前回の日記では、漫画家の芦原妃名子(あしはらひなこ)さんがテレビドラマ化をめぐって苦しみ、自殺してしまった件を取り上げました。
この件では、その後、様々な方がコメントを発し、中には業界の内情を語る人もいて、情報公開が進んでいます。
そうした情報発信(情報公開)の中でも、特に私が勉強になった2つを、今日は取り上げます。
1つ目は日本漫画家協会の理事長をしている、漫画家の里中満智子(さとなかまちこ)さんの話です。
「AERAdot.」というサイトでインタビューを受けた里中さんは、とても説得力のある、クリエイターを勇気づける事を述べています。
2つ目は、漫画家の佐藤秀峰(さとうしゅうほう)さんの話です。
彼は自分のnoteにおいて、自作の映像化で起きたトラブルや苦悩を語っています。
漫画家さんの立場がよく分かる内容で、とても勉強になりました。
ちなみにnoteとは、文章などの投稿をするサイトです。
ブログみたいな感じもありますが、文章だと論文的で真面目なものが多いです。
以下に、里中さんと佐藤さんの話を抜粋しつつ、私の感想や意見を( )内に書いていきます。
〇里中満智子さん(漫画家)の話 (AERAdot.の2月3日の記事から抜粋)
私は、ドラマやアニメなどの二次創作は、原作とは別の世界と思っています。
というのも自分の少女時代に、好きな漫画がアニメ化されて、満足したことがなかったんです。
原作ファンとして、「このキャラはこんな声ではない」とか、否定したくなる点が次々と出てきました。
たとえば手塚治虫先生の『鉄腕アトム』は、漫画だと、世の中の不条理に対する独特の絶望感が漂っています。
その暗さが好きでしたが、アニメでは、小さな子ども向けにすっきりと明るくなってました。
アニメ版も手塚先生が手掛けてましたが、夕方にお茶の間で流れるテレビアニメだと、まったく違った表現になるんだなと。
( アニメを見て、「このキャラにこの声はおかしいだろ」という違和感は、私も感じたことがあります。
私は『スラムダンク』の漫画をとても愛読していたので、アニメを見た時に「こんな声じゃないだろ、こんな性格じゃないだろ」違和感だらけでした。
アニメ版の『スラムダンク』は、絵も汚い感じで、漫画と全然違うと思いました。
結局、アニメ版は1度見て怒りを覚えるほどに違和感があったので、2度と見ませんでした。
逆に『鉄腕アトム』は、私はアニメを先に見たので、楽しく見られました。
大人になってから漫画版を見た時に、アニメと違うので戸惑いました。
ちなみに『鉄腕アトム』は、アニメは白黒のバージョンとカラーのバージョンがあり、子供の頃に両方見ています。
大人になってから、白黒のバージョンは、日本初の本格的なアニメ作品だったと知りました。
里中さんは「アニメでは話がすっきりと明るくなっていた」と語ってますが、その一因には『鉄腕アトム』が最初期のアニメで、技術とノウハウの蓄積がまだ無くて、表現に限界があった事が挙げられると思います。
若い方だと知らない人もいそうなので解説しますが、手塚治虫さんは「虫プロ」というアニメ会社を立ち上げて、日本にアニメを普及させた人です。
現在の日本アニメの隆盛は、その最大の功労者は手塚さんと言っていいです。
偉大なクリエイターとして、私はとても尊敬しています。
話を漫画のアニメ化に戻すと、最初に漫画を見るか、アニメを見るかで、えらく評価が変わる気がします。
私にとって違和感しかなかったアニメ版『スラムダンク』も、最初にアニメを見ていたら、普通に見れたのかもしれません。
なおアニメ版『スラムダンク』について、「絵が汚いと感じた」と述べましたが、今振り返ると漫画の『スラムダンク』は作者は男性ですが、繊細なタッチで描いており、少女漫画的なしなやかな線があったと思います。
それがアニメだと粗く色を塗りつぶしたみたいな絵で、原作の繊細さが全く再現されてないと感じ、汚いと嫌悪したようです。
この記事を書くにあたり、何十年ぶりかでアニメの『スラムダンク』を数分チェックした結果、気付きました。 )
私の作品である『アリエスの乙女たち』(1987)などのドラマ化では、原作のメッセージを伝えたい気持ちが見えたので、私は楽しく拝見しました。
原作の芯の部分は伝えて頂けるだろうと、映像のスタッフさんを信頼したいタイプなんです。
