山本七平の周期説を今に当てはめてみる
日本政治を語る①
(2020.7.31.~9.29.)

前回まで3回にわたって、山本七平の著作『日本はなぜ変われないのか』を取り上げました。

そこでは日本の政治が考察されており、「13~15年の周期で、同じ動きが繰り返されている」と解説される。

私はこの山本七平の周期説が、彼が亡くなった後も続き、現在にも通用するのか気になりました。

で、日本政治の流れを振り返り、考察してみたところ、「現在でもまだ続いている」との結論に達しました。

今記事の前提になる『山本七平の周期説』ですが、非常に面白いので、まだ知らない方はぜひページ一番下にある「目次に戻る」をクリックして、上3つの記事を初めに読んでほしいです。

とりあえず、周期説の概要をここに書きましょう。

① 日本の政治史は、「国民の総政治化→国民の非政治化」を繰り返している。

  この繰り返しは、13~15年が1周期となっている。

② 「国民の総政治化」とは、国民を1つの政治思想に染め上げる運動を指し、
  それは全体主義の運動である。

  この国民を駆りたてる運動は、それまで野党だった勢力が行い、一種の
  文化大革命の様相となる。

  ここでいう野党とは、国会の野党ではなく、それまで社会で非主流だった
  勢力を指す。

③ 「国民の非政治化」とは、国民を政治に関わらせず、一部のエリート層
  だけで政治を行う状態を指す。

  つまりエリートの専制政治であり、山本七平はこれを「官憲主義」と呼ぶ。

  この政治状態は、国民は政治に関わらない限り(政治的な行動をしない
  限り)、他の自由は与えられる。

  日本は基本的にこの状態にあると、山本七平は言う。

山本七平は、総政治化と非政治化の繰り返しの実例を、次のように書いています。

「この繰り返しは、新聞の論説を見れば、誰の目にも明らかとなる。

 1930年頃から、新しい総政治化の胎動があり、「時局の傍観は許され
 ない」という形で政治的な関心が国民に強要された。

 これが極点まで高まって、1945年の敗戦で一転し非政治化した。

 次いで新しい総政治化が始まり、1960年の安保闘争で極点に達し、
 一気にまた非政治化して所得倍増の時代に入った。

 同時にまた新しい総政治化への動きが始まり、ベトナム反戦、日中の国交
 回復(角栄ブーム)、公害に反対する市民運動で頂点に達し、
 石油ショック・三木内閣で一転して非政治化した。

 この循環は、実は明治時代や大正時代にもあり、やはり13~15年の
 周期である。」

上記の説明を読むと、1930年、1945年、1960年、1974年頃に、それまで高まってきた総政治化の運動が破綻し、一転して非政治化の状態になったわけです。

これを見ると、山本七平は「13~15年の周期」と言ってますが、だいたい15年周期になってます。

もしこの後も、「総政治化→非政治化」の繰り返しがあったとすると、総政治化の運動が破綻し暴落したのは、1990年、2005年、2020年という事になる。

この年のあたりで、総政治化(全体主義の運動)の破綻・暴落が本当にあっただろうか、と考えてみた。

皆さんはどう思いますか、思い当たる節はありますか。

たぶん1990年は、簡単に思い浮かぶでしょう。

ちなみに山本七平は、この日本政治史に見られる「総政治化→非政治化」の繰り返しを、ネガティブなものとして捉えています。

ぶっちゃけた話、彼が言いたかったのは『日本においては、真に民主的かつ良識のある政治が行われた事は、まだ一度もない』だったと思います。

この強烈な嘆きを、私たちは真剣に受けとめないといけないと思う。

ここから本題に入っていきますが、1990年に起きた総政治化(全体主義の国民運動)の破綻とは、まず間違いなく「バブル経済の崩壊」でしょう。

これ以外に考えられない。

バブル景気の起きていた1980年代の後半は、国民の多くがその狂騒に参加し、時流で踊った。

これは確かに、国民を駆り立てる一大運動であった。

そうしてこの国民運動は、それまでの日本とは断絶した、文化大革命の要素があった。

バブル景気の時は、土地価格が高騰して、真面目に働くよりも土地を転がしたほうが良いという、異常な価値観が横行しました。

株価も高騰したので、ごく普通の人まで財テクに奔走し、目の色を変えていた時代でした。

大企業も、金余りがすごいので、海外の土地を買ったりビルを買ったりと、本業と関係ない事に熱中した。

あの時代は、「日本最強説」まで生まれて、日本はアメリカに追いつき追い越したという論調まであった。

こんな事は、それまでの日本には無く、文化大革命だったと言っても過言ではないでしょう。

1980年代後半のバブル経済の前にも、土地を転がして金儲けをする者や、株取引で一攫千金を狙う者や、稼いだ金で享楽的な遊びをする者はいた。

しかしそうした者は、ずうっと白い目で見られていた。
「まともな暮らしをする者ではない」という目で見られていたと思うのです。

実際に、地上げ屋とか仕手株を手掛ける株屋は、ヤクザとも繋がる世界です。

こういう世界は、長らく日本社会の中では野党(非主流)だった。

それがあのバブル時代は、倫理観の大転換が行われ(文化大革命が起き)、堂々とやって良い事になった。

ちなみに株取引で一攫千金を狙う行為は、本質的にまともな事ではないと私は思うが、バブル時代に正当化されて、その後に日本政府が推奨してきた結果、一般化してしまった。

今では「老後資金をつくるため」とか「資産運用」といった美名の下、ごくごく普通の人が株取引に手を出し、あわよくば大儲けをしようと取引画面とにらめっこしていたりする。

