安倍政権を見極める㉔
安倍夫妻の汚職疑惑と、森友学園の偏向教育③ 
(2017.3.27~31.)

安倍夫妻が絡む、国有地の格安売却という汚職。

先週に森友学園の籠池泰典・理事長が国会に証人喚問で呼ばれて、大いに話題になりましたね。

籠池氏が国会で述べたことは、私もテレビ中継で確認しましたが、基本的に説得力と信憑性を感じました。

偽証罪に問われるリスクがある中での答弁には、緊迫感があり発言には重みがありました。

まあ、自身の行った不正行為については語らず、「刑事訴追をうける可能性があるから」と言って黙秘しましたけど。

多くのメディア関係者が指摘するように、彼が述べた事を確認するためにも、他にも重要関係者を証人喚問すべきです。

大阪府知事の松井一郎は、自ら「証人喚問してほしい」と言っているし、なぜ安倍政権は呼ばないのか。

参考人招致されたが逃げの答弁に終始した迫田英典・国税庁長官と武内良樹・財務省国際局長も、証人喚問しなければなりません。

この点については、野党の言う「疑惑解明にはもっと証人喚問が必要だ。それに籠池氏だけでは不公平だ。」が100%正しいと思います。

それにしても、籠池氏の肝っ玉が据わっているのには驚きましたよ。

国会に呼ばれて宣誓をし、多くの議員やメディア人が周りを囲み、さらにテレビを通じて全国の人も見ている中で、尋問口調で質問される。

この完全にアウェーな状況で、テンポ良くよどみなく答弁していく。
声音は落ち着いていたし、大汗をかいたりもしない。

「こいつ、凄いな。俺だったらもっと落ち着きを失うぞ」と、感心してしまいました。

彼が行ってきた教育は間違っていると思うし、応援する気はさらさら無いです。

だが、安倍晋三・首相や稲田朋美・防衛大臣よりは、はるかに正直さや真剣さを感じましたね。

彼の言う「尻尾切りはやめていただきたい」「安倍さんたちは嘘をついている、それはいけない」「一番悪いのは松井・府知事」には、説得力があります。

森友問題では、新たな情報が次々と出て続けています。

すでに2回、日記で取り上げているけど、まだまだ行けそうですね。

どんどん真実が明らかになってきているし、それは素晴らしいことです。

私が愛している『神との対話シリーズ』では、「真実を明らかにすることは、祝福である」と説いています。

いま森友学園について起きている情報公開の嵐は、祝うべき事なのです。

私はこの事態を、とても楽しんでいますよ。

籠池さんの証人喚問なんて、めったにないほどの楽しいイベントでした。

自公の質問者が問題の全体像に迫ろうとせず、籠池叩きに邁進したことだけが、あのイベントの汚点でしたね。
本当に卑怯な連中ですね、自民党と公明党の議員たちは。

さらなる情報公開を進めていき、もっとこの祝祭を盛り上げようじゃありませんか!

ここからは、森友汚職事件について勉強した事を書いていきます。

(以下は東京新聞2017年3月2日の記事から抜粋)

東京の富ヶ谷にある安倍首相の私邸。

周辺には多数の警察官が立ち並ぶが、近所の女性はこう話す。

「4年ここに住んでいるが、(妻の)昭恵さんは見たことがない。
総理は2~3日前に見た。」

安倍昭恵は、森友学園の極右的な教育に賛同し、新設する小学校の名誉校長に就いていた。
(問題発覚後に辞任)

昭恵は、森永製菓の創業者一族の出身で、電通に就職して、上司の紹介で1987年に安倍晋三と結婚した。子供はいない。

第一次安倍政権が短命に終わった後には、東京・神田で居酒屋の経営に乗り出した。

西田亮介(東京工業大の准教授)