作品の世界をきっちり守る考えの漫画家さんは、「丸投げだ」と言われるかもしれませんが、考え方は作者によって違うし、同じ作者でも作品によって違うこともあります。
( 漫画家によって考え方やドラマ化へのスタンスに違いがあるのは、本当にそうだと思います。
今回の芦原妃名子さんの場合、「原作に忠実に」という強い意向があり、それが守られなかったのが悲劇につながりました。
原作の芯の部分が消されそうだと、芦原さんが考えて、修正のため苦闘したのが、彼女のツイートから感じられます。 )
映像のスタッフさんには、ご自身が好きだと思う作品を二次創作して頂きたい。
「人気の漫画を実写化すればヒットするだろう」とか、「原作のおいしいとこだけつまみ食いしよう」とか、そんなことだけを考えてるとは思いたくないです。
( 今回の『セクシー田中さん』のドラマ化で明らかになったのは、テレビ局側が作品への好意も尊敬もないのに、金儲けのためだけでドラマ化を決めた事です。
それは、芦原さんが暴露したドラマ制作の過程や、採用された脚本家(相沢友子さん)のSNSコメントから明らかです。
残念ながら、「原作のおいしいとこだけつまみ食いしよう」と考える人は存在します。
そういう人たちが漫画原作を壊し、原作者を失望・絶望させないためのルール作りが必要です。 )
漫画の映像化では、トラブルはよく聞きます。
漫画は、漫画家が全コマに責任をもって、描きたいものを描く。
作家性が強い世界なんです。
みなさん、作品に込めた信念や世界観をすごく大事になさっている。
それゆえに、原作者が作品のコアだと思っている部分と、映像化するスタッフが見せたい部分がすれ違うとマズイ。
「ドラマ化の話はなかったことにしてほしい」、「原作者として自分の名前を出したくない」と、嘆く漫画家も一定数います。
契約を交わす前に、原作者は許諾の条件をしっかり主張して、どういう方向で作品化するかを、よく話し合って確認したほうがいいです。
とはいえ、スタッフが真摯な思いで取り組んでも、原作者の希望に沿えない場合もあります。
映像作品は非常に多くの人が関わるので、さまざまなファクターが加わってくる。
たとえば芸能事務所の意向で、このキャストの見せ場は削れないといった事態も起こり得ます。
だから、「原作者が提示した条件を守れない場合は誠意をもって解決策を探る」といった内容も、契約書に盛り込むべきです。
亡くなられた芦原さんは、ご本人のコメントを読む限り、そのあたりも十分注意して条件を提示されていたようです。
条件が守られなかったのだとしたら、とても残念なことです。
( 「芸能事務所の意向で、このキャストの見せ場は削れないといった事態」は、いかにもありそうだなと思います。
テレビドラマ化では、起用される役者と所属事務所が色々と要望する、そんな話はよく聞きます。
私が思うに、役者も芸能事務所も、脚本に口を出してはならないです。
それをすると、作品がどんどん捻じれて歪んでいきます。
劇団とか一座みたいな、演出家、脚本家、役者が年中寝起きを共にする環境ならば、意見し合うのも大丈夫だと思いますが、テレビという短期の仕事で、役者や事務所が脚本とか演出に口を出すと、皆の思惑がバラバラなので、すべてが壊れると思います。 )
二次創作のトラブルで悩んでいる人は、「弱い立場だから声をあげられない」と思い込まないでほしい。
作者より出版社のほうが力があって、その出版社よりテレビ局、テレビ局よりスポンサーが強くて……なんていう幻想に惑わされないでほしい。
著作権法で、原作者の権利はきちんと保障されています。
何もないところから何かを作り出す人は強いんですよ。
だから若い方々も誇りを持って、「私の希望はこうです、できないんだったら映像化はお断りします」と、堂々と言って頂きたい。
ときには、「ここで逆らったら二度と描けないよ」と脅かしてくる、とんでもない人もいるかもしれない。
でも、だまされないで頂きたい。
( これは凄く重要な指摘ですね。
作家(原作者)は、出版社よりも、テレビ局よりも、スポンサーよりも強いのです。
テレビ局やスポンサーが一番強いなんていう価値観は、悪しき資本主義の間違った考え方です。
クリエイターは、誇りと自信を持ちましょう!