今の政府(安倍政権)にいたっては、年金積立金を株式市場に大量に流し込み、それで株高を演出する始末です。

話を戻しますが、1990年頃にバブル景気に踊る有頂天の状態が、バブルが弾けてドーーーンと一気に暴落したわけです。

そうして「失われた10年」とか言われる、経済の長期低迷、大量リストラの時代に入った。

バブル景気の1980年代後半の当時、私はまだ小学生であり、さらに母子家庭の貧しい環境だったので、その浮かれ騒ぎに全く加わりませんでした。

だからイマイチ実感がない。

それがバブルが弾けると、色んな企業が倒産し、さらに住専の問題が出てきて、銀行がヤバいと大騒ぎになった。

あの時は、経済界、政界、大手メディアが、パニック状態となり、半分泣き叫んでいる状態でした。

その無残な敗北者たちを見て、「バブルの時は、とんでもない無茶ぶりが行われていたのだな」と、私は逆にバブル時代の狂気ぶりが感じ取れた。

1990年代に入りバブル崩壊で大混乱している時期には、私は中学生~高校生になり、かなりの程度まで世相が理解できるようになった。

見ていて思ったのですが、バブル景気を煽ったり、それに踊りまくった人達は、責任回避に必死でしたね。

「なんと大人は汚いものか」と心底から軽蔑しましたねえ。

きっと1945年にアジア太平洋戦争で負けた後も、同じ雰囲気だったのでしょう。

あの時は東京裁判などがあって、逃げ切れなかった人も沢山出たけど、おそらく逃げられる状況だったならほぼ全員が逃げてしまったでしょう。

実際に軍も政府も当時、書類を大量に焼いて、証拠湮滅を謀っています。

ここで、やや脱線するのですが、私の父の話をします。

というのも、彼はバブル景気に踊った者の1人だからです。

先ほど、「バブル景気の当時、私はまだ小学生であり、さらに母子家庭の貧しい環境だったので、その浮かれ騒ぎに全く加わりませんでした」と書きました。

そんな私が、バブル景気、バブル時代の狂気ぶりと恐ろしさを唯一感じられた身近な事例が、父の行状でした。

こんな事を絶対にしてはならないという教訓として、ここで取り上げたい。

バブルの時代、私は母と弟と共に暮らし、父と会うのは年に2~3回くらいでした。

父と母は、バブル景気の始まる頃に、離婚していた。

父はミュージシャンを職業にしていたが、音楽スタジオ(録音スタジオ)を経営するのを夢見ていた。

父と会ったある時、父が「音楽スタジオを始めようと思っている」と相談してきて、私と弟はその夢を知ったのでした。

夢を持つこと自体は素晴らしいこと。当時もそう思った。

だが、父の語る夢実現までの行程が、あまりにインチキ臭かった。

父は、えらく真剣な思い詰めた表情で、こう言ったのです。

「スタジオを経営したいと思っているんだ。

 スタジオを始めるには、場所が必要だし、機材を沢山揃えなければならない。

 日本のスタジオは、本場アメリカに比べて、機材の質が低い。
 それじゃあ良い音楽は作れないんだよ。

 だから思い切って、設備の充実した造りにして、機材も最高のを揃えようと思う。

 資金かい? 大丈夫だ、今は銀行がいくらでも金を貸してくれるんだ。

 少し担保があれば、いくらでも貸してくれる。お金が余っているからね。」

この話を聞いた時、若干、背筋が凍りました。

私の日々はバブル景気と全く無縁だったので、その時代の空気に触れた時、簡単に「これはヤバい」と気付く事が出来た。

スタジオを始める事は悪くない。
だが、最初は小さなスタジオで始めて、機材も安いやつから始めて、収益が上がってきて軌道に乗ったら、徐々に良い機材に替えていけばいい。

このように私と弟は説いて、何とか軌道修正させようとしました。

だが父は、納得できない顔をしていた。

その後、私たち一家が、父と遠く離れた所に引っ越した事もあって、父とはさらに疎遠になった。

もう何年も会わなくなっていた。
父がどうなっているか、全く情報は入ってこなかった。

そんな中、ある日に弟が、祖父(父の父)と会う機会があったのです。

その時に祖父から、スタジオ経営計画のその後の出来事を聞かされた。

祖父の話はこうでした。

「スタジオを建てて経営を始めたが、バブル崩壊があり、思うように集客が伸びずで、
 借金が残ってしまった。

 息子は借金に困り、サラ金に手を出してしまった。

 そのためさらに借金が増えて、1億円を超えてしまった。

 私が気付いた時、すでにその状態で、息子にはどうしようもなく、私が借金を
 払うことになった。

 私の退職金などを使って、なんとか完済した。

 息子はどうしようもないが、私が一生面倒を見ていこうと思ってます。
 だから心配しないで下さい。」

私の予感通り、父の計画は無謀なもので、悲劇が訪れていた。

あの計画性ゼロの話を、まさか実行するとは思ってなかったし、これほど見事なコケ方をするとも思ってなかった。正直かなりショックでしたねえ。

とはいえ、祖父の援助でなんとか持ち直し、再婚して子供も出来たというので、「まあ何とかやっていくだろう」と楽観的に突き放す事にしました。

これだけを見た人は、父が愚人で祖父は善人に思えるでしょうが、そう単純な話ではない。

祖父は東大を出て大企業に就職し、幹部クラスまで出世したが、すべてを学歴や肩書で判断する性格で、一緒に居ると息苦しい人でした。

父も高学歴のエリートになるよう教育されたが、それに反発してミュージシャンになった。

祖父は頭がコチコチの所があり、人間を1つの物差しだけで測るタイプで、私は接していて「きっついわー、俺はたまにだからいいが、父はずっと一緒だったのだから、家出するのも分かるな」と、小学生の時点で思いました。

どうでしょうか。
バブルに踊り、それが崩壊してボロボロになった親子の実話です。

バブル経済、バブル景気に乗って踊る事の恐ろしさや、あの当時の異常な空気を、当時にまだ生まれてなかった方々も、多少は理解できたと思います。

少し視点を変えますが、実は1980年代の日本のバブル景気は、アメリカ政府が生み出したという一面があります。

というのは、1980年代は日本の対米貿易の黒字額がすさまじくて、それを解消するためにアメリカ政府が「円高」と「内需の拡大」を日本に求めたからです。

アメリカの要望を容れて、円高と内需拡大に一気に舵をきり、アクセル全開で取り組んだ結果、あのバブル経済が生まれた。

そうしてアメリカの要求に応えて突っ走った結果、バブルがバカーーーンと弾けて、日本経済は一気に力を失った。

世界2位の経済力まで成長し、1位のアメリカのライバルと目される所まで来ていた日本は、これで失墜した。

アメリカにしてみたら、理想的な展開だったでしょう。

冷戦時代ずっとアメリカのライバルはソ連だったが、1979年に始まったアフガニスタン戦争でソ連が疲弊した結果、「もうソ連は長くない」とアメリカ政府の高官は考え始めた。

そうなると、潜在的には強力なライバルになり得る日本が、次のアメリカの倒すべき相手になる。

そしてバブル経済の崩壊が日本で起きた。

こんな話をすると、すぐに「陰謀論だ」とか「極論だ」と言う人が出るのですが、アメリカが「円高」と「内需の拡大」を強く日本に求めたのは事実です。

いま中曽根康弘の『大地有情』という本を読んでいます。

康弘はバブル経済の当時に首相だった者で、バブル経済の起点になったとされるプラザ合意を行った首相です。

その康弘が、アメリカの要求で円高と内需拡大を行ったと、はっきり証言している。

プラザ合意についても、「原案はアメリカと話し合ったものをベースに、フランス、イギリス、ドイツなどと調整して出来た」と言っている。

だから事実そのものなんです。

アフガニスタン戦争におけるソ連の疲弊も、当時にアメリカ政府で力を持っていたブレジンスキーが、「ソ連を弱体化させるため、アメリカはアフガニスタン戦争に介入した。その作戦は成功し、ソ連は長くないと感じた。」と語っているのを、何かで読んだ記憶がある。

