものを作り、現在でも愛用されている。

ストラディヴァリは、およそ1000挺も作ったと言われ、半分以上が現存している。

オーストリアのヤコブ・シュタイナーも名匠で、J・S・バッハたちが彼の作ったヴァイオリンを所有していた。

なおバロック時代のヴァイオリンは、現在のものよりネックが短く、駒の高さも低くて分厚い。

バロック時代にヴァイオリンの作品を最も生み出した作曲家は、アントニオ・ヴィヴァルディだろう。

オーケストラという大編成が誕生すると、ヴァイオリンはアンサンブルの要となった。

また奏法においては、「重音奏法」や、弦を指先ではじく「ピツィカート奏法」が考案された。

18世紀後半から19世紀初頭に、弓が改良された。

主にフランソワ・トルテのアイディアである。

それまでの弓は、まっすぐか山なりで、先細のカーブを描いていた。

トルテは、弓を中央で反り返らせた。
これにより弦に強く押し付けることが可能となり、力強い音で長いフレーズを弾けるようになった。

同じ頃に、ヴァイオリン本体も改良されて、弦が長くなり、弦の張力が強くなったのに対応して魂柱を太くし、力木も厚くした。

ネックは長くなり、ネックとボディの継ぎ目が強化された。

こうしてヴァイオリンは、より力強い音になった。

さらに弦も改良されて、それまでのガット弦から、17世紀後半にガット弦に銀糸を巻くようになった。

19世紀後半には金属弦が一般化し、20世紀には合成繊維の弦が普及した。

現代のオーケストラでは、ヴァイオリンは第1と第2に分かれている。

第1はメロディを担当し、第2はそれを和音で支えることが多い。

舞台の左右両側に配置するのが長年の伝統だったが、20世紀になると左側にすべて置くことが多くなった。

第1ヴァイオリンの首席は、「コンサートマスター」と呼ばれ、チューニングをリードしたり、弓使いなどの取り決めをする。

曲中にヴァイオリンのソロがあれば、コンサートマスターが担当する。

○ヴィオラ

ヴィオラは、オーケストラではヴァイオリンのすぐ下のアルト音域を担う。

柔らかい音のせいか、独奏曲は少ない。

中世ヨーロッパに生まれた「ヴィオラ・ダ・ブラッチャ」(ヴァイオリン属の肩で構える楽器)が、ヴィオラの先祖である。

最初は様々な大きさや音域のヴィオラがあったが、しだいにヴァイオリンとチェロの間の音域を担うものに集約された。

弦楽器製作の名匠であるストラディヴァリは、ヴィオラはあまり作らなかったが、その作品はヴァイオリンと同じく高い評価を受けている。

バロック時代は、ヴィオラの出番はあまりなかった。

ところが古典派の時代に、弦楽四重奏という編成が誕生した。

弦楽四重奏は、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロの編成で、トリオ・ソナタから鍵盤楽器を外して、ヴィオラを加えたものである。

それまでは弦楽器のみの室内楽は珍しかった。

作曲家のハイドン(1732~1809)は、弦楽四重奏を書いたところ好評だったので、70曲近くも書いた。

弦楽四重奏は、やがて弦楽五重奏、六重奏と発展していき、ヴィオラは重要なパートを担った。

モーツァルトはヴィオラ2本を含む弦楽五重奏や、ヴィオラとヴァイオリンのための協奏曲を書いている。

19世紀になると、ヴィオラはヴァイオリンと同じ改良が図られた。

弦の張力は強くなり、新しい弓の形が導入された。

ベルリオーズが作曲した「イタリアのハロルド」(1834年)は、名演奏家として有名だったパガニーニの依頼で書いたもので、パガニーニがヴィオラを弾くための曲だった。

ロマン派時代の傑作の1つとなっている。

ヘルマン・リッター(1849~1926)は、ヴィオラの音量を上げようとして、特大サイズのヴィオラを設計した。

これは「ヴィオラ・アルタ」と呼ばれ、音量は大きかったが、腕が長くないと弾きづらいので普及しなかった。

20世紀になると、ライオネル・ターティス、ウィリアム・プリムローズ、パウル・ヒンデミットというヴィオラの名手が現れた。

ヒンデミットは、作曲家としても活躍した。

(2023年8月29日、12月31日に作成)


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