タイトルレスポール(ギタリスト)のインタビュー

(『ザ・ギタリスト下巻(ドン・メン編)』から抜粋)

レス・ポールは、最も早くエレキ・ギターの音を世に紹介した1人である。

彼がソリッド・ボディのギターを設計したのは、ギター・メーカーたちよりも早かった。

それだけでなく、エコー・ディレイ、フェイズシフター、オーヴァーダビング、多重録音を実験的に使い、革命を起こした人でもある。

加えて、初の8トラック・レコーダーは、彼のアイディアとデザインに多くを負っている。

レス・ポールは、1916年6月9日に、アメリカのウィスコンシン州ウォーキショーに生まれた。
本名はレスター・ウィリアム・ポルスファスである。

以下は、彼の1977年12月のインタビューである。

質問

音楽を始めたのはいつですか。

レス・ポール

9歳の時だ。
通りを歩いていると、下水を掘る労働者が昼食の間に、ハーモニカを取り出して、クラッカーの缶をガンガンと叩きながら、吹いていた。

私が夢中になって見ていると、その男は「坊主、これをやるから、あっちに行け」と言ってハーモニカをくれたんだ。

同じ頃、友達の家で鉱石ラジオの設計図をもらい、私も作ってみた。

そのラジオで、ギターの音を耳にしたんだよ。

私はラジオでハーモニカの曲をおぼえると、小銭目当てに町中でプレイした。
週に30~35ドルは稼いだよ、トラック運転手の兄は週給18ドルなのにね。

質問

ギターを始めたのはいつですか。

レス・ポール

11~12歳の時に、シアーズ・ローバック(※有名な百貨店)で買ったギターが最初で、カポと教則本が付いていた。

でも子供なので、指板に手が回せなかったんだよ。
仕方ないので6弦は外して、5本の弦で始めた。

ブリッジを動かすとイントネイションが変わるのに気付き、弦高やアクションのことを研究し始めた。

マイクや蓄音機のことも調べてみた。
私は本の虫でね。図書館で何時間もすごして勉強した。

ギターの音を電気で増幅するために、電気の勉強を続けたよ。

ギターを始めた頃は、コードの押さえ方は3つしか知らなかった。

映画の宣伝でジーン・オートリー(※俳優でミュージシャン)が町に来た時、彼が歌ってギターでFのコードを押さえた。
それでFのコードを覚えた。

その後、ミシガン州カラマズーにあるギブソン社の工房に行って、L-5を買った。

当時はギブソンが市場を独占していた。
レスポール・モデルを出すまで、L-5がギブソンの顔だった。

1936年にニューヨークに行くまで、ダンジェリコなんて聞いたこともなかった。
エピフォンの音は聴いていたけどね。

質問

ジョー・ウルヴァートンに誘われてツアーに出た時、エレキ・ギターをプレイしていたのですか?

レス・ポール

いや、まだアコースティック・ギターだった。

質問

ソリッドボディのギターを、どのように生み出したのですか?

レス・ポール

まず、弦の振動とギターの表板の振動がぶつかってしまうことを発見した。

それで1934年に、シカゴの楽器メーカーである「ラーソン兄弟」を訪れて、「1/2のメイプル・トップ(表板)で、fホールのないギターを作ってくれ」と言ったんだ。

連中は私をアホだと思ったようで、「それじゃ振動は得られない」と言った。

私は、「振動なんていらんのだ。ピックアップを2つ付けるつもりだから」と言った。

当時は、どのエレキ・ギターもピックアップは1つしか付いてなかった。

それにピックアップを付ける場所は、見栄えがする所とか、取り付けやすさで決まっていた。

私は次のステップとして、1930年代の後半に、エピフォンのギターのボディに鉄のバーを通した。
そこにピックアップを固定した。

質問

あなたは1930年代にはシカゴで活動し、ルーバーブ・レッドという芸名でラジオ・ショウのホストを務め、カントリーを演奏していましたね。

夜には別のラジオ局で、本名でジャズを演奏していた。

レス・ポール

そうだ。
当時はピックアップの付いたL-5と、前述のラーソン兄弟が作ってくれた1/2メイプル・トップのギターを弾いていた。

質問

シカゴでは、ジャズもプレイしましたね。

レス・ポール

1930年代初めのシカゴは、偉大なジャズ・ミュージシャンが顔を揃えていたんだ。

ジャズ・クラブは1つのエリアに固まっていて、私はギターを抱えてクラブをハシゴした。

同じ区域の劇場では、ヴォードヴィルをやっていた。

私たちはジャムセッションを一晩中していた。
アート・テイタムやロイ・エルドリッジとジャムしたよ。

質問

ニューヨーク行きを決めたのはいつですか?

レス・ポール

1936年だ。
当時、チャンスが転がる街はニューヨークかロサンジェルスだった。

私は自分のバンド、トリオのバンドを結成したんだ。

(※他のメンバーは、チェット・アトキンズの異母兄ジム・アトキンズがボーカルとリズムギターで、アーニー・ ニュートンがベースだった。)

私たちはニューヨークに着くと、有名なバンドリーダーのポール・ホワイトマンの事務所に行ってみた。

ホワイトマンには会えなかったが、ちょうどフレッド・ウォーニングが事務所に来ていた。

それで「僕らの演奏を聴いてくれませんか」と言ったら、彼は「ペンシルヴェイニアンズのメンバーを62人も抱えていて、連中を食わせられないんだよ」と答えた。

でも演奏を聴いて、雇ってくれたんだよ。

それから国中をツアーしたが、リーダーのウォーニング以上の手紙をもらったよ。
エレキ・ギターを止めろってね。

ある時、1つはアコースティック、もう1つはエレクトリックで録音してみた。

それを聴き返して、トリオの全員がエレクトリックが良いと言った。
それで腹が決まった。

質問

その頃のギターは、ギブソン製のピックアップでしたか?