面白いのは、アメリカが日本に円高や内需拡大を求めた時、かなり下手に出たらしく、「アメリカが日本に頭を下げてきた」と、喜んだ日本人がけっこういたらしいのです。

こんなんじゃ簡単に手玉に取られてしまう。

中曽根康弘の『大地有情』は、1995~96年に康弘にインタビューしたものだが、バブル崩壊に全く触れていない。

ある程度の反省の弁があると思っていたので、本当にびっくりした。

都合が悪いから触れないのだろうが、その無責任さには呆れるしかない。

中曽根康弘という人間の本質が、そこに表現されていると思う。
読んでいて思うが、大した人物じゃないです。

『大地有情』では、首相時代の業績として「国鉄などの民営化」「行政改革」を大きく扱っている。

実はこれ、次の「国民の総政治化(全体主義の運動)」に繋がっていきます。

1990年のバブル崩壊で、極点まで高まっていた「総政治化(全体主義の文化大革命)」は崩壊した。

そうして日本政治は一転して非政治化の状態となった。

この後しばらくは、バブル崩壊後の大混乱と膨れ上がった借金や不良債権の処理に追われた日本。

政治の世界では、改革が叫ばれ、自民党から飛び出る者が多数出て、非自民の細川内閣が誕生した。

細川内閣が誕生した時、何十年も続いた自民党の一党支配が終わった瞬間だったので、マスコミは大騒ぎでしたが、私はほとんど関心がなく評価もしなかったですね。

というのも、細川護熙、小沢一郎、羽田孜、武村正義といった中心人物たちが皆、少し前まで自民党に居た者だったからです。

「マスコミは大騒ぎしているが、これは自民党と変わらんだろ」と、私は思った。

小池百合子が自民党から出て、新党をつくった時も、マスコミや国民は大騒ぎしたが、私は「いや、自民党と変わらんだろ」と、細川内閣と同じ感想を持ちましたね。

細川内閣の後も政界は流動的だったが、何と自民党と社会党という、何十年もライバルだった党が連立政権をつくった。

この自社さ連立政権(村山内閣)が誕生した時は、本当に驚きましたね。

「こんな事が起きていいのだろうか。今まで社会党を支持してきた人達に、どうやって説明するのだろうか。あり得ん、こんな事あったらいかん。」と思いましたねえ。

私はそれまで、割と社会党を支持していて、弱者や一般労働者を重視する政策に共鳴していたから、「裏切られた感」がハンパじゃなかった。

「社会党は、自民党とくっつくのをどう説明するのだろうか?」と、注目したのだが、結局のところ説明らしい説明は無かったと記憶しています。

色々と言っていたのだろうが、たぶん説得力を全く感じなかったのでしょう、今になると全く記憶に残ってないです。

今振り返ると、社会党は自民党と連立政権をつくった事で、信用を失ってしまい、どんどん弱体化してしまった。

途中で社民党に改名したが、そんな事はどうでもよく、それまで支持してきた人々を完全に裏切った結果、今では消滅寸前まできている。

若い世代の人は知らないだろうが、社会党は昔はかなり党勢が盛んだったのです。

あの裏切りが効いたな、あの自民党との連立政権が。

社会党が死んだように、自民党も死んでおかしくないんですけどね。

それまで散々批判していた社会党と組むというのは、自民党にとっても支持者への裏切りである。

あの自社さ連立政権を見た時、私は「自民党は権力を得るためなら何でもやるんだな。色々と言っているが、真面目に考えているのは権力を握り、それを手放さない事だけなのだ」と悟った。

そういう体質・性質だからこそ、今は公明党と組んでいる。

昔は、公明党と自民党は犬猿の仲だったんですけどねえ。

自民党と社会党が組んだのに、自民党の支持者たちが離れなかったのは、同じように権力や金のためなら何でもやる体質だからでしょう。

そうじゃなかったら、離れるよね。

そういう意味では、社会党から離れていった支持者たちは、理念や信念があったからこそ「裏切られた」と感じ、去っていったのだと思う。

こんな感じで、バブル崩壊後にしばらく政界では、色々な動き(政権交代や新党結成など)があったのですが、あれは「国民の総政治化(全体主義)」の動きではなかったと考えます。

で、ごちゃごちゃと政党がくっついたり離れたりするのが一段落すると、また自民党の政権が長期化し始めた。

そうして、小泉政権という総政治化=全体主義の政権に到達するわけです。

バブル崩壊から小泉政権の期間(1990年から2005年くらい)で、私が最も異常な出来事だと感じたのは、次の3点でした。

①金融ビッグバン ②終身雇用と年功序列の廃棄(首切りと転職の推奨) ③郵政民営化  

この3つの政策は、それまでの日本をガラリと変えるもので、「むしろ弊害が大きいのではないか」と当時の私は思った。

いま振りかえると、この3つが「国民の総政治化(全体主義の運動)」の要だったと気付く。

この3つは、文化大革命の様相だった。特に郵政民営化は、国民を狂気に駆り立てるものだった。

それをこれから説明しましょう。

バブル経済が崩壊すると、前述したとおり、日本は大混乱に陥った。
不況期に入り、金融不安となり、先の見えない状況となった。

で、それが何年も続いていくと、日本国民の多くは自信を失い、「改革をしなければいけない。それも、とっても大きな改革を」という空気が社会に充満した。

この事自体は、問題なかった。私だって当時、改革・変革が必要だと思ってました。

非自民の細川内閣が誕生した辺りでは、まだ目指す改革の方向にそれほど違和感はなかった。

それが自民党と社会党が一緒になるという、反則技が繰り出された辺りから、雲行きが怪しくなった。

いつの間にか、「日本は時代遅れなんだ。アメリカを模範にして、アメリカのルールを導入し、アメリカ型の社会にしよう」との意見が、政界や官界や経済評論家から声高に聞こえてくるようになった。

