(『1945日本占領 フリーメイスン機密文書が明かす対日戦略』徳本栄一郎著から抜粋)
1954年10月12日に、吉田茂・首相、その娘の麻生和子・夫妻、官房長官らは、ローマ(バチカン)で教皇ピウス12世と会談した。
この事を、当時のカトリック新聞が伝えている。(54年10月31日付)
「吉田首相は、日本のカトリック教会が福祉に貢献していることに感謝の意を表した。
これに対し教皇は、日本の福祉にいつでも尽くすと述べ、金製のメダルを授与した。」
私は何か腑に落ちなかった。
カトリック教会へ感謝のために、首相がわざわざローマまで行くだろうか?
答えは、機密解除された外務省の文書に見つかった。
駐バチカンの日本公使が、緒方竹虎・副首相に宛てた報告書である。
「吉田首相は教皇に謁見の際、日本人の戦犯および俘虜に関するバチカンの尽力を謝した上で、なお700名の戦犯が抑留されており、関係各国に速やかに釈放を依頼することへの助力を得たいと述べた。
教皇は受諾した。」
当時、海外にまだ日本人の戦犯が抑留されていた。
1953年6月27日に、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領は、日本人の戦犯に特赦令を出した。
戦犯全員を釈放して、帰国を認めるものだった。
エルピディオは、フィリピンが日本の占領下だった時に、家族を日本軍に殺されており、強い反日感情を持っていたはずだ。
その彼を特赦令まで動かしたのは、ローマ教皇だった。
ローマ教皇の使節として、エジッジョ・ヴァニョッツィ大司教がフィリピンに行き、カトリック信者のエルピディオを説得した。
上にある吉田首相の感謝したバチカンの尽力とは、これを指すと思われる。
私はエジッジョ・ヴァニョッツィの名を見て、思わずハッとした。
エジッジョは第二次大戦中にローマで、OSSの工作員であるマーティン・キグリーから、対日本の和平工作を依頼された人である。
(※この件は、『1945年にOSSが行った日本との和平交渉』に詳述してます)
余談だが、吉田茂は生前、「死後にカトリックの洗礼を受けたい」と希望していた。
このため娘の麻生和子は、茂が死去すると浅尾文郎・司教を呼んで洗礼を行った。
洗礼名は「ヨゼフ・トマス・モア」である。
(2021年10月6日に作成)