下山事件と亜細亜産業

(『占領下日本』対談本から抜粋)

(※以下は、半藤一利、竹内修司、保阪正康、松本健一の対談です)

竹内修司

松本清張の著作『日本の黒い霧』では、下山事件などの背後にアメリカの謀略があったと見ています。

下山事件では、2005年に柴田哲孝が『下山事件ーー最後の証言』という本を出しました。これは非常に信憑性があると思われる。

この本の前にも、諸永裕司と森達也が下山事件のことを書き、亜細亜産業という会社が深く関わっていると述べた。

亜細亜産業は、三浦義一と矢板玄の2人、満州で矢板機関という特務機関をやっていた人間が中心となった、右翼浪人の組織です。

満州時代の特務機関の殺し屋とかが集まっていた組織で、そこに白洲次郎や佐藤栄作が参加していた。

松本健一

三浦義一は、児玉誉士夫との関係も深いですね。

竹内修司

矢板玄と児玉誉士夫の仲は微妙で、玄は誉士夫をうんと悪く言ってます。

三浦義一、田中清玄、迫水久常、伊藤律、鍋山貞親、西尾末広たちは全部、亜細亜産業に集まって、一種のサロンになっていた。

亜細亜産業のビルの上階に事務所があって、そこに三浦義一がいた。

松本健一

三浦事務所が室町にあるので、三浦義一は「室町将軍」と言われてましたね。

竹内修司

そうです。

下山事件の轢断現場は、東武伊勢崎線ガード下の、国鉄・常磐線の下り方面の線路上でした。

その近辺に、亜細亜産業の工場があったのです。

亜細亜産業は生ゴムと称していたけれど、どうやら麻薬を扱っていたらしい。

この右翼浪人の組織が、密接に下山事件に絡んだと矢板玄は証言しているのです。

ジャック・キャノン少佐に率いられたキャノン機関は、元々はG2のチャールズ・ウィロビーの下で働いていましたが、下山事件のあった1949年には日本にCIAが入ってきて、キャノン機関はCIAの傘下に入ってました。

それで亜細亜産業ですが、最初のうちはG2やCICの下請けでしたが、この時期には対等な立場になってきて、キャノン機関を活動の隠れ蓑に使っていた。

あの当時、キャノン機関といえば(GHQといえば)日本の警察は手を引く状態でしたから。

ジャック・キャノンは、下山定則が殺されたと聞いた時、仰天して「えっ!」と言ったそうです。ですからジャックが殺したのではない。

で、柴田哲孝の『下山事件ーー最後の証言』によると、矢板玄は下山事件をこう語っています。

あの当時、国鉄は贈収賄の巣だったと。
国鉄の施設やその工事に莫大な金がかかり、ほとんど全部で何%かずつ吸い上げられていたと。

吸い上げた金が、亜細亜産業と三浦義一のグループに集まっていた。

ところが新たに国鉄総裁となった下山定則は、技術者上がりの正義漢で、国鉄の労働組合と気脈を通じていた。

当時の国鉄の方針は、インフレを抑えるためのドッジラインなどの影響で、9万5千人もの首切りをやろうとしていた。

下山定則は国鉄育ちなので、その首切りを止めたかったのです。
そこで国鉄が贈収賄の巣になっているのを知っているから、それを暴露して首切りを抑えたい腹づもりがあった。