正直なところ、私にとっては、「アメリカを目指そう」という論調が一気に高まってきたのは、非常に唐突に感じられました。

「いや、アメリカは関係ないだろ。

 バブルに踊ったのは、地に足をつけて謙虚な姿勢で暮らさなかった、日本人の生き様に
 問題があったのだ。だから、生き方を変える工夫が必要なんだよ。

 大量生産、大量消費、そういう社会構造を改めるため、意識や価値観や生活態度を
 見直すことこそが、今必要なんだろ。」

こう思ったのです。

バブル経済とその崩壊の根本原因は、日本人が冷静な考えをせずに、刹那的な欲望に身を任せてしまった事にある。
私はこう分析してました。

それなのに、「日本には規制が多い」とか、「アメリカの最新の金融システムを大胆に取り入れよう」とか、自民党の橋本内閣が誕生すると、色んな人が言い出し始めた。

『金融ビッグバン』を日本で行うと、彼らは言う。

「金融制度に大胆なメスを入れ、日本の金融システムを変える事が、日本の復活の鍵である」と、彼らは言った。

まるでバブル経済が起きたのは、金融システムが古かったからだと説いている様だった。

「いや、関係ないでしょ」と思った。

金融システムが最新だったら、バブル経済は起きないのか。そんな事はないでしょう。

人々の意識や態度が浮つき、浮ついた世相に踊らされて多くの人が狂気に走った時、バブル経済になるのです。

金融ビッグバンを説く者は、「日本の銀行は護送船団方式で、それが駄目なのだ」と言った。

確かに護送船団方式は良くないよ。

しかし、銀行たちがお上(政府)の言いなりで動き、横並びで同じ事をしていくのは、法律や制度だけの問題ではなく、根本的には日本人の気質や体質に問題があるわけです。

周りを見てそれに安易に同調し、深く検討したり考察したりせずに、その時の空気に合わせたり空気に乗ったりする、そこに問題がある。

私の判断では、バブル経済を再び生み出してそこで踊りまくる事を予防するには、
人々が自分の意識や行いを振り返り、反省をして、過去の失敗を忘れずに、常に冷静さを保つ事が最も肝要である。

それなのに、何だか金融システムを変えたら全てが解決するみたいな、訳の分からない方向に議論が進み出した。

「いつの間にか、話がズレてきたな。どうも様子がおかしい」と、日本の行方が心配になってきた。

私は、『金融ビッグバン』という言葉自体に、危うさを感じましたね。

ビッグバンというのは、宇宙が創造され誕生する時の、大爆発のことです。

つまり、無から全てを生み出すくらいの、とてつもない規模の大大大爆発です。

金融ビッグバンという響きには、それまでの日本の金融を全てぶち壊す、というメッセージが込められていると感じた。
だって、全てを生み出す大爆発というのは、裏を返せば「それまでのものを徹底的に破壊し尽くす」ことでしょう。

「そんなものを、日本の金融界で起こす必要があるのか? ひとつ間違えば、破滅的な被害になるのではないか」と、私はえらく心配になった。

そう思ったのは私だけではなく、当時、けっこうな数の評論家が「危ないのでやめたほうがいい」と主張してました。

心配だったので、当時そこそこ勉強してみたのですが、実のところ『金融ビッグバン』というのは、1929年に始まった世界的な大恐慌の教訓から生まれた、金融界に対する様々な規制を、とっぱらって無くすものだと知りました。

要するに、新しい事をするのではなく、金融界を野放しにしていた昔に戻すという、復古的なものだと分かった。

経済界や金融業を野放しにした結果、バブル経済が生まれて、それが弾けてアメリカ発で世界大恐慌が1929年に始まり、多くの人々が苦しんだ。
その反省から生まれた規制を、無くしてしまうのが、金融ビッグバンの肝だと分かった。

その代表は、「金融持株会社の復活(解禁)」と「金融と証券の分離の撤廃(金融と証券の兼業の復活)」です。

なんともヤバいものだと分かったので、私は大反対の立場になったが、2001年に小泉純一郎が首相になると、金融ビッグバンが本格化した。

竹中平蔵が経済財政大臣と金融大臣になり、どんどんアメリカ社会を目指すルール作りを進めた。

アメリカやイギリスでは、すでに金融ビッグバンを行い、過去の反省から生まれた金融規制を、廃棄していた。
それを真似して、日本でも行うと、純一郎や平蔵は言った。

小泉純一郎が首相になると、彼らは改革と呼んだのだが、それまでの日本の在り方を変える、文化大革命が一気に進められた。

その時代に、純一郎や竹中平蔵や、その支持者たちがよく口にした言葉が、「痛みの伴う改革」と「グローバル・スタンダード」でした。

(※ここから、②終身雇用と年功序列の廃棄(首切りと転職の推奨)の話になります)

「痛みの伴う改革」というのは、企業が首切りをしたり、労働者の賃金が下がることを、「日本の再建のために仕方ないことだ」として、国民に痛みを強いた事を指します。

それ以外にも、公共事業を減らして赤字国債の発行を減らすことや、競争原理を強調して企業間の買収や合併を勧めること、規制緩和して外国企業(多国籍企業)が日本に入ってきやすくすること、等が行われた。

それまでの日本は基本的に、就職したらそこでずっと働く終身雇用のスタイルで、勤続年数が長くなるほど賃金が上がる年功序列の世界でした。

これを、時代に通用しない古臭いものとして斬り捨て、職場に競争原理を導入して同僚と競わせて、成績の良い社員は賃金を上げて、成績の悪い社員は解雇してしまうことを推奨したわけです。

それを「最新の雇用形態であり、グローバルな競争に勝つための道だ」とした。

「いや、それは単に経営側(資本家)を有利にするだけだろ」という反論は、もちろんあったのだが、小泉内閣は強行した。

で、解雇された人や、賃金を下げられて転職を余儀なくされた人は、どうすればいいかというと、「再就職すればいいのだ」と小泉内閣は主張した。

これは、今の安倍内閣も同じ事を言っているので、たぶん若い世代も理解しやすいでしょう。

で、再就職するにはどうすればいいかというと、新しい職種や職場に対応するため、時代に合ったスキルを身に付けろと言うわけです。

「そうやって頑張って勝ち残る事が、これからの時代に必要な事である。
 分かったかね、健闘を祈る。」、これが当時に小泉内閣が言っていた事です。

正に「痛みの伴う改革」で、国民に痛い思いをさせて、頑張る事を半ば強制した。

「俺はのんびりやりたい」とか、「同じ職場の人は仲間なのだから助け合ったほうがいい」とか、「勝ち残ることよりも、充実感を優先して仕事をしたい」という考えや価値観は、
『時代遅れの負け犬の考えだ』いうのが、当時に小泉純一郎や竹中平蔵らが作り上げた世界観です。

