新国立競技場の見直しが決まった
評価はするが、まだスタートに過ぎない
(2015.7.24.)

問題視されていた「新国立競技場の建設費が高すぎる件」は、安倍晋三・首相の決断により計画の見直し(白紙化)が決まりました。

ザハ・ハディド案では2020年五輪に間に合わないこと、建設費がさらに上積みされそうなこと、そもそも建設できるのかどうかすら怪しいこと。

これらを考えれば、見直しは当然の結論です。

この見直しについては、「安倍首相は、安保法案で支持率が急落したのを受けて、支持率回復のために行った」との見方が出ています。

それは正しいと思う。

冷静にそういう部分まで見抜いているのは、国民が賢くなってきた証です。

支持率急落を受けた行動とはいえ、決断は評価しますよ。

この手の計画は、見直されないままにズルズルいく事も多く、『結局はしわ寄せは全て一般の人々にいき、政治家たちの尻拭いを庶民がする』というパターンが多い。

その最悪のパターンになるかと思われましたが、回避できました。

見直しに反対の国民は、無謀な計画の中心にいた森喜朗さんら、ごくわずかです。

国民の要望に応える、良い軌道修正と言っていいです。

今回の計画白紙化は、安倍政権では英断といえるほどの決定でした。
しかし、これまでの安倍政治がひどすぎるので、まだ大幅なマイナス状態です。

私の評価では、今まで-100だったのが、今回の見直しで+5されて、-95になりました。

ちなみに、安保法案を撤回すれば、さらに+20となり、-75になります。

それに加えて、原発再稼働を凍結すれば+10、原発の全廃炉を決断すれば+15されます。
ここまですれば、-50まで戻す事ができます。

TPPから離脱すれば+15、消費増税を凍結して税制改革をし富裕層や大企業からきちんとお金を取るようにすれば+15です。

まともな政治を続けていけば(軌道修正をしていけば)やがてプラス状態にする事も可能ですが、私の見るところ『もう安倍政権は長くない』です。

安倍さんが安保法案の説明をするためにテレビ番組に緊急出演したのを、観ました。

説明が(特に例え話が)支離滅裂なのに呆れたのですが、一番気になったのは『彼の顔つきが負け犬そのものだったこと』です。
あれを見て、もう長くないなと。

安倍さんら自民党議員の多くは、自分たちの行動に心の中では疑問を感じていると思うんです。

安保法案が衆院で可決した瞬間も、安倍さんらはむしろ不安そうな顔付きをしていて、(これで本当にいいんだろうか?)と感じているように見えました。

大阪都構想の住民投票で敗れた際の橋下さんに顕著だったのですが、敗れた時の方がすがすがしい良い顔をする人(負けが似合う人)も世の中にはいます。

安倍さんも、安保法案が通らずに負けたほうが、安心した良い顔をすると思う。
だから、遠慮なく国民運動を盛り上げて、安倍政権を倒しましょう。

話を新国立競技場に戻します。

見直しを受けて、『どんな国立競技場にするか』が、議論の新たなテーマとなっていますね。

「2000億円の予算にしよう」などとふざけた話をしている人もいるみたいですが、もしその予算になったら国民は完全にキレてしまいますよ。

「そんなの見直しじゃないだろ!」とのツッコミが、日本国中から湧き上がるのは必然です。

いま色んな方が、どういう競技場にするかについて、意見を出しています。

それに耳を傾ける中で、私なりにビジョンが浮かんできました。

ここで、それを発表します。

私が新国立競技場の建設条件にしたら良いと思うのは、次の4つです。

① 予算は500億円を上限にする。

今までの五輪のメイン競技場は、だいたい500億円ほどです。
せっかく計画を見直したのだから、最低でもこれくらいまで圧縮したほうがいい。
予算の上限を設定するのは、必要な事です。