だから下山事件の直前に、佐藤栄作に会いに行ったり、吉田茂の所へ寄ったり、法務省まで訪ねて行った。

だが、そういう暴露をされてはかなわないと思う連中がいた。

その一方で、あの時期に「アメリカ対日協議会(ACJ)」というのが出来た。

これは明らかにGSに対するG2の巻き返しを狙うもので、GSの民主化路線を止めて、財閥の復活と公職追放の廃止を目指すものでした。

その尖兵になったのが、ニューズウィーク誌の外信部長のハリー・カーンです。

ハリー・カーンがACJを作り、そこに白洲次郎や佐藤栄作が集まって来た。

白洲次郎は、GSのチャールズ・ケーディスの追い落としを画策し、チャールズと鳥尾夫人の愛人関係を暴露して追放した。

そうやって、アメリカの資本家が日本に入ってくる道をつける役割を、ACJが果たした。

これにより、ディロン・リード社など、アメリカの財閥が日本にやって来た。

「そのアメリカ財閥が日本の国鉄を乗っ取ろうとした」というのが、矢板玄の語る下山事件の構図です。

ACJの日本側の主要メンバーが、澤田夫妻(澤田廉三と美喜)です。

澤田廉三は、戦前には外務次官や駐仏大使をし、戦後は国連大使になったりした。

澤田美喜は、「エリザベス・サンダーズ・ホーム」を作った人物です。
「エリザベス・サンダーズ・ホーム」は、矢板玄が言うには一時期CIAの出先の本部だった。

美喜は三菱財閥の一族です。

三菱には、ディロン・リード社と組んで国鉄民営化で儲けるという構想があった。

下山総裁はその障害だったから、CIAと亜細亜産業が合同で殺したと、矢板玄は語った。

松川事件の時は、東芝が絡んできたが、あの時も東芝がもの凄い首切りをしようとした。

当時の東芝社長だった石坂泰三は、ディロン・リード社と組んで、リード財閥から資本を導入しようと必死だった。

松本健一

私は、二・二六事件で刑死した北一輝を調べてきたのですが、一輝の遺書を京都大学の人文科学研究所が買ったのです。

人文研は、児玉誉士夫から今の2千万円ぐらいで買ったようです。
当時の誉士夫は、ロッキード事件に連座して人脈もお金も無くなり、持っている物を売って生活していた。

誉士夫がなぜそれを入手したかというと、彼は戦時中に日本軍とつるんで大金を得たが、それでは正統性のある右翼ではない。
そのため一輝の遺書で正統性を得ようとし、1千万円で買った。

で、誉士夫は遺書を三浦義一から買ったのですが、義一は北一輝の遺族の生活補助をし、一輝の未亡人から譲られたわけです。

竹内修司

三浦義一は、『下山事件ーー最後の証言』の中にある矢板玄の証言によると、戦時中に(日本政府と日本軍が)集めた金とかダイヤモンドを持っていた。

半藤一利

戦時中に国民から供出された物を、持っていたというのでしょう?

竹内修司

亜細亜産業の入っているビルに三浦義一の事務所があり、そこに金の延べ棒があったそうです。

松本健一

三浦義一は株で儲けたのではないのですか?
私はそう思ってました。

竹内修司

それは表面だけの事かもしれません。

吉田茂は三浦義一の事務所に出入りして、自由党の結党資金をもらったと。

矢板玄によると、児玉誉士夫から出た資金はむしろ少なかったそうです。

松本健一

児玉誉士夫が自民党の結成(自由党と民主党の合併)のために金を出した話は、有名ですね。

半藤一利

保守合同(自民党の結成)の時、「三浦義一がうんと金を出した」と、評論家の御手洗辰雄が言っています。
辰雄もかなり関与してますからね。

辰雄は、義一と仲が良く、「保守合同は誉士夫だけでなく義一もバーンと出した」としょっちゅう言ってました。

松本健一

亜細亜産業を見ていくと、下山事件についてGHQとは別の人脈が見えてくる。

半藤一利

だけど当時の三菱財閥には、国鉄の乗っ取りに加わる力はないのでは?

竹内修司

そこはやや曖昧です。

ちょっと話は別ですが、澤田廉三は亜細亜産業によく顔を出していたという。

半藤一利

三菱はもう財閥として解体されてますよね。

竹内修司

財閥解体の前に国鉄民営化の話が出たが、解体の方が話が進んでいったのです。

三菱は輸送事業にすごく関心があって、満州鉄道にも出資していたし、戦後に国鉄民営化をやりたいと思ったが、財閥解体でポシャってしまった。

もう1つ別の話として、「対日見返り資金」というのがあった。

これは、アメリカが日本の産業復興のために金を出し、それを(日本政府から)返済してもらったら、もう一度日本に投資する。

その資金がかなり潤沢で、亜細亜産業に流れていたらしい。

あとは、亜細亜産業の稼ぎは麻薬が主だった。

「阿片王」と呼ばれていた里見甫は、関東軍と結託してアヘンの製造と販売をしていました。
彼も亜細亜産業に繋がっているのでしょう。

松本健一

話は変わりますが、荒木光太郎の妻・光子は、GSのチャールズ・ケーディス大佐ととても仲が良かった。

荒木光子は、戦前のスパイ事件のゾルゲ事件にも関与が取り沙汰された者で、ドイツ語も英語も上手だった。
小尾俊人の本『本は生まれる。そして、それから』に書いてありました。