「昭恵さんはもともと、昔の日本を礼賛する意識が強い人。

これまでは女性活躍の象徴のようにメディアが取り上げていた(宣伝していた)が、フォーカスされなかった面が表に出てきた。

教育勅語は、最後にある『国の危機には滅私奉公せよ』が問題なのだが、昭恵さんは深く知らずに評価しているのではないか。

お目にかかった印象では、知識に基づいた思考はあまりなかった。」

そもそも首相夫人とはどんな立場なのか。

官邸に電話で聞いたが、「内閣法に規定がない」としか教えない。

だが、昭恵のために官邸に専門の部屋が用意され、スタッフも付いている。

辻元清美議員

「昭恵夫人は多くの外国訪問に随行し、公式行事にも出ている。

公人であり、その資質は問われるべきだ。」

現在では、ファーストレディは社会貢献活動をするのが一般的で、研究機関が業績のランキングを発表している。

天木直人(外交評論家)

「首相夫人は公的な色彩を帯びており、海外からどう映るかは意識されなければならない。

今後の首相夫人像を考える上でも、昭恵さんを国会に呼んで、本人から事実関係を語らせるべきだ。」

(以下は東京新聞2017年3月14日の記事から抜粋)

これほど謎の多い土地取引もない。

国有地が8億円も値引かれて、しかも分割払いだ。

小学校の建設費には、金額の異なる3つの契約書が存在する。

高い金額は23億円で国土交通省に提出し、低い金額は7億円で大阪府に提出された。

府に対しては財務面で問題ないように見せ、国からは多くの補助金をもらおうとしたらしい。

実際に国からは5600万円の補助金が出ており、不正受給にあたりうる。

刑事事件として立件する可能性も探るべきである。

世論調査では、国有地が格安で売却されたことに86.5%が「適切ではない」と回答した。

籠池氏を国会に招致することには「賛成」が74.6%だ。

(以下はしんぶん赤旗日曜版2017年3月26日の記事から抜粋)

松井一郎・大阪府知事は、3月16日の会見でこう語った。

「財務省は、首相の奥さんが名誉校長の学校に親切な対応をした。
 役所組織みんなでおもんぱかったのだろう。」

2015年9月5日に安倍昭恵は、森友学園が運営する塚本幼稚園で講演した。

その時の肩書きは「内閣総理大臣夫人」だ。

演題は「瑞穂の國記念小學院を語る」だった。

昭恵は、すでに14年4月と同12月に塚本幼稚園を訪問していた。

2014年12月~15年1月に、瑞穂の國記念小學院の設置認可を、財務省・近畿財務局は大阪私学課に強く求めた。

ここまで口を出すのは異例のことである。

藤井裕久(元財務大臣)