レス・ポール

いいや。ピックアップは自作か、ギブソン製を改造していた。

ギブソン社の連中は、私のギターの配線がどうなっているのか、教えてくれと頭を下げてきたが、1967年まで教えなかった。

質問

あなたのピックアップの秘密とは?

レス・ポール

ロウ=インピーダンスなことだ。

私はエレクトロニクスの勉強をして、進むべき道はロウ=インピーダンスだと結論した。

プロ用のレコーディング・スタジオで、ハイ=インピーダンスのマイクを手渡す奴がいたら、アポだと思うだろう?

でもギターのピックアップは、ハイ=インピーダンスが主流だった。

ハイ=インピーダンスだと、特にライブ演奏でノイズを拾いやすい。

ケーブルの1本1本がコンデンサーになって、高周波の音が劣下するんだ。

質問

どうしてハイ=インピーダンスが主流になったのでしょう?

レス・ポール

安価だからさ。

ハイ=インピーダンスならそのままアンプにつないで増幅すればいいが、ロウ=インピーダンスだとアンプに送る前にトランスが必要になる。

質問

あなたの作ったソリッドボディのギターの第一号、「ザ・ログ」について教えて下さい。

レス・ポール

作ったのは1941年だ。

エピフォン社が日曜日に工房を使わせてくれてね。ログはそこで組み立てた。
エピフォンの連中も感心していたよ。

ログは、1940年代にカリフォルニアに住んでいた頃、ずいぶん使った。

当時、私はハリウッドで仕事していたが、レオ・フェンダーやビグスビーが私のログを見に来たよ。
鉄の入ったエピフォンのギターをね。

1945~46年に、そのギターをギブソン社に持っていったら、連中は「ピックアップ付きのホウキの柄」と呼んでいたな。

初めて多重録音したのは、(1948年リリースの)「Lover」だが、手製のアルミニウムのギターを使ったよ。

質問

アルミニウムのギターを作ったのですか?

レス・ポール

3~4本作ったんだ。
「Caravan」 「Brazil」の録音や、W・C・フィールズのセッションでも使ったよ。

でもライブで使ったら、スポットライトの熱でチューニングが狂うので、使えないと分かった。

質問

多重録音はいつ始めたのですか?

レス・ポール

1946年頃に、ハリウッドの自宅にスタジオを造ったんだ。

そこで「Lover」とか「Nola」など7曲を、多重録音で録った。

これはテーブ録音ではなく、ディスク(レコード盤)録音だ。

2台のレコードの機械を使い、1台に録音したら、それを再生しながら歌って、もう1台に録音するわけさ。

「Lover」には24のパートがあったから、それをくり返した。

テープにはモデュレンションの歪みがあるけど、ディスクには無い。
そこがディスクの優れた点だ。

でもディスクだと、レコード盤の中心にいくほど高音が失われる。

17インチのディスクの縁(外側)の近くに、78回転で録音することで、高音の問題を避けたんだ。

78回転で、イコライザーは33 1/3でやった。

8トラックのテープ録音が登場したのは1952年だが、私がアンペックス社に行って、アイディアを話したのさ。

私が使うものも作ってくれたが、使いこなすのに4年かかった。

その機械は、今でも私の持つ機材で最高のものだ。

質問

それほど古い機材が、どうして最高なんです?

レス・ポール

今は、皆が機械を小型化したがるからだよ。
トランジスタにしたり、ICチップにしてしまう。

だけど真空管のほうが性能は優れているんだ。

質問

最近のレコーディング技術はどう思いますか?

レス・ポール

必要の何倍もややこしくなっている。

多重録音をして学んだのは、機械に人が操られるということだ。

数トラックだけで充分な曲もある。

質問

レスポール・ヴェリザーとは何ですか?

レス・ポール

テープレコーダー用のリモコンで、ギターにマウントされている。

私が多重録音の作品を発表して気付いたのは、お客はそのレコードのサウンドを聴きたがることだった。

1つの声、1つのギターでステージに上がると、マズイことになる。

それで閃いたのは、歌手のメアリーの妹を舞台の袖に隠しておいて、メアリーと一緒に声を出させた。誰もが腰を抜かしたよ。

当時はテープ再生の機材はまだなかったんだ。

その後は、テープに録音したものを、再生することにした。

それでテープをコントロールするリモコンを、手許に持ったわけさ。

質問

演奏で大切にしていることは何ですか。

レス・ポール

一番大切なことは、胸を張っていることだ。
自分のプレイを聴かせることだ。

自信を持っていることを、人はすぐに察して、彼らも確信する。

修正しようとする限り、トラブルに巻き込まれる。

最近のギタリストは、殺菌消毒されたようなプレイだ。
まるで時計みたいで、メトロノームが音楽を演奏しているようだ。

機械みたいな演奏をすると、フィーリングは全て無くなってしまう。

どれだけ練習してきたかは吟味できるけど、多くの場合、そうしたプレイヤーは何も言っていない。

音楽とは表現なんだよ。

(2024年6月8日に作成)


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