② 観客の見易さや居心地の良さを重視する。
  外観はどうでもいい。

廃棄された建設案では外観が重視されていたが、私の経験からいっても、スタジアムの外観はどうでもいいです。

「スタジアムの屋根のデザインなんて、上空から撮影しないと分からなくて、利用する人々にはそもそも把握できない」と言っている人がいました。
全くその通りだと思う。

外観はシンプルなものにして、観客席やグラウンドといった実用の部分に力を入れるべきです。

私は思うのですが、日本人は外観にこだわる(そこに予算とエネルギーを投じすぎる)悪癖がある。

劇場でも、やたらと形や構造に個性を出して(そこにお金を投じて)、一番大切な観やすさや音響や使い易さが軽視されている事が多い。

日本の建築家は、形や構造で主張しようとしすぎていると思う。
そのために、日本には良い劇場がほとんどありません。
もっと本質を考えないといけないです。

芝居やスポーツを観に行く人々は、天井のデザインがどうかなどは、誰も気にしてないです。

観劇にいって席に着いた時、見易さや音響よりも設計者の自己満足を優先させているのが一目で分かる事がある。
あれは本当に最低です。

③ 高齢者や障害を持つ方に配慮したものにする

「新競技場はパラリンピックでも使うし、障害者に配慮したものにするべきだ」と言っている方がいました。

私はこの意見に、完全に説得されましたよ。

考えてみると、スタジアムという存在は、健康な者じゃないと行きづらいものです。

大抵のスタジアムは、そこに入るまでにかなりの距離を歩かねばならず、入ってからも長い階段を移動する。
そのため、足腰の弱い人だと敬遠してしまう。

この現状は、打破する必要があると思うのです。

できるだけ階段を減らす工夫や、身体の不自由な方には特別な席とルートを用意し、並んだり階段を移動しなくてよい構造にしましょう。

④ スポーツに特化したスタジアムとして設計する

私が廃棄された旧案で最も驚いた事の1つは、「スポーツ(オリンピック)よりも、音楽などのイベントを重視して設計している」と聞いた時でした。

スポーツで使うよりもイベントで使う日数の方が多いので、そっちを重視すると云うのです。

「国立競技場」と銘打つ施設が、スポーツよりも音楽イベントなどを重視する?

あり得ないでしょ。意味不明です。

もしスポーツ以外をメインに据えるならば、別の名前にした方がいいですよ。

国立競技場として造るならば、まずスポーツの事を考えて設計すべきです。

以上の4つを基本方針にすれば、国民の納得する良い競技場ができると思います。

廃棄されたザハ・ハディド案では、建設業者と政治家たちの癒着が垣間見えました。

あれは無くさないと、国民はどんどん白けてしまいます。

新競技場をめぐる迷走の中では、『政治家たちに建設費を抑える意識が欠如している事』が判明しましたね。

森喜朗さんの「たかが2500億円」発言には、国民みんなが怒りを覚えたはずです。

森さんが「たかが2500億円を国が出せないなんて」と言うのを聞いた時、「お前は国民の税金を何だと思っているんだ? こんな奴が、首相をやっていたり、自民党の最大派閥を率いていたんだからなあ。」と悲しくなりました。

森さんも安藤忠雄さんも、明らかに責任者なのに、「自分には責任はない」と逃げまくっています。

森さんは責任を逃れるのに必死らしく、「この問題では責任者はいない」とまで言いましたが、とんでもない発言ですよ。

彼は、「ザハ案は生カキが垂れたみたいなデザインで、実は気にいらなかった」とも言いました。
「それを言っちゃうの!?」と唖然としました。

日本では、「責任の所在が曖昧な構造になっており、それが問題だ」と、よく言われます。

しかし、私は色々な事件を見てきて気付いたのですが、どの問題も責任の所在ははっきりしていますよ。

実のところ、『責任者が平然と逃げをうち、それを皆が受け入れてしまう』のが問題なんです。

今回でも、森さん、安藤さん、下村・文科大臣は謝罪をしていません。

それなのに、国民は受け入れている。

もっとはっきりと謝罪を要求しなければならないのです。

さて。

実は、2020年東京五輪では、まだまだ問題が噴出してくる可能性があります。

というのも、他の競技場でも、おそらく建設費の高騰(上積み)が起きそうだからです。

舛添・東京都知事は、新国立競技場での国の迷走を大批判しましたが、おそらく「東京都が造る施設も建設費が高すぎる」と明らかになっていき、彼も批判の矢面に立つ事になるでしょう。