「(この件は)役人が独断でやれる事ではない。大きな力が働いたとしか思えない。

国有地を8億円もまけて売却したのは、まったく異常です。

役人は前例を守ることに重きをおくので、特別の力が働かないと今回の結果はあり得ない。

近畿財務局という(財務省の)一地方部局だけでできるわけがない。

本省の理財局長に話がいき、理財局長から必ず財務大臣に相談するケースです。

森友学園は教育勅語を園児に暗唱させていましたが、私は1937年に幼稚園に入りましたが暗唱はしませんでしたよ。

森友学園の教育は、戦前よりも異常です。

教育勅語は、「朕思うに」で始まり、最後は「いったん緩急あれば…」です。
何かあったら天皇に命を捧げよと教えている。

だから戦後すぐ(1948年6月)に、衆参両院の決議で排除・失効されました。

それを再び持ち出すのは、戦前を目指しているのではないか。」

財務省・近畿財務局は、政治家からの要望があった時はどのように対応しているのか。

同局OBで国有財産鑑定官を務めた人物

「国有地の交渉は、記録が『管財事務処理カード』という書類で残されています。

政治家などの要請は、陳情案件と呼ばれ、部内では他よりも目立つ扱いを受けていた。

陳情元が政治家の場合、それが書類に書かれて、職員は積極的に進めていくという暗黙の合意になる。

こうした重要ケースは、通常よりも詳細な記録が作成されて、必要なら部長や局長レベルまで供覧されます。

森友学園のケースなら、当然ながら供覧されていたでしょう。」

別の鑑定官OB

「(森友の件は)近畿財務局の課長レベルではできない。

忖度できるのは局長か、それより上の本省だ。

証人喚問に呼ぶべきは、本省の現在の理財局長や、当時の理財局長だ。」

自民党の鴻池祥肇・議員の事務所の「陳情整理報告書」では、森友学園の要求を受けて近畿財務局とやり取りした事実が記されている。

しかし財務省は、「交渉記録は廃棄した」と答えている。

複数の近畿財務局OBが、「10年間の分割払いで国有地を売却したのに、支払いが終わらないうちに記録を捨てるはずがない」と口を揃える。

鑑定官OB

「OBも現役職員も、佐川宣寿・理財局長の『記録を廃棄した』との答弁に怒っている。

(本省が関わった証拠を出さずに)近畿財務局に責任を押し付けるのかと。

あんな隠蔽工作は、本省でないとできない。」

瑞穂の國記念小學院の設置の認可を審議した、大阪府の私学審議会。

その会長である梶田叡一は、こう証言する。

「大阪府の担当者が、『上級官庁である近畿財務局が、認可を確約してほしいと求めてきた』と言ってきた。

今回の認可をめぐる動きは異例だ。」

担当者が(認可するようにと)言ってきたのは、条件付きで「認可適当」になる直前だ。

大阪府が認可した経緯を見ると、森友学園を優遇した疑いがある。

森友学園は、橋下徹が知事をしていた2011年9月ごろに、私学課に小学校設置における基準緩和を求めた。

その後、松井一郎が知事になってから12年4月に、基準緩和が行われた。

借入金をあてて小学校が設置できるようになった。

森友学園は2014年10月に、府に小学校設置の申請をした。

基準緩和後に申請をしたのは、森友学園だけだ。

申請をした時点では、同学園は建設地を所有していなかった。

大阪府の基準では、校地は自己所有が原則。

こんな申請を受け付けたこと自体が、前代未聞である。

松井知事は3月21日の会見で、「規則に書いている以外のことをやっているのは事実」と、ルール違反を認めた。

2014年12月18日の私学審議会では、(森友の件はあやしいので)保留となった。

議事録を見ると、委員からは懸念の声が多数出ている。

「財務が非常に不安」「教育内容について世の中から理解が得られるのか」など。

しかし1ヵ月後の15年1月27日に、私学審は条件付きで認可適当とした。

私学審会長の梶田は、「大きな力が働いた」と、先日(3月13日)に説明している。

(以下はリテラ2017年3月26日の記事から抜粋)

籠池理事長との関係が取り上げられ、窮地に立っている日本維新の会と松井一郎・大阪府知事。

そんな中、橋下徹が沈黙状態になっている。

橋下のツイッターを見ると、籠池の証人喚問が行われた3月23日以降、投稿がない。
25日の維新の党大会も欠席した。

彼はこれまで、自身に都合の悪い情報が流れると、ツイッターで反論し、相手を執拗に罵倒してきた。

時には1日に30回もツイートするほど饒舌だった。

全国紙の政治部記者

「橋下さんは相当に追い詰められているらしい。

森友学園と自分たちのもっとやばい疑惑が出てきかねないという恐れから、沈黙したようだ。」

橋下は森友問題について、テレビ番組で「国から圧力をうけた」「絶対に政治の力が働いている」と、国からの圧力を強調している。

橋下徹は、森友学園の要望をうけて、小学校設置の基準緩和をする下地をつくった。

橋下の後援会長の夫(奥下幸義)は、息子(奥下剛光)が橋下の特別秘書になっていたが、塚本幼稚園の元PTA会長から口利き依頼を受けていた。

さらに「瑞穂の國記念小學院」の建設を請け負った藤原工業は、維新の大阪府総支部に献金をしていた。

藤原工業は、橋下が知事に就任した2008年以降に、大阪府からの受注が急増している。

3月24日の『直撃LIVE グッディ!』では、籠池らが2011年の大阪でのW選挙で、維新の応援団に入っていた事が報じられた。

(※籠池と維新の会の蜜月ぶりは、後で詳述します)