私も勇気づけられました。
あとは、やはり個人だと弱いので、クリエイターが連帯するのも大事だと思います。
いま脚本家の協会(日本シナリオ作家協会)が、原作者を軽視する発言をしたことで叩かれてますが、同じ職種のクリエイターが集まり連帯するのは大切な事だと、私は思っています。 )
映像作品の制作陣は大所帯ですが、漫画の原作者は基本的に一人です。
それに、創作の世界に没頭して生きているクリエイターには、誰かと密にコミュニケーションをとることや、何かを相談したり物申したりすることが苦手な方もたくさんいらっしゃる。
だからこそ出版社の方には、一人ひとりの漫画家を守り、支えて頂きたい。
( クリエイターは、人付き合いが苦手なのは、よくある事だと思います。
里中さんの言うとおりで、創作に没頭する人は、それゆえに孤立しがちだと思います。
だから、上記したように連帯する事が大事だし、先輩が後輩にアニメ化、ドラマ化、映像化、舞台化、などについて助言するのが必要だと思います。
現在では、漫画は様々な二次創作が行われるし、ビッグビジネスになっているので、漫画家たちに助言する存在が必要です。
ベテランの漫画家は、里中さんみたいに、後輩に向けて発信してほしいです。
里中さんは出版社に期待してますが、私が思うに、漫画家たちが自ら勉強して、情報交換し、賢くなるのがベストだと思います。
孤独な作業を強いられる漫画家だからこそ、横のつながりを密にしたほうがいいです。
世の中には色んな人がいるので、漫画家でもビジネスや契約や交渉に詳しい人はいると思います。
そういう人だと、優秀な弁護士なんかも知っていると思うし、そういう情報を漫画家たちは共有しましょう。 )
〇佐藤秀峰さん(漫画家)の話 (佐藤さんのnote記事「死ぬほど嫌でした」から抜粋)
どうして漫画の映像化でトラブルが頻発するのか。
自分の経験をお話しします。
僕の作品『海猿』(うみざる)は、人気作になりました。
雑誌に連載中から単行本の売り上げは良く、続く『ブラックジャックによろしく』が爆発的にヒットして、その影響で『海猿』も増刷に次ぐ増刷でした。
『ブラックジャックによろしく』は連載開始から2年経たずにテレビドラマ化され、『海猿』も少し後に映画化されました。
『海猿』の映画化は、すでに『ブラックジャックによろしく』のドラマが話題になっており、小さな制作会社からテレビ局まで様々なところから企画書が届いたそうです。
僕は詳しい話は聞かされず、ある日に映画化が決まっていました。
「映画は水ものだから、企画段階では真剣に考えなくて良い」という編集者の言葉を真に受けていたら、ある日、映画化が決まっていました。
( 『海猿』の映画がヒットした事と、漫画の『ブラックジャックによろしく』が人気作だというのは、私も当時に耳にしてました。
しかし両作品とも見ていません。
同じ人の作品だという事も初めて知りました。 )
映像化が決まったら、僕が口を挟める余地はありませんでした。
漫画家は通常、出版社との間に「著作権管理委託契約」を締結しています。
出版社は、作品の運用を独占的に委託されているという論理で動いていました。
契約書には都度都度、漫画家に報告し許諾を取ることが書かれていましたが、それは守られませんでした。
すでに企画が進んでいることを理由に、映像化の契約書に判を押すことを要求されました。
嫌だったけど、「映像化は名誉なこと」という固定観念がありました。
出版社もいろいろ動いてくれたんだろうと思ってました。
原作使用料は、確か200万円弱でした。
( 『セクシー田中さん』と同じで、映像化において原作者が軽視されていたのが分かります。
契約書に書いてあることが守られない、つまり契約違反が常態化していること、これは大問題です。
