(『貧困襲来』湯浅誠著から抜粋)
⑥ ぼやく
私が喫茶店で原稿を書いていたら、隣に座った20代後半とおぼしき女性2人が、こんな会話をしていました。
A
「私、年収が300万円にいってないんじゃないかな?
月収は23万だし、ボーナスだって3.5ヶ月分だからさ。」
(2人で源泉徴収票を見比べて)
A
「(月額で)厚生年金が1.8万円だよ。」
B
「雇用保険って何?
3500円ってさ、1年にすれば4万弱だよね。
私は4年務めたからさ、16万円だよ。
やってられないよ。」
社会がおかしな方向に進んでいる、その感覚は多くの人が共有しています。
しかし多くの人は、集会やデモに参加しないし、選挙の投票もしません。
一般労働者の最大の抵抗は、『撤退すること(辞職すること)』になっています。
飲み会などで勤め先のひどい状況の話になると、出てくる言葉は決まって「辞めてやる!」です。
多くの人は、それ以上の抵抗(賃上げや待遇改善の要求)は、選択肢に入っていません。
「頑張りすぎるな。逃げちゃえばいい。」が、社会の様々な分野で囁かれています。
多くの人が「抵抗としての撤退(辞職)」を選んでいく中で、企業や権力者はどうしたか。
「お願いだから戻ってきて下さい。もっと居心地の良い状態にしますから。」と白旗を揚げただろうか?
残念ながら、違います。
投票率が50%まで落ち込んでも、権力者(与党の政治家)は慌てるどころか、有権者全体の25%ちょっとの票を得ただけで「過半数をとった」と言って、好き放題に法律を変えてきました。
企業も、辞めなかった人達に対して「辞職した人を見ろ。ああはなりたくないだろ?」と脅して、長時間労働やサービス残業を強制してきました。
挙句の果てには、「公務員や正社員は優遇されすぎている」と言い出して、その人たちの安定まで切り崩そうとしています。
最近では、労働条件が悪いのが、当たり前になっています。
『残れば過労死、退けば貧困』という状況が生まれています。
それなのに、連帯して経営陣と対決するのは、ウケないし特殊な事と見られています。
まず、ぼやいてみよう。
みんな不満があるはずです。
不満を飲み込ませてしまう装置(自己責任論)が働いているから、「甘えた事を言ってんじゃねー」とか「別にここで一生働くつもりはないから」といった、残念な反応に皆がなっています。
⑦ はじける
「はじける」には、色々なレベルがあります。
告発する・訴える・怒りを爆発させる、いずれにせよ声を挙げよう。
フランスでは市民運動が盛んで、10~30万人規模のデモが行われています。
失業者やホームレスの運動も、空き家を占拠したり、自分たちで大学を創ったり、セーヌ川沿いにテントを並べて政治家に対策を約束させたりと、勇ましいです。
フランスでも1990年代の途中までは、そこまで活発ではなかったのです。
それが、94年にホームレスが思い切って繁華街の空きビルを占拠したところ、世論の支持は大きくて、状況が変わりました。
思い切って殻を破ってみたら、意外に人は集まるのではないでしょうか。
政府の推進する「再チャレンジ」に乗るよりは、試みる価値があると思います。
⑧ つながる・群れる
はじける行動は、1人でやっていても上手く行きません。
会社と交渉するには、労働組合に入ったほうがいい。
労働組合には、会社と交渉する権利があります。
「労働組合に魅力がない」という人は多いですが、組合全体の活性化をすればいいのです。
貧困を解決するには、群れる必要があります。
労働組合だけでは解決できないし、福祉活動だけでも解決できません。
いろんな分野が繋がり、多方面から声を挙げる必要があります。
2007年3月24日に東京で、「もうガマンできない! 広がる貧困」という集会を開きました。
各分野で活躍している人に声を掛けましたが、皆が二つ返事で参加してくれました。
それは、各分野で貧困問題にぶち当たっているからだと思います。
民主主義国では、数で勝負が決まります。
どう考えても、こちらの数(労働者の数)の方が多い。
権力者や企業家は、持っているカネの数で上回っているだけです。
⑨ 攻める
繋がり群れたら、次は攻めよう。
あまり報道されないから目立たないのですが、攻めて勝ち取った実績はかなりあります。
生活保護をめぐる裁判では、7割という驚くべき勝率を誇っています。
労働組合の団体交渉でも、多くのことを勝ち取っています。
勝つ理由は単純で、現場でめちゃくちゃな事が行われており、法律違反が頻発しているからです。
労働基準法、生活保護法、憲法などは、まだ私たちに味方しています。
「まだ」と言うのは、法律を変えてしまおうと向こう側は考えているからです。
これを変えられてしまったら、私たちは法律を盾に闘えなくなります。
そうならないためには、こちらも攻めるしかありません。
⑩ 変える
最終的には、人々が普通に暮らせる貧困の無い社会に、変えよう。
真面目に働いても暮らしが成り立たないような社会は、どうかしている。
年収が1億円の人と100万円の人に分かれていくなんて、どうかしている。
働けない状態になった人が福祉事務所に行ったら、「甘い」と言って追い返されるのは、どうかしている。
国民の大多数が貧困に向かっているのに、自分だけが浮かび上がるなんて起こりにくいです。
現状で諦めてしまえば、残された選択肢は「自分だけは何とか生き残ってみせる」しかありません。
しかしそれは、社会を変える運動よりも難しい。
なぜなら、千人に1人が勝ち残るような競争だからです。
999人の人が、「千人に1人が勝つなどおかしい。俺たちはバクチを打つために生まれてきたんじゃない。」と言い出せば、状況は変わります。
人々をバクチへと誘う『官製の夢』は、効力を失いつつあります。
「それは夢ではなく、すでに利権を持った人々の、利益擁護のための方便である」と、気付いた人々が増えています。
仕事も教えられず、名前も憶えてもらえず、作業が遅れれば怒鳴られ、何の保障もなく、1日単位で放り出される労働。
そんな非人間的な労働さえ、進んで就かなければ「楽をしている」と非難されてしまいます。
安倍晋三・政権の進める『カジノ・ジャパン(再チャレンジ社会)』では、勝負に出ない人は「根性無し」になります。
まるで、人間の定義が変わってしまったかの様です。
そんな社会に「ノー」を突きつける言動は、肯定されるべきです。
野宿も、生活保護受給も、引きこもりも、ニートも、それは無為ではなく、ボイコットなのです。
私たちは、もっと怒っていい。
怒りにフタをしようとする価値観(自己責任論など)を、疑っていい。
権力者の用意するいかさまカジノで勝ち目のない賭けをするのではなく、社会から貧困を無くす活動に賭けよう。
(2014.7.30.)
【次のページ】に進む