畠成章議員(故人)の元秘書

「この時の選挙では、(立候補者の)松井一郎さんの後ろで、畠氏と籠池氏は一緒に練り歩きました」

(以下はリテラ2017年3月20日の記事から抜粋)

日本維新の会と森友学園を結びつけるキーマンと目されているのが、奥下剛光だ。

彼は、大阪市長時代の橋下徹の特別秘書をつとめ、母の素子は「橋下徹後援会」の元会長だ。

後援会長の息子を特別秘書にして、年600万円に近い給与を税金から支払う橋下流は、住民から批判をあび給与返還の訴訟まで起こされている。

奥下剛光は、次の衆院選では維新の公認で出馬予定だ。

週刊新潮3月16日号では、『塚本幼稚園の元PTA会長が、奥下氏の父・幸義に政治家への口利きを依頼していた』という記事を載せている。

この元PTA会長とは、川田裕介だ。

(※追記 川田と奥下幸義については、次の記事『安倍夫妻の汚職疑惑と、森友学園の偏向教育④』に詳しく書いてあります。)

3月18日に、奥下剛光は大阪市内で講演を行った。
(後述するが、この講演は中止(ドタキャン)になった)

この講演の主催団体は、「教育再生・地方議員百人と市民の会(百人の会)」だが、同会の事務局長は増木重夫である。

増木は、関西で長年「行動する保守」を牽引し、極右ヘイト運動の礎を築いたと言われる人物だ。

一時は在特会(在日特権を許さない市民の会)の関西支部長を務め、2014年には安倍晋三や山谷えり子とのツーショット写真が発覚している。

増木が事務局長を務める団体が、維新候補者の講演を主催するのは、維新と在特会ら右翼団体が懇ろだからである。

実際に、「百人の会」の理事長は維新の辻淳子・大阪府議だ。

また、橋下の盟友である中原徹(元大阪府の教育長)も、「百人の会」で講演したことがある。

中原は、赴任していた府立高校の卒業式で君が代斉唱の口元チェックを行い、橋下市長から「完璧なマネジメント」と称賛された人物である。

「百人の会」で顧問をしている者の1人が、鴻池祥肇・参院議員である。

鴻池は2008年に塚本幼稚園で講演しているが、これを主催したのも「百人の会」だった。

森友学園が政治家などと人脈を形成できたのは、「百人の会」の存在が大きかったのではないか。

増木重夫が事実上の代表をつとめる「日教組の違法を監視し究明する市民の会(監視する会)」のHPを見ると、代表委員や参加者には桜井誠(在特会の前会長)などヘイトデモに関わるメンツが並んでいる。

この中には、籠池理事長の別名である「籠池靖憲」の名前も見当たる。

在特会などに詳しいジャーナリストの安田浩一は、サンデー毎日2月26日号に記事を載せている。

この記事では、「監視する会」に籠池の名前があると指摘したうえで、増木に取材している。

増木は入院中で、代わりに妻がインタビューに応じたが、こう証言している。

「夫と籠池さんは、一時期は親しくしていたと思います。
でも夫は『籠池には利用されるばかりだ』と怒っていました。

何度も人脈を駆使して政治家を紹介したが、籠池さんから何か手伝ってくれることはないんです。」

やはり籠池の人脈形成には、増木が関与していたのだ。

3月18日の奥下剛光の講演は、取材に行ったところ中止となっていた。
マスコミが来るので中止にしたという。

会場に来た増木は、同じく会場に来た辻淳子・大阪府議らとワゴンに乗り、「僕ら飯を食いに行く」と言って去っていった。

大阪では、右派の人々がネットワークを形成し、ネトウヨじみた政治家が維新から大量に生まれている。

この構図こそが、今回の森友問題の土壌となっているのではないか。

(以下はリテラ2017年3月21日の記事から抜粋)