このアメリカ式の価値観や働き方は、日本人には馴染まないというか、違和感があった。

心の中では反対する人が、実は多かったと推測します。

その時に、小泉純一郎や竹中平蔵らが国民を説得する言葉として使ったのが、「これはグローバル・スタンダードなのである」だった。

「グローバル・スタンダード(世界標準、国際標準)」という言葉に、昔から日本人は弱い。

日本は島国で、隣の大国であった中国から新しい文化や技術を取り入れ続けてきた歴史もあって、「海外でこれが基準となっている」とか「これが海外で最新の流行である」と言われると、それだけで嬉しくなって崇拝してしまう所がある。

この気質を、小泉純一郎らは上手く衝いた。

実際には、世界には様々な国があり、様々なルールや価値観がある。

本当のところ、世界標準なんてものはない。

だが日本は、島国で、アジア大陸の端っこに居る地理条件もあって、多様な国とガンガン接する事が少なく、昔は「中国が世界」だったし、米軍の占領時代後は「アメリカが世界」になっている。

非常に狭い感覚で世界を捉えているので、「アメリカのルールが世界標準なのだ」と言われた時に、「そういうものか」と信じてしまう者が沢山出た。

「いや、小泉政権の言うグローバル・スタンダードは、アメリカのルールに過ぎない。
 世界標準でも、国際ルールでもない。」と、忠告した識者はもちろん居た。

しかしそうした人々の声は、当時の政治に反映されなかった。

結論的な話になるが、小泉内閣で「終身雇用と年功序列の廃棄(首切りと転職の推奨)」を担当した竹中平蔵は、現在では人材派遣会社の大手であるパソナの会長に就いている。

これを見れば、「痛みの伴う改革」の目的は、日本を立て直すことではなく、非正規雇用を増やして、企業の人件費を削減させ、労働者の立場を弱めていく事だったのは明らかです。

こうなる事を、当時に小泉内閣の改革を支持していた人達が求めていたかというと、そうではなかったはず。

だから、支持した人達の多くは、騙されたと言っていいのではないか。

日本の企業たちは確かに立ち直ったのだが、金融ビッグバンで規制緩和された結果、海外からの金が日本の株式市場にどんどん入ってきて、外国人の持ち株比率が急激に高まった。

それで企業の出す利益が社員よりも、海外の株主に流れる事になった。

規制緩和で日本企業が海外に進出しやすくなってみたら、企業は人件費の安い国に行って雇用を増やし、日本では工場閉鎖をしたりする。

気が付いたら、好景気が長く続いても、一般の人々が実感できない社会に、日本はなってしまった。

そういえば、小泉内閣の時期に流行っていた言葉には、「勝ち組」と「負け組」もありましたね。

「勝ち組を目指して努力せよ、惨めな負け組になるな」という価値観だったが、非常に冷酷な考え方で、私は大嫌いでした。

そもそも人間を選別するやり方に、共感できなかったし、選民思想的な危険なものすら感じた。

こういう価値観を公言する小泉内閣は、本当に酷薄な政権だった。
実に息苦しい時代でした。

国民の全てを、勝ち負けの競争に駆り立て、過酷な競争への参加を強制しつつ、負けた者は切り捨てていく。
それに対する批判には全く耳を傾けない。

そんな小泉内閣だが、長期政権となった。恐ろしい全体主義の時代でしたね。

小泉内閣の時代に、日本人が無条件といっていいほどに安易にアメリカ型の社会に移行しようとしたのは、バブル崩壊で自信を失っていたのと共に、アメリカが一強の状態だった事がある。

1990年代になってソ連が崩壊すると、冷戦の構造が終わり、「アメリカが冷戦で勝利した」という価値観が広まった。

ロシアはしばらく大混乱になって、世界に存在感を示さなくなった。

それで、1990年代の後半から2000年代の前半は、「アメリカ一強の時代」と呼ばれる状態だった。

この状況下で、日本人のうち、強者に付き従えばいいと考える人々は、「アメリカが最強なのだから、そこに付いていけば間違いない。幸い日米同盟もある」と言い出したのです。

「アメリカが最強なのだから、そこに付いていけば間違いない」、この考えが、小泉政権の行う改革を支えていたのは間違いない。

極端な話、彼らは日本をアメリカの一州にするのも辞さない位の感覚だったと思う。

国民に痛みを強いて、それでも平気で改革を進めたあの異常な熱意は、「強者に従えばいい」という卑屈さが裏側にあった。

当時の私は、アメリカの一強状態なのは認めていたが、「それが永遠に続くわけではないのだから、冷静になれよ」と思ってました。

2001年に小泉政権が発足した頃、「中国は大国への道を歩んでいるが、アメリカには届かない」という意見が日本では大勢でした。

中国が力を付けてきているのは皆が認めていたが、「中国には技術力がない」とか「中国の政治体制が駄目なので、成長に限界がある」とか「中国がアメリカに届くにはあと50年かかる」とか言っていた。

「中国は急速に力を付けており、遠からずアメリカと並ぶ大国になる」と言う識者は、本当に少数でした。
この意見を述べる者は、共産主義に傾倒しすぎた現実逃避の学者であると、バカにされたくらいです。