半藤一利

実はね、松本清張が死ぬ間際に、GHQをもういっぺん取り上げようとした。

私はその手伝いをしていたが、服部卓四郎の率いる服部機関をテーマにしていた。

服部機関とケーディスの日本再軍備工作の中に、M夫人が出てくる。
それが荒木光子だった。

M夫人を狂言回しするつもりだったが、清張は筆を執る直前に亡くなったのです。

松本健一

荒木光子は、戦前はドイツ大使館に入り込んでいて、荒木光太郎がドイツ留学をしている時に結婚し、日独協会の会長をした経歴があるらしい。

彼女は三井財閥の娘です。

ゾルゲと話す時には、ドイツ語やロシア語で話した。

そして戦時中に突然に消息不明になった。
ゾルゲ事件で一時逼塞していたのかも。

ところが敗戦後に再び表に出てきて、GHQのチャールズ・ケーディスとすごく仲良くなった。

竹内修司

『下山事件ーー最後の証言』の著者の柴田哲孝は、祖父が亜細亜産業の有力メンバーなのです。元々は特務機関員で。

僕は以前、鳥尾鶴代の書いた『私の足音が聞こえる』という本を出した事があります。

その中に「日本国憲法の制定のころに内閣書記官長だった楢橋渡が、外国語のペラペラな日本婦人を集めて、GHQの要人と一緒に何回もパーティをした」とある。

その中に荒木光子もいたかもしれない。

半藤一利

要するに、下山事件はその後の国鉄の事件(松川事件や三鷹事件)とは関係ない、という事ですか。

保阪正康

下山事件については、私が戦前に情報機関に関与した人々から話を聞いたら、「かつての日本の特務機関の連中が絡んでいる」と言ってました。

下山事件は、松川や三鷹と関係ないと思います。

松本健一

片島紀男が『三鷹事件ーー1949夏に何が起きたのか』を書いてます。

全体の感触とすれば、松本清張(日本の黒い霧)と同じ路線です。

保阪正康

片島紀男は2008年に亡くなりましたが、戦後史の不透明な事件を追いかけた人です。

竹内修司

松川事件と三鷹事件は、清張の見方以外は今に至るまで出てませんね。

松本健一

全体の構図は、清張の作ったものを壊すものは出てません。

竹内修司

森達也の『下山事件』、諸永裕司の『葬られた夏、追跡下山事件』、柴田哲孝の『下山事件ーー最後の証言』、この3冊は全て亜細亜産業路線なのです。

松本健一

いま騒がれている北朝鮮の拉致問題だって、「ユニバース・トレイディング」という貿易会社がかなり絡んでいるわけでしょう?