「瑞穂の國記念小學院」の設置を、「認可適当」とした大阪府。

松井知事はこの事について、近畿財務局から認可を急かされていたと述べ、「国は相当、親切やと思いましたよね」と国から圧力があったと語った。

さらに「(府の)職員のみなさんがおもんぱかったんでしょう」と、自分は無関係に見せている。

いまネット上で、大阪府HPに出ている「松井知事の日程」が話題となっている。

府HPを見ると松井知事は、森友学園が私学審議会に小学校の設置認可を申請した2014年10月31日の直前に、異例の回数で私学課と打ち合わせをしているのだ。

私学課は、私学審の担当部署で、私学審に圧力をかけて「認可適当」に判断を変えさせた経緯がある。

松井一郎は知事に就いてから、私学課との打ち合わせは多い時で1ヵ月間に3回ほどだった。

それが2014年10月は、7日と8日に打ち合わせをし、20~22日と24日にも行っている。

15年1月7日にも行っているが、その20日後に私学審は「認可適当」の判断を下している。

「知事の日程」では、もう1つ気になる所がある。

2014年4月18日に、松井知事は1日に2回も私学審と打ち合わせしているが、その日の夕方に橋下徹・大阪市長と一緒に、安倍晋三と会っているのだ。

14年4月といえば、籠池理事長が鴻池議員に口利き依頼のために「こんにゃく(札束)」を差し出した月で、籠池は小学校設立のために駆け回っていた時期とみられる。

しかも前年には、籠池は私学課に「安倍晋三記念小学校」という校名を考えていると伝え、近畿財務局は私学課に「圧力」をかけていた。

14年4月18日に、松井は私学課から「安倍晋三記念小学校」の進捗状況を聞き、それを安倍に伝えたのではないか。

そんな疑念が頭をもたげてくる。

(以下はリテラ2017年3月24日の記事から抜粋)

昨日に行われた籠池泰典の証人喚問では、彼はこう述べた。

「2016年1月に、稲田朋美・防衛大臣の夫で弁護士である龍示氏の事務所で、近畿財務局と大阪航空局(ごみ撤去の費用を算定した国土交通省の地方部局)の職員と面談した。」

この件について稲田は、「夫の龍示からは『土地売却に関係していない、森友学園の顧問になった事もない』と説明を受けていた」と言う。

そして夫に確認したところ、以下の返答があったという。

「平成21年8月ごろに顧問契約を終了したが、平28年1月の年明け早々に籠池夫妻から相談を聞いてほしいと依頼された。

1月8日に夫妻は、光明会事務所(稲田夫妻が設立した弁護士事務所)に来た。

そして小学校をつくることと、そのために土地を借りているが土壌汚染に対応する立て替え費用を国が返してくれないと、相談を受けた。

その後、籠池氏から再び連絡があり、立て替え費用について財務局や航空局と話がしたいから、その場に立ち会ってほしいと依頼された。」

ここで話し合われた「立て替え費用」とは、安倍昭恵に付いている職員・谷査恵子が財務省に問い合わせて、「平成28年度の予算で調整中」とファックスで籠池に報告したものだ。

これを籠池は、稲田の夫にも相談していたわけだ。

稲田は国会答弁で、「10年前に籠池氏(の妻)から大変失礼なことをされて、関係は断っている」と語っていた。

それが実際には、夫の龍示が事務所で話し合いの「立ち会い」をしていた。

稲田朋美の事務所で、その夫が立ち会う中で、交渉する。

近畿財務局や大阪航空局の職員にしてみれば、「政治案件」と認識するに十分だろう。

稲田は、すでに虚偽の答弁が明らかになっている。

国会で「弁護士時代に森友学園の顧問だった事はないし、法律的な相談をうけた事もない」と答弁していたが、2004年12月に森友学園が起こした民事訴訟の第1回の口頭弁論に出廷していた事が判明した。

