タイトル敗戦後の日本文学と文壇

(以下は『物語 戦後文学史・中巻』本多秋五著から抜粋)

1949年は、『綜合文化』、『玄想』、『思潮』、『知識人』、『表現』、『個性』、『潮流』『思索』などの雑誌が廃刊した。

出版社の金づまりが原因だった。

鎌倉文庫の『人間』も、11・12月合併号を最後に、目黒書店に身売りした。

上の諸雑誌の廃刊は、風潮の変化も影響していた。

青野季吉は『文芸年鑑』1950年度版に、こう書いている

「1949年の文壇は、戦後の混乱や解体をふまえた虚妄の文学というべき一連の作品が、魅力を失い、それに属する作家の衰弱が目立った。
これは人心の安定と関連があった。」

『展望』の1950年8月号に載った、匿名の文章が、心憎いほど筋が通っているので紹介する。

「よその国では戦後に新しい文学観や人問観が起きたが、日本はそうした改新はほとんど起きず、ただ戦後派と名乗る作家や批評家の一群が現われて文壇の乗っ取りを企てた。

だが実力不足から、旧文壇の逆襲を食い、今では冷飯を食っている。

こういう戦後派の典型は『近代文学』の同人たちであり、その中心は平野謙、荒正人、小田切秀雄、本多秋五らである。

彼らの一番の欠点は、旧文学(戦前・戦中の文字)に対する批判をしながら徹しきれず、世渡りのため小利口な打算が出たことだ。

概観すると、戦後派の批評家で伸びそうなのは福田恆存くらいである。

椎名麟三や野間宏は手探りで新しい道を切り抜こうと努めてきたが、混迷と苦悩の色を濃くしている。

旧文壇とつながりのある武田泰淳、三島由紀夫、大岡昇平などが、将来を約束されていると見える。

こんなわけで、ろくに文章のかけぬ青年が作家ヅラできたのは、昔話になったといってよい。」

1950年は、ゲオルギューの『二十五時』、オーウェルの『ー九八四年』、サルトルの『汚れた手』と『自由への道』、ケストラー『真昼の暗黒』、カミュの『ペスト』が翻訳され、文学界を賑わせた。

外国文学の翻訳権の獲得は、1948年から次第に幅を広げていた。

1950年上半期の芥川賞が、辻亮一の『異邦人』に与えられたのも、当時の空気と関係があっただろう。

(以上は2025年1月17日に作成)


BACK【日本史の勉強 敗戦・GHQの占領下~形だけの独立まで】 目次に戻る

目次【日本史の勉強】 トップページに行く

home【サイトのトップページ】に行く