いま日本テレビは、芦原さんと交わした約束・条件を守らなかった疑惑が濃厚にあり、記者会見を開かずに逃げ続けてますが、それは契約違反をしまくっている事がバレるのを恐れているのだと思います。
あとは、原作使用料が200万円弱というは、貴重な情報公開ですね。
なかなかざっくばらんに明かしてくれる人がいないので。 )
映像化の関係者には一人も会いませんでした。
脚本も見たことはありません。
『ブラックジャックによろしく』の週刊連載中で僕が忙しかったこともあり、好きなようにされました。
( 映像化で関係者に会わなかった、会えなかったというのは、芦原妃名子さんと同じですね。
何となく私は、原作者はとても尊重され、ドラマや映画の撮影現場に足を運べば丁重にもてなされるのだと考えてました。
佐藤秀峰さん曰く、実際は煙たがられるそうで、変な慣習が映像関係者に染みついてしまっているな、と思います。 )
映像化は、作品が自分の手から奪われていく感覚がありました。
「漫画と映像は全くの別物である」と考えました。
そうしないと心が壊れます。
映画はDVD化されてから観ました。クソ映画でした。
僕が漫画で描きたかった事とは、まったく違いました。
その感想は漏らしませんでした。
たくさんの人が関わって作品を盛り上げている時に、原作者が水を指すのは良くないと、自分を殺しました。
映像に一切文句は言いませんでしたが、出版社への不信は募りました。
( 『海猿』の映画を、クソ映画とはっきり言ってます。
その解放感ある物言いに、胸がスカッとしました。
私は見てないので何とも言えませんが、はっきり評価を言う佐藤さんに好感を持ちました。
日本人には、なかなか酷評をズバッと言う方がいません。
貴重な人ですね。
佐藤さんはメンタルが強そうですが、そんな人でも作品の映像化で心が壊れかけてます。
漫画の映像化って、よほど気をつけないといけないものなんですね。 )
僕の体験として言えるのは、出版社、テレビ局ともに、漫画家に何も言わせないほうが都合が良いのです。
出版社とテレビ局は、「映像化で一儲けしたい」という点で利害が一致していました。
出版社は、すみやかに映像化の契約を結んで本を売りたいのです。
映像化は本の良い宣伝になります。
だから、漫画家のために著作権使用料の引き上げ交渉などしません。
漫画家の懐にいくら入ったところで、出版社の懐は暖まらないのです。
出版社は、映像の製作委員会に名を連ねて、利益を享受したい。
とにかくすみやかに契約することが重要で、著作権使用料で揉めて契約不成立などもっての外です。
一方、テレビ局は、できるだけ安く作品の権利を手にいれたい。
漫画家(原作者)と直接会って、映像化の条件を細かく出されると動きにくくなるので、会いたがりません。
出版社も、作家とテレビ局を引き合わせて日頃の言動の辻褄が合わなくなると困るので、テレビ局の人に会わせようとはしません。
( 佐藤さんの言う、出版社とテレビ局の金儲け至上主義は、現状をかなり正確に述べていると思います。
里中満智子さんの話よりも、きつい現状認識ですが、私はリアルな響きを聞き取りました。
芦原さんと『セクシー田中さん』の件を見ると、「漫画家に何も言わせないほうが都合が良い」という指摘は、ズバリと当たっています。
この出版社とテレビ局の態度、ビジネスの仕方を変えさせないと、問題は解決しないと考えます。
いまテレビ局は必死になって、「人々のSNSのコメントが、煽って問題を深刻化させている、もっと冷静に事態を見守るべき」と言ってます。
これは、SNSで情報が伝達されて、どんどんテレビ局の非が明らかになっているので、「お前ら黙れ」と言っているのです。