稲田は2016年10月22日には、籠池理事長に「防衛大臣・感謝状」を贈っている。

籠池がインタビューで明かしたのだが、稲田の父である故・椿原泰夫と籠池は親しかった。

椿原は、「頑張れ日本!全国行動委員会」の京都本部代表を務めるなど、関西で有名な極右運動家だった。

週刊朝日3月31日号によれば、椿原が幹部をつとめる右派団体に籠池は所属していたし、稲田が特別顧問をしている自衛隊の協力団体「関西防衛を支える会」にも籠池は入会していた。

思想を共有する同志として、稲田は籠池と付き合ってきたのである。

稲田は2006年には、塚本幼稚園で行われている教育勅語の暗唱を文部省が「適当でない」とコメントした事に対して、「なぜいけないのか」と問い合わせた事がある。

(以下はリテラ2017年3月25日の記事から抜粋)

3月23日の籠池氏の証人喚問では、彼は『日本維新の会および松井府知事の関与』を証言した。

籠池は「(小学校の設立で)はしごを外されたと強くお感じになり怒りを覚えた政治家はいますか?」との問いに、2度にわたって「松井府知事です」と答えた。

しかも彼は、「先代の頃から昵懇だった」と大阪府議会で議長をつとめた畠成章(故人)について言及し、「畠氏を通じて松井知事に働きかけをしていただいた」と証言した。

彼によれば、畠は松井の父とも親しかったという。

この証言に対し、松井一郎・府知事はこう説明した。

「畠さんは僕が自民党時代の先輩だけど、平成26年9月にお亡くなりになった。

籠池さんが(小学校の)申請をしてきたのは平成26年11月ごろで、口添えは無いです。」

上の松井の説明には、ごまかしがある。

籠池が大阪府に小学校の設置基準の緩和を求めたのは、2011年。

緩和が行われたのは12年で、まだ畠は存命中である。

さらに畠の元秘書は、こう証言する。

「(2011年の大阪)W選挙の時に、畠先生と籠池先生が、橋下さんと松井さんの応援をしていた。

松井さんの後ろで、(畠と籠池は)一緒に練り歩いた。

畠さんと松井さんは府議時代からの先輩後輩で、畠さんは松井さんの父とも非常に仲が良く、息子の松井府知事を可愛がっていた。

畠さんは森友学園の幼稚園にも足繫く通っていたし、籠池さんからの頼みは引き受ける。

松井知事は大先輩からの紹介を断れない。」

籠池の長男・佳茂は、週刊文春3月23日号でこう語っている。

「父は、(息子の私に議員)バッチを付けさせたかったんと思います。

私が31歳の時、畠先生の後釜で(2011年の)府議選に出ないかという話がありました。

その頃は大阪維新の会が躍進しており、維新の候補者で出馬できたのですが、断りました。

この選挙では畠先生の後継の維新議員が当選し、父から『お前、アホやな』と言われました。」

籠池と維新の接点は、他にもある。

籠池は、維新の中川隆弘・大阪府議に、小学校認可の協力を要請していた。

塚本幼稚園が隣接する公園をめぐってトラブルになった時には、維新の府議2名が籠池側で加担し、地域住民が求める公園の緑地化の工事を中止させた。

籠池は証人喚問の中で、協力を依頼した人物として、維新の東徹・参院議員の名を挙げた。

その後に東は会見を開き、「府議時代の5年前に籠池氏から直接、小学校設置における規制について相談を受けた」と認めた。

(以下は週刊新潮2017年3月23日号の記事から抜粋)

籠池氏の長男・佳茂の話

「この問題が起こってから、僕ら家族を煙たがる政治家も大勢出てきました。

山谷えり子・参院議員は、僕がかつて選挙事務所のスタッフだった事実を、頭から否定しました。

でも大卒後に、日本会議の事務総局をしている日本(青年)協議会から派遣されたんです。

風呂なし共同トイレのボロアパートに住みながら(山谷の事務所で)働いていた。

ある時、山谷さんが日本会議を集票マシンとしか見ていないと感じ、それを日本会議の幹部に伝えたら、選挙後に居場所がなくなった。」


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