しかし、今の2020年の時点で、アメリカと並ぶレベルに中国は伸びてきている。

だから、2001年当時に未来の予想をした識者たちは、大半が間違っていた。

当時はバカにされた、ごく一部の極端な中国寄りと見られた識者が、正確に未来を予想していた。

結局のところ、極端な中国寄りと見られた人々は、単に中国の情報を多く収集していただけだったと思う。

皆がアメリカばかり見ていた時代に、中国も見ていた結果、人々から「極端な中国寄り」とのレッテルを貼られたわけです。

私は、ここまで中国が伸びてくるとは思ってなかった。

「中国の政治体制が駄目なので、成長に限界がある」という意見に、賛成していた。

そういう意味では予想が外れた側に属するのだが、当時のアメリカべったりの空気には大反対でした。

当時の私は、こう思ったのです。

「アメリカが最強だというのには賛成する。
 しかし、それがずっと続く保証はない。

 なによりも、最強の国が居たらそれに盲従するなんて、卑屈すぎるだろ。」

強い奴に従えばいいんだ、という考え方自体に、腹が立った。

ジャイアンに従うスネ夫みたいで、なんとも惨めで、そんな生き方を日本が選ぶのかと思うと、涙が出そうになるほど悔しかった。

「そんなのは絶対に間違っている」と、怒りが沸々と湧き上がってきた。

小泉内閣の時代に、その対米従属ぶりが顕著に剥き出し状態で表現されたのは、忘れもしない2003年にアメリカがイラクに戦争を仕掛けた時だった。

このアメリカの戦争は、国連の支持が得られず、世界中の国々が反対する中で強行された、100%の侵略戦争でした。

普通ならばアメリカに味方するドイツやフランスといった旧西側諸国までが、反対に回ったのです。

そんな中、日本の小泉純一郎・首相は、国民に全く相談することなく、独断でアメリカのイラク攻撃の支持を表明した。

純一郎が暴走したことで、国際的に日本はアメリカ絶対支持の立場になってしまった。

私はあの時、一国民としてはらわたが煮えくり返った。

このイラク戦争は、アメリカを支持した国は本当に少なく、イギリスとかごく一部だけでした。

本来であれば日本は、アメリカに安易に同調せず、アメリカの暴走を止めなければならなかった。

それが平和主義を採る日本の役割であり、日本国憲法の理念からいっても正しいし、世界の国々から信頼される選択だった。

とりあえず小泉純一郎は、日本国民にどうすべきかを相談しなければならなかった。
それが当然であり、民主主義なんですよ。

それなのに純一郎は、勝手にアメリカ支持を表明した。国民に何の相談もせずに。

結果的に、日本はアメリカの侵略戦争の、後方支援をする事になってしまった。

あんな屈辱的な事はなかった。
私はこの悔しさを、生涯忘れないでしょう。

まだ20代で若かった私は、「もし今が幕末なら、志士になって、小泉純一郎の暗殺を目指すかもしれない」と思いましたよ。

それ位に腹が立ったし、「小泉純一郎は売国奴だ」と感じた。

まあ今は幕末じゃないし、「暗殺という手段は、民主主義を否定することになる。それに状況を好転させる力はなく、むしろさらに悪化させる」と歴史を勉強して知っていたので、思い直しましたが。

私は、これだけ売国的な行いをしたのだから、小泉内閣の支持率は急降下して、退陣になると思った。
ところが、その後も内閣は存続した。

あれを見た時、「日本はアメリカの属国なのだ。なにしろ国民が従属意識の奴隷根性を持っている」と、心底から残念で落胆しましたね。

だって、アメリカがどれほど間違った事をしても、盲目的に従うのを国民が許容するのだから。

結局、イラク戦争にアメリカ側で参戦したイギリスは、当時の首相だったトニー・ブレアは未だに間違っていたと認めていないが、しっかりと政府が調査・検証して、国民の総意としても間違った戦争と認めている。

日本ではどうかというと、正直なところ多くの人が忘れ去ろうとしており、無かった事にしているのではないか。

日本がアメリカのイラク戦争を支持し、支援までした事を、「間違いであった」と、日本政府や大手メディアが堂々と言っているかというと、そうではない。

腫れ物に触る、もしくは臭いものに蓋をする、そういう状態になっている。

ここにも属国ぶりが表れている。

なおイラク戦争は、その前のアメリカのアフガニスタン侵攻、さらに前の9.11自作自演テロと、一体になったものと考えています。

アメリカの息子ブッシュ政権は、9.11自作自演テロ→アフガニスタン侵攻→イラク侵攻を、一連の計画として実行した、と私は見ています。

もしイラク戦争でアメリカが国際的に孤立しなければ、さらに別の戦争を仕掛けたでしょう。

暴力に頼る狂気と破壊のアメリカの行動に、日本が加担してしまい、ブレーキ役にならなかったのは、かえすがえす残念でならない。

当時、アメリカへの盲従をした小泉純一郎に対し、怒りを込めて日本では「ブッシュ大統領の犬」「アメリカのポチ」と呼ぶ人が出た。

実際に世界の人々は、彼をそう見ていたと思う。

それこそグローバル・スタンダードの見方だったと思いますよ。

第三者が見れば、小泉内閣の極端な対米従属ぶりは、一目瞭然でした。
しかし当時の日本人の多くは、それを認める事ができず、思考停止して見ない事を選択したのです。

今の安倍内閣も同じくらい対米従属ですが、今だって多くの人は見ないふりをしているでしょう?

そして対米従属に徹する政権が、長期政権になってしまう。

ここにも属国ぶりが表れている。

小泉内閣の時期には、数々の異常な出来事があったのですが、最大のものが「郵政民営化」をめぐる「郵政解散の衆院選挙」でした。

この郵政をめぐる解散選挙(2005年9月)は、この時代の「国民の総政治化(全体主義の運動)」のピークだったと、私は考えます。

郵政民営化は、小泉純一郎が首相になる前から看板政策にしており、彼のライフワーク的なものだった。

郵政民営化とは一言でいうと、日本政府が行っている国営の郵政事業が、非効率かつ民間企業を圧迫しているので、民営化して解決しようという考え方です。

郵政事業は、郵便、貯金、保険と複数あって、特定郵便局という利権や、財政投融資(特別会計)という日本政府の裏帳簿的な存在との絡みもあり、なかなか複雑です。

多くの利権が内部にあり、「郵政族」という族議員がたくさん存在した。

だが、国営で長く行ってきた郵政事業は、全国津々浦々に高質のサーヴィスを提供しており、その点で成功している事業でした。

もちろん利権や問題点はあったのだが、トータルで見れば優秀じゃないかと考える人がかなり居て、民営化に反対する人も多かった。

で、小泉内閣が本格的な郵政民営化に乗り出そうとした時、賛否で国論が二分する状態となり、与党・自民党の中でも反対する者が沢山出た。

それで国会でも揉めに揉めたのだが、その時に民営化を実現させたい小泉純一郎・首相が行ったのが、「衆院を解散して選挙し、国民に信を問う」という『郵政解散選挙』だった。

これが2005年9月に行われた衆院選挙ですが、とにかく異常な空気の中で選挙戦が進み、私が生涯に見た国政選挙の中で最も狂気に満ちたものでした。

小泉純一郎は、郵政民営化に反対する者を、一括りに「抵抗勢力」と呼んだ。

そうして自分が総裁をしている自民党の内にいる反対派の衆院議員に対しては、党の公認候補から外してしまい、その選挙区に別の公認候補を立てて、反対派を潰しにいった。

これは当時、「刺客を送り込んだ」と評された。

同じ党にいる議員を、自分の政策に同意しないからといって、刺客を送ってまで亡き者にしようとする。

こんな事が堂々と行われる国政選挙を、私は見た事がなかった。

小泉純一郎は選挙戦において、「私に賛成なのか、反対なのか、はっきり国民は投票で示してほしい」と言い、「抵抗勢力に負けない」と言った。

これは、「時局の傍観は許されない」と国民全員に政治参加を求めるのもので、なおかつ「私と違う意見の者は許さない」と異論を廃し国民を1つの思想に染め上げるものである。
正に山本七平の言う、全体主義そのものだ。

