タイトル日本が日露戦争の講和条約で得た利権

(『馬占山と満州』翻訳・陳志山、編訳・エイジ出版から抜粋)

ロシア帝国は1896年に、清国との間に条約(露清の密約)を結び、ロシアが清の東北地方で敷設する東清鉄道について取り決めをした。

この鉄道敷設権には、鉄道地域内での行政権、司法権、森林の伐採権、鉱山の採掘権など、様々な特権も付いていた。

ロシアは東清鉄道における行政権を得たわけだが、それは「付属地」の設定であって、租界と同様あるいはそれ以上の特権であった。

この特権は、1905年の日露戦争の講和条約で東清鉄道が日本のものとなったので、そのまま日本に譲渡された。

「付属地」は、「鉄道線路の路盤、および両側の一定の区画の停車場と付属施設を含む」とされ、駅周辺の市街地を含めれば広大な面積となる。

こうして日本は、満州(中国の東北地方)に付属地という名の「日本人の居留地」を得た。

日本では満州熱が高まり、1906年に満鉄(南満州鉄道)が創られると、次々と付属地に移住していった。

日本は日露戦争後に、遼東半島を租借地として手に入れ、「関東州」と名付けた。

そこに2個師団を鉄道守備隊として常駐させた。

満鉄は各付属地に、市街地、小学校、商工会議所などを整備し、広範な行政権を行使した。

付属地では日本領事が司法権を持ち、関東都督・満鉄・領事の「三頭体制」を展開した。

(2021年6月2日に作成)


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