(以下は『日本20世紀館』小学館発行から抜粋)
1945年9月22日にアメリカ政府が発表した、『(日本の)降伏後における米国の初期の対日方針』では、人権を弾圧する法規の廃止や、政治犯の釈放を定めていた。
同年9月26日に三木清(哲学者)が豊多摩拘置所で獄死すると、外国人記者や在日朝鮮人などが政治犯釈放の運動を活発化させた。
1945年10月4日にGHQは、『政治的・民事的・宗教的な自由に対する制限の撤廃に関する件』を、日本政府に指令した。
その内容は次の4つである。
①政治犯の釈放
②思想警察の廃止
③内務大臣、警察首脳、全国の思想警察および弾圧に関わる官吏の罷免
④市民の自由を弾圧するいっさいの法規の廃止ないし停止
かくして政治犯は釈放され、内務省の特高課・外事務・検閲課は廃止された。
特高警察は5千名が罷免されたが、罷免は現職に限られ、多数の元特高が残留し、1946年1月の公職追放からも逃れた者が少なからずいた。
45年11月までに、軍機保護法、言論出版集会社等の臨時取締法、治安維持法、思想犯保護観察法、治安警察法など、弾圧法規は次々と廃止された。
他方で、婦人参政権獲得を目指す運動のリーダーだった市川房枝は、1945年8月25日に「戦後対策婦人委員会」を組織し、9月にGHQに女性の参政権を求めると決議した。
1945年10月11日に、ダグラス・マッカーサーは、幣原喜重郎・首相に「五大改革指令」を与えた。
その内容は、次の5つである。
①女性への選挙権の付与
②労働組合の結成の奨励
③自由な教育を行う学校の開設
④秘密警察の廃止
⑤経済機構の民主化
同年11月3日に、市川房枝を会長として「新日本婦人同盟」が設立された。
綱領には「女性の解放」が掲げられた。
12月17日に、女性に参政権を与える『選挙法の改定』が公布され、真の普通選挙がついに実現した。
(以上は2025年1月5日に作成)