純一郎は、自分と異なる意見を「抵抗勢力」と呼んで、一切認めなかった。

これは日本が戦時中に、戦争に賛成しない者や協力しない者を「非国民」と呼んだのと、考え方が似ていると思う。

また純一郎は、「たとえ殺されても行う」と吠えていて、この点でも異常だった。

本人として改革に命を捧げる闘士の気分だったらしいが、私の見る所では狂気に囚われた状態で、「大丈夫かいな、この人」と精神を疑いましたね。

私は、こんな狂気の選挙を行う時点で、「これは違う、間違っている」と思った。

そもそも国政選挙は、幅広い政策について論争し、それを見て有権者は投票するものでなければならない。

郵政民営化のみを争点にするなんて、それ自体が異常であり、間違っている。

だから私は、「こんな政争の茶番劇に惑わされてはいけない。こんな醜い内紛をしている自民党を、国民は拒否して、別の党に投票すべきだ」と思った。

それが妥当な行動ですよ。

ところが、小泉純一郎が作った劇場型の騒動(これは当時、小泉劇場と評された)に、この時もマスメディアが乗っかった。

マスメディアは、純一郎が作り出す「改革勢力」と「抵抗勢力」という図式を、批判することなく大々的に報じた。

その結果、純一郎の言うままに「改革勢力=善」「抵抗勢力=悪」という図式が世間に広まってしまった。

実際には、単なる郵政をめぐる政策の論争なのだが、善悪の戦いになってしまった。

これは小泉純一郎の狙い通りであった。

本当はメディアは、「国政の課題は郵政だけではない。もっと広い視野で考え、様々な政策を選挙戦で論じなければならない。小泉首相のやっている事は、論争を矮小化させる誤魔化しだ。」と指摘しなければいけなかった。

小泉劇場の持つ軽薄さや危うさを、きちんと解説する必要があった。

私は郵政解散選挙の時、もちろん自民党には投票しなかった。

「こんな醜い内紛をし、国民をそこに巻き込むなんて、最低だ」と思い、投票しなかった。

小泉政権がやってきた事や、それまでの自民党政権のやってきた事も思い出して、きちんと過去を振り返った末に、自民党に投票しなかった。

これが大人の態度だと思う。

だが、今でも残念に思うが、小泉劇場に惑わされる人が続出した結果、多くの人が善対悪の図式で選挙戦を見てしまい、なんと小泉・自民党が圧勝してしまった。

あの時私は、本当に目の前が真っ暗になりましたね。

「日本人ってバカなんじゃないか」と思う気持ちを、抑える事が出来なかった。

今思うと、あれは『国民の総政治化=全体主義の運動』そのものだった。

あの時は「郵政民営化に賛成する者=善」「郵政民営化に反対する者=悪」だったが、
これを「大東亜共栄圏に賛成する者=善」「大東亜共栄圏に反対する者=悪」に変えれば、そのまま戦時中の日本になる。