ここで、2つの記事を紹介します。

1つは古い記事ですが、この2つを続けて読めば『東京都もやばい』と分かるはずです。

(以下は、毎日新聞の月刊なるほどり2013年10月号から抜粋)

東京招致委員会は、五輪の総額を7340億円と見積もっている。

主な内訳は、スタッフの人件費や警備費などの運営費(3103億円)と、競技場や選手村などを整備する建設費(3855億円)である。

計画によると、運営費はテレビ放映権・スポンサー料・チケット売上などで賄い、建設費の大半は国と東京都で負担する。

国が負担するのは、国立競技場の立て替え費で、約1300億円かかる。

他の10会場は都が負担し、予算は1538億円と見積もられている。

都は、五輪招致のため2006~09年度の4年間に、毎年1000億円ずつ積み立てていた。
その「開催準備基金」が、4000億円ある。

東京五輪では、首都高速道路や駅の整備もする事になっていて、上記の費用とは別に6392億円がかかる予定である。

だが、「五輪がなくても整備するから」という理由で、開催費に入っていない。

2012年のロンドン五輪では、出費額は最終的に、当初計画の4倍近い1.1兆円に膨らんだ。

東京都は、2016年五輪と2020年五輪に立候補し、その際に招致活動費として計137億円を投じている。

東京五輪では、半径8km以内に競技施設の8割を配置する計画で、大きな課題は「渋滞対策」である。

五輪専用の道路を設置して、競技関係者はそこを使う方針だ。

鉄道については、「1日に2600万人を輸送できる世界屈指のインフラがある」として、新たな整備はしない。

運営を支えるボランティアは、8万人を集める予定である。

だが、都内最大級のイベントである東京マラソンでも1万人にすぎず、人数確保が課題だ。

(以下は毎日新聞2015年7月24日から抜粋)

東京都が描いた五輪の会場計画は、様変わりしている。

2014年6月から計画の全面見直しをして、既存施設を活用して10競技の会場を変更した。
だが、2競技の会場はまだ確定していない。

都が招致段階で算定していた恒久施設の整備費は、1500億円。

しかし、見積もりは一時は4500億円まで膨らみ、現在は2500億円となっている。

22日に大会組織委員会の森喜朗・会長は、「開催費は2兆円を超すかも」と発言した。

招致段階では7340億円だったが、招致の時は国民の支持率を上げるために甘い見積もりを示したようだ。

ギリシャの経済危機は、2004年のアテネ五輪の財政負担が引き金になったとも指摘されている。

(記事の抜粋はここまで)

どうでしょうか。

招致計画がずさんなものだったのは明らかだし、国民が監視しなければ費用が膨れ上がっていくのは確実な状況です。

私が2013年10月に書いた『東京五輪の開催を評価しません』の記事は、いよいよ正当性が証明されつつあるようです。

日本は東日本大震災があった時点で、五輪の招致から撤退したほうが良かった。

もう後戻り(開催の辞退)は出来ないので、やるしかないですけど、シンプルな五輪にするように工夫した方がいいですよ。

オリンピック委員会もそれを求めているのだから、日本の「もったいない精神」を活かして、費用をかけずに行いましょう。

ケチとか揶揄する人々も出ると思いますが、気にする必要はないです。

はっきり言って、大仰な五輪には厭きている人々も多いと思います。
スリム&シンプルな大会にした方が、スポーツの素晴らしさに焦点を当てられると思う。

あとは、会場計画が大幅に変わった事については、素直に謝ったほうがいいです。

素直な態度でいどめば、諸外国はそれほど非難しないと思う。
実際に新国立競技場の見直しでは、目立った非難はされていません。

私は、政治家の大切な仕事には「謝ること」もあると思うのです。

頭を下げることを嫌がる人は、政治家にふさわしくないですよ。

日本国民を代表して世界各国に謝った上で、五輪の計画はギリギリまで縮小してほしい。
それが国益につながると考えます。


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