タイトル楽譜の歴史

(『楽譜を読む本』5人の共著から抜粋)

〇ヨーロッパの楽譜史

五線譜は、ヨーロッパで生まれた楽譜で、音の高さと長さを視覚的に表せる長所がある。

五線譜の前にも、様々な楽譜があった。

すでに紀元前2500年くらいからエジプトの墓のレリーフなどに、旋律の動きを手振りで示す人の絵が描かれている。

古代バビロニアの粘土板にも、楽譜がある。

古代ギリシアの楽譜は、アルファベット、またはアルファベット状の記号を使ったもので、音の高さを表していた。
音の長さまで表したものもあるが、ほとんどが曲の断片である。

ローマ帝国(西ローマ帝国)の時代は、楽譜が残されていない。

これは、その後に権力を握ったキリスト教のローマ教会(キリスト教カトリック派)が、音楽は心を乱す有害なものとして、教会音楽を除いては排除したからである。

ローマ教会は、ローマ帝国時代の楽譜を消し去ったのである。

だから現存するヨーロッパにおいての本格的な楽譜は、9世紀のグレゴリオ聖歌(教会音楽)から始まる。

ちなみにグレゴリオ聖歌は、教皇グレゴリオ1世が編纂したと伝えられたからグレゴリオ聖歌と呼ばれてきたが、調査の結果、今日ではグレゴリオ1世の編纂ではないとされている。

西ヨーロッパでは、11世紀になると楽譜に横線を入れて、音の高さを正確に記そうとする試みが始まった。

しかしグレゴリオ聖歌は、歌というよりも神に捧げる祈りであり、重要なのは歌詞だった。

だからメロディやリズムは、かなり柔軟になっていて、当時のネウマ譜では音の高さやリズムをきっちり書く必要はなかった。

14世紀の初めに、それまでの楽譜は長い音符と短い音符の長さが3対1(3分割)が主流だったのが、2対1(2分割)になってきて、現在の楽譜に近くなってきた。

楽譜が現在の「五線譜」の形になったのは、17世紀である。

17世紀にスコア(総譜)も定着し始めた。

スコアは、すべての声部を同時に見ることができるように、各声部を上下に並べた楽譜である。

スコアは、遅くとも14世紀には登場したようである。

ちなみに楽譜が大量に出回るようになったのは、活版印刷術が登場して普及した16世紀の初めである。

だが17~18世紀においても、筆写(手書き)の楽譜は多く流通していた。

五線譜では、「音色」と「音の強弱」は曖昧にしか記せないし、細かなニュアンスは文字で指示して伝える努力するのが精一杯である。

さらに音の高さも、日本民謡のような微妙な節回しは書き表せない。

実のところヨーロッパでも、多くの音楽は「口伝」で継承している。

現在でも音楽教育の基本が個人レッスンなのは、楽譜に表せないものを口伝で教えるためと言ってよい。

しかし20世紀に入ってからは録音技術が発達したため、現在では音楽そのものを記録して継承することが可能になった。

メロディに短い音を付け足して華やかに飾ることを、「装飾」と言う。

民謡や演歌のこぶしも、装飾の一種である。

装飾は、本質的に即興演奏に通じるものがある。

装飾音を楽譜に記すのは、17~18世紀のフランスで盛んになった。
その後、18世紀の末からは装飾音も通常の音符と同じに記すようになった。

クラシック作曲家の楽譜の場合、同じ曲でも色々なエディションがある。

この原因は、楽譜を作るのに使った資料の違いである。

「実用版」とか「解釈版」と呼ばれるものは、作曲者が書いた通りの状態ではなく、弾きやすくしたり、自然な流れになるよう修正されたものである。

作曲者が書いた通りのものは、「原典版」とか「批判版」と呼ばれる。

〇日本の楽譜

日本に現存する最古の楽譜は、「天平琵琶譜」で、747年のものである。

声楽で最古のものは、981年の「琴歌譜」である。

最古の印刷楽譜は、1472年に高野山が出した「声明集」である。

日本では、音楽は師匠から弟子へ対面で教える方法で伝えられてきた。

だから楽譜はメモのような役割で、大まかな輪郭を示すものと言える。

明治時代からは、欧米文化の輸入により、五線譜が普及した。

日本の伝統音楽では、合奏曲でも総譜は少なく、パート譜だけなのが普通である。

それぞれの楽器の独立性が強い。

また楽譜は、基本的に縦書きである。

(※私は祭り囃子を習った経験があるが、パート譜だけなこと、縦書きなのは、その通りだった)

「唱歌」は、楽器の旋律を覚える時に使う、歌のことである。

旋律を擬音語で表し、「チーラーロオルロ」や「オヒャラーイホウホウヒー」や「チントンシャン」などと言う。

これは、指使いや演奏法を示している。

唱歌は、音楽の伝達に大きな役割を果たしてきた。

(※私が祭り囃子の笛を習った時も、ヒャラホロ、ホフー、トーヒーといった旋律を書いた譜面が使われた)

〇アジアの楽譜

日本を含む東アジアでは、楽譜が昔から使われてきた。

中国で最古の楽譜は、6世紀後半の琴の楽譜である。

しかしもっと古い「管子」や「韓非子」に、楽譜に関する話が出てくる。

朝鮮では、音の長さを表せる楽譜として、15世紀に「井間譜」(チュンガンポ)が登場した。

西アジアの音楽では、半音よりも狭い音程差を用いる。

そこでイランでは、全音を4つに分けて、フラットの半分を「コロン」、シャープの半分を「ソリ」という記号で表す。

トルコでは、全音を9つに分けて、それを楽譜に表している。

〇タブ譜(タブラチュア)

ギターの譜面では、どの弦の何番目のフレットを押さえるかを示す、「タブラチュア(奏法譜)」がよく使われる。

タブラチュア(タブ譜)では、数字が書いてあって、押さえるフレットを示す。

この譜面は、音の高さをそのまま示す楽譜ではないので、ギタリストでないと音の高さが分かりづらい。

〇楽譜の本質

学校で音楽を教わると、初めに楽譜がありきだと勘違いしてしまうが、本質的には音楽が楽譜よりも先であり、音楽を書き取ったものが楽譜である。

世界にある音楽のほとんどが即興性を持っており、西洋音楽でも即興演奏は少なくない。

楽譜で伝えられることには限界があり、音楽を完全には記録できない。

楽譜とは、音楽そのものではなく、一種のメモである。

実際にモーツァルトのピアノ・ソナタを見ても、作曲者が楽譜に書かなかった音の強弱やテンポの変化を、演奏者が独自に入れている。

とはいえ音を録音する技術が登場するまでは、楽譜はとても重要だった。

過去の作曲家たちは、世界の多様な演奏や、録音された演奏に触れる機会は無かったから、楽譜からもっぱら学んでいた。

録音技術が登場してからは、作曲家は楽譜に表せないことも、自ら録音することで細かく表現できるようになった。

さらに近年は、楽譜を電子データにするのが可能となり、楽曲を簡単に持ち運べるようになった。

現在では、作曲コンクールに応募する作品の半数が、コンピュータ・ソフトを使って書かれた楽譜である。

「フィナーレ」「シベリウス」というソフトが安価で使いやすくなり、作曲用のソフトで楽譜を書くのが多数派になりつつある。

小説家のほとんどがパソコンで書くようになったのと同じである。

コンピュータで作曲すると、その音を鳴らして確かめるのが簡単にできるし、パート譜も一瞬で作れる。
これがコンピュータで作曲する大きなメリットである。

(2023年1月21&25日に作成)


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