トンネル会社かもしれないけど、そこに皆が入っている事は否定できない。

保阪正康

旧日本軍の参謀本部の班だって、特別チームは民間会社という形で看板を掲げていましたからね。

半藤一利

松川事件では、私は「諏訪メモ」を出した諏訪親一郎に取材した事があります。

そうしたら「被告のほとんどは無罪だが、被告団の中にも犯人の一部はいる」と言う。

親一郎の説では、あれは東芝の労組と国鉄の労組が共同してやった事で、GHQとは全く関係ない、だった。

で、判決が下りてだいぶ経ってから、もう一度取材に行ったんです。

そしたら自説を引っ込めちゃって、「判決が下りた今になれば全部無罪です」と。

三鷹事件でも、犯人とされた竹内景助が刑務所に居るときに、取材に行きました。

景助は、「お前が自白して一人で罪を被ってくれれば、必ず裁判で無罪にする」と弁護士に言われた、と手記に書いている。

やっぱり松本清張のこれらの事件を取り上げた本は面白いんですね。

竹内景助らの説明には、それなりの真実味も感じられるが、もっと裏側にあったのではないかと思うわけです。

松本健一

清張の構図だと、三鷹事件も下山事件もみんな絡んで、占領軍の謀略の構図になる。

半藤一利

これらの事件には、G2とGSの相剋も絡んでいました。

竹内景助は単なるチンピラで、上のほうの抗争や謀略は知らない。

諏訪親一郎もそうで、上のほうで何をやっているか知らないし、視野の中にも無いのですよ。

だから「松本清張のほうが正しいのではないか」と、今でも思います。

竹内修司

下山事件では、下山定則が末広旅館で休んだというのが、自殺説の最大の根拠になっています。

ところが柴田哲孝の本によると、証言をした末広旅館の女将は、旦那が特高の元警部なのです。女将の証言は嘘だったと書いています。

それとは逆に、松川事件の被告でもあった佐藤一の書いた『下山事件全研究』は、自殺説です。

保阪正康

結局のところ、1949年に大きな事件が3つもあったのは、偶然ではないでしょう。

チャールズ・ウィロビーの率いるG2は、東京駅前の日本郵船のビルに本部があったのでしょう?

あの辺りには正体不明の会社が数多くありましたね。

竹内修司

その中の1つが亜細亜産業なんです。

半藤一利

1949年は、G2とGSの抗争のクライマックスなんですよね。

松本健一

だから、GHQの権力闘争を理解しないと。
日本だけの構図を見ていると分からなくなる。

保阪正康

有り体に言えば、ウィロビーを中心にしたG2が日本を食い物にしたと見ていい。

チャールズ・ウィロビーの回顧録を読むと、それが分かる。

竹内修司

『下山事件ーー最後の証言』の味噌は、著者の祖父が特務機関員で、矢板玄の部下だったこと。

矢板玄は黒幕だが、さらにその奥に三浦義一がいるという構図です。

保阪正康

『入江日記』を読んでいたら、1958年の皇太子と正田美智子の婚約の時に、皇族も多く加わっている学習院女子部の同窓会である常盤会が反対し訴え出ようとした。

それを三浦義一が抑えたと書いてある。1958年12月22日の記述です。

松本健一

三浦義一は、右翼団体の大東塾や影山正治や、文芸評論家の保田與重郎と付き合いが深くなる。

それで木曾義仲を祀っている大津の義仲寺を再建する金を出した。

半藤一利

とにかく、1960年に松本清張は『日本の黒い霧』を書いており、目の付け方に感心します。

松本健一

清張は、その前に書いた進駐軍の兵士に妻を強姦された夫の報復を描いた『黒地の絵』など、底辺の人々がいかに苦労するのかを書いている。

その構図で見ていくと、占領軍という暴力組織に日本が蹂躙されたという見方になります。

竹内修司

下山事件など一連の事件には、左翼運動を減殺する意図があったと言うのですよね、清張は。

保阪正康

G2のチャールズ・ウィロビーは、抗争相手だったGSのスタッフを調べる調査網がすごい。

それは彼の回顧録『知られざる日本占領』に書いてある。

女性関係がどうだとか、とにかく詳しく書いている。

竹内修司

日本の警察もGSの人達を内偵していたのです。チャールズ・ウィロビーの命令で。

そうやってGSのケーディス一派を1人ずつ潰した。

保阪正康

あの時代、警察には国系と自治体系がありましたね。

竹内修司

そうそう、斎藤昇・国警長官も亜細亜産業に出入りする名前として出てます。

吉田茂らとグルになって、亜細亜産業で画策したらしい。

そして白洲次郎も入り浸り、G2にも取り入って、GSの連中を追い出そうとした。

保阪正康

帝国ホテルも使ったのではないですか。帝国ホテルはチャールズ・ウィロビーの定宿だったから。

竹内修司

あそこに吉田茂は、よく忍んで行ったという話ですよね。

白洲次郎は、様々な暗躍をしていて、『下山事件ーー最後の証言』の最後に出てきますが、電源開発が9つに分かれた時に陰で取り仕切っている。
そして東北電力の会長になる。

官から民営へという話の時に、この人がいるのです。

半藤一利

あの時の白洲次郎の暗躍ぶりはすごいですよ。

(2020年3月15~16日に作成)


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