私は、漫画ファンを中心にして、今回の問題をSNSで論じるムーブメントは、素晴らしいと見ています。 )
漫画家の中には、出版社を通じて映像化に注文を付ける人もいます。
しかし出版社が、それをテレビ局に伝えるかどうかは別です。
面倒な注文で話がややこしくなったら、企画が頓挫する可能性があります。
だから出版社は、テレビ局には「原作者は、原作に忠実にと言ってますけど、漫画とテレビは違いますから自由にやってください」と言います。
そして漫画家には「原作に忠実にやってほしいと伝えているけど、漫画通りにやっちゃうと予算が足りないみたい」などと言いくるめます。
かくして、漫画家は蚊帳の外に置かれ、テレビ局と出版社の間で事が進んでいきます。
( 出版社が漫画家を言いくるめる手法が、明らかにされていますね。
大事な情報だと思います。 )
『海猿』の映画第2弾が公開になった頃でしたか、『海猿』の原作者だと名乗る人が現れました。
原作者は僕ですが、その人は「映画の次回作の脚本はオレが書く」と言い出しました。
漫画の取材に協力して、語ったエピソードが漫画にちょっとでも登場すると、自分が原作者だと思い込む人がいます。
そうやって原作者を名乗る人は何人かいました。
上記の人の場合、その人物が実際に漫画の関係者ではあったので、話がややこしくなりました。
僕はすっかり嫌になり、初めて原作者の権利を行使しました。
続編の映像化を許諾しませんでした。
それまではしぶしぶ押していた判を押さなかったのです。
一方で原作者の名乗る人物には、今後、映画に関わらないよう念書に判を押させました。
( この話は、『セクシー田中さん』の件と関係ないと思いましたが、大ヒット作に起きやすいトラブルかもと思い、普通では聞けない事なのでカットせずに書きました。 )
それから数年後に、テレビ局のプロデューサーに初めて会いました。
僕が映像化を許諾しないので、いよいよ直接対面となったのです。
「どうしたら許諾してくれるのだ」と言うので、「著作権使用料を100倍にしたら許諾する」と言ったら、「無理だ」と。
「10倍ならいけるかも」、「50倍でいいや」みたいなやり取りをしました。
お金で解決しましたが、心は壊れました。
( 元は使用料200万円だったから、100倍だと2億円になります。
これを読んで、佐藤さんの強気な交渉ぶりに感銘を受けました。
でも心は壊れたそうです。 )
テレビ局にはアポなし取材を受けたり、関連本を無断で出版されたりと、たくさんの嫌な事がありました。
人間の醜い面を散々見せつけられ、「もう無理だな」思い、契約更新をしませんでした。
こうして映画『海猿』は、テレビやネットから消えました。
それがニュースとなると、多くの批判を受けました。
( 原作者が契約を更新しないと、再放送できないルールみたいですね。
佐藤さんの話から、原作者がとても強い権利を持っている事が分かりました。
大変に勉強になりました。
ちゃんと権利を行使すれば、出版社もテレビ局も太刀打ちできません。
だからこそ原作者を孤立させ、弱い立場だと誤解するよう仕向けるのでしょう。 )
亡くなった芦原さんについて、「繊細な人だったんだ」という感想をいくつか見かけました。
多分、普通の人だったと、私は想像します。
普通の人が傷つくように傷つき、悩んだのだと思います。
( 佐藤秀峰さんの文章を、話を読んでいて、メンタルが尋常でない人だとよく分かりました。
これに対して芦原妃名子さんは、佐藤さんの言うように普通の精神力だったのでしょう。
多くの日本人が芦原さんと同じくらいの精神力だとすると、このまま出版業界やテレビ業界が変わらないと、また犠牲者が出そうです。
新たな犠牲者を出さないためにも、出版業界とテレビ業界に改革をさせないといけません。 )