誰かの作る善悪の図式に踊らされ、思考停止の状態になって権力者の言う事を盲信し、善とされる側に付き従う。

この日本国民の浅慮さは、敗戦を経ても改善されていないのではないか。

郵政解散選挙という全体主義の運動を画策し、選挙で勝利した小泉純一郎たち。

だが、彼らの行うアメリカ型の社会構造を目指す運動は、急にしぼみ出した。

郵政解散選挙が、全体主義の運動のピークで、そこから一転して「国民の非政治化(官憲主義)」となった。

それは、アメリカの国際社会での評判が、暴落したためであった。

アメリカの始めた戦争は、アフガニスタンでもイラクでも、泥沼化した。

アメリカは、侵略して占領したアフガニスタンとイラクに、傀儡政権をつくって属国にしようとしたが、どちらの国民もそれを許さなかった。

結果的に長期の内戦になったが、私はそれを非難できない。

属国になるのを拒否し、駐留米軍にテロを行う人々を、私は非難できない。
侵略したアメリカにこそ問題がある。

アメリカの侵略で、イラクが荒廃し国土がボロボロになった後、「やっぱりイラクに大量破壊兵器は無かった」と結論された。

「イラクは大量破壊兵器を持っている。危険な国であり倒さなければならない」と言って、アメリカはイラクに攻め込んだ。

その前提が崩れたのだから、言いがかりで仕掛けた侵略戦争そのものだった。

私は当時思ったのだが、そもそも大量破壊兵器を持つのが悪ならば、アメリカこそ悪である。

地球で最も軍事費を使い、核兵器などを大量保有し、武器を最も他国に輸出しているのは、アメリカなのだから。

アメリカの言い分は、「アメリカは正しい国だから、どれほど危険な武器を持っても良い。イラクは危険な国だから、持ってはいけない」だが、偽善そのものである。

こんな自己中心的な幼稚な事を、大真面目に言って、「賛成しない国はテロ支援国家と見なす」と決めつけるのだから、全体主義の激危険な国だった。

息子ブッシュが大統領をしていた時期のアメリカは、全体主義の国だった。

「テロとの戦い」を標榜し、自国民や世界の人々を、その戦争・闘争に駆り立てる。

さらに「賛成しない国はテロ支援国家と見なす」と言って、「時局の傍観は許されない」と各国に圧力をかける。

息子ブッシュ政権のした事は、世界を1つの思想・闘争に染め上げようとする、全体主義の運動であった。

日本はアメリカの属国なので、『アメリカが全体主義国家になった』と当時に認める日本人は、なかなか居なかった。

少数の人々が、これを認めていたが、自分の目で、世界的な視点で物事を見られる、偉大な識者たちだったと思う。

大手メディアには、「アメリカの戦争は、自由のための戦いだ」と説く者もいたが、「ふざけるんじゃない!」と私は思いましたねえ。

私は、『イラクに大量破壊兵器が無いからこそ、アメリカはイラクに攻め込んだ』と見ています。

イラクは、国際社会から非難され経済制裁も受けたので、国連の査察を受けて、大量破壊兵器の廃棄に取り組んでいた。

そうして真面目に廃棄し、作業を終えたところで、狙いすましていた息子ブッシュ政権が戦争を仕掛けて攻め込んできた。
石油を奪いに。

これがイラク戦争の正体だと思う。

イラク戦争を見て、多くの国の人々が、「アメリカは悪の国だ」と認識した。

その認識を補強したのが、『イラクのアブグレイブ刑務所で起きた、米軍の行う捕虜への虐待』でした。

アメリカはイラクを占領した後、アブグレイブ刑務所に米軍に逆らった者達を収容した。

その刑務所で起きた、米兵による捕虜への拷問と虐待が、ジョー・ダービーの内部告発で明らかになった。

虐待中の生々しい写真が、当時大きく報じられたが、それを見て「米軍は、世界で最も危険な軍隊である」と確信しましたよ。

一方的に攻め込み、逆らう者は刑務所に入れて虐待する。

「米軍こそ自由の敵だな」と強く思った。

アメリカは他にも、自国内のテロリスト容疑者や、他国で捕まえたテロ容疑者を、グアンタナモ収容所に運んで、拷問と虐待をした。

これも大問題になり、もちろんジュネーブ条約などに違反していたが、息子ブッシュは「テロリストには国際条約や人権条約を適用しない」と一方的に発表し、正当化した。

私はこの時、「アメリカは人権や自由を大切にしない国なんだ」と、完全に理解した。

なので、今のトランプ大統領が、コロナ危機で切り捨てられデモを行う自国民を、「国を乱す危険な奴ら」と呼ぶのも、「そういう国だよね」と冷静に眺められる。

まあ、アメリカは色んな人がいて、人権や自由を大切にする人も沢山いる。

ジョー・ダービーやエドワード・スノーデンといった、危険をかえりみず人々のために情報公開する英雄がいるのも、アメリカの一面である。

日本でもアメリカでも、ロシアでも中国でも、人々の目覚めのために情報公開の活動をする者がいる。

素晴らしい事です。

直近では、プロ・テニスプレイヤーの大坂なおみが、全米オープンに出場する中で人種差別に抗議するアクションを続けた。

勇気ある素晴らしい活動だと、彼女のことを見直しましたね。

日本のプロスポーツ選手たちと異なる、人間を感じさせる行動だった。

日本では「スポーツ選手は政治と距離をとらなければならない」とか、阿呆な理屈を言う輩がいて、スポーツ選手たちは自己主張をしない、運動するロボット、もしくは単なるアイドルになっている。
人間的に魅力がないんだよね。

特に現在は、東京オリンピックの利権を餌にして、日本のスポーツ界全体が飼い馴らされてしまった感が強い。

スポーツと政治を離したいなら、政治まみれの東京オリンピックを選手はボイコットして、日本政府のスポーツ庁も無くせと説くべきじゃないだろうか。

結局のところ、スポーツ選手は影響力があるので、政治について発言すると困ると考える者達が「スポーツ選手は政治と距離をとらなければならない」と言うのでしょう。

私に言わせれば、それは人権侵害、人権抑圧ですね。

人間だったら必ず何らかの政治意見を持つから、それを言うなと圧力をかけるのは、人権を侵害する事になる。

話を本筋に戻しますが、アフガニスタン戦争とイラク戦争を見て、世界中の人々がアメリカの悪辣さを知り、衝撃を受けた。

「アメリカの一強状態だとマズい」と痛感した。

その結果、各国はアメリカと距離をとりつつ、他の活路を見い出そうとした。

私は、中国が急激に力を付け、アメリカに対抗できる所まで国力を上げたのは、「アメリカの一強だとマズい」と感じた国々が中国に近づき、中国を育てた側面があるのではと考えています。

日本はアメリカの属国なので、中国が力を付けてアメリカとやり合うのをネガティブに捉えるが、冷静に見るとアメリカ一強の時期よりも戦争が減っている。

世界で最も好戦的なのはアメリカなので、それを抑える勢力が必要なのではないか。

アメリカの一強時代は、アメリカの評判がガタ落ちした事で終わった。

その影響で、日本をアメリカにしようとする小泉政権が進めた「国民の総政治化=全体主義の文化大革命」も頓挫した。

郵政民営化でも、小泉・自民党は衆院選で大勝したものの、その後に次の事実が暴露され、国民に支持されなくなった。

「郵政民営化は、アメリカ政府の要望に基づいており、アメリカ企業およびそれと結ぶ
 日本の一部勢力が、郵政事業の美味しい所をかっさらうために企画した。」

この裏事情は、民営化に反対する人々や、アメリカ隷属に我慢ならない人々が、調べ上げて国民に知らせた。

それで2009年に政権交代が起きて、民主党が政権を発足させると、「郵政株売却の凍結法」を作って、郵政民営化にストップをかけた。

で、再び自民党が政権をとってまた郵政民営化が進められたりして、郵政は公社化を経て株式売却が進み、現在は半官半民の状態です。

現状では「日本郵政株式会社」という形になってるのですが、最大株主が日本の財務大臣になっており、実体は半官でしょう。

日本郵政株式会社の下にゆうちょ銀行などがあるが、あえて分かりづらい組織構造にしている感があり、少しネットで調べただけでも色々なカラクリがありそうです。

きちんと調べて解説してくれる方が欲しいですねえ。

これで小泉内閣の時代にピークを迎えた、アメリカ型の社会を目指す『総政治化=全体主義の運動』の話は終えます。

その運動が崩壊した後、しばらくすると、2020年に向けて新しい全体主義の運動が生まれた。

それを次に述べますが、長文になったので2回に分けることにします。

最後におまけとして、小泉内閣の時に起きた、私が今でも忘れられない事件を取り上げます。

そもそも小泉純一郎は、「政界の変人」と呼ばれていて、自民党内で孤立しがちで人気もなかった。

彼は自民党の総裁選に出馬したが2度落選し、2001年の総裁選でも当初は本命視されてなかった。

そんな偏屈さのあり後援者の少ない純一郎を、助けて盛り立て、二人三脚の状態で総裁選を戦い、自民党総裁(首相)に就かせたのが、田中真紀子だった。

真紀子は、田中角栄の娘で、あけすけに本音で語る態度が国民に好かれており、首相候補に名が挙がるほどの人気政治家だった。

「田中真紀子が応援した事で、小泉フィーバーが起き、純一郎が首相になれた」というのが、今では忘れられている事実の1つなのです。

小泉政権について、なぜ田中真紀子の大なる貢献が忘れられた(消去された)かというと、純一郎が首相になった後に彼女を切り捨てた事と、彼女が自民党から離れた事が大きい。

功績第1位の真紀子は、小泉内閣が誕生すると、外務大臣に起用された。

当時、外務省は「機密費(官房機密費)」の問題を抱えていた。

官房機密費というのは、分かり易く言うと「裏金」のことで、情報提供者(スパイになった者)にここから金を渡したりするわけです。

実のところ、この機密費から新聞などのメディア業界の大物にわたす金(買収する金)も出ている。
その事が、田原総一郎や野中広務の証言で明らかになってます。

田中真紀子が外相になった時、この機密費の流用が発覚して大騒動になっていた。

「外務省の役人が、機密費を使ってマンションや競走馬を購入していた」と明らかになり、「いったいどうなってるんだ、外務省は!」と国民が激しく怒っていた。

国費の流用(汚職)も問題だったが、それ以上に『機密費というものがあり、国民に全く知られないところで税金が使われている』という事に国民は驚いた。

で、「外務省は情報公開しろ」という流れになったのです。

田中真紀子は外相として外務省に乗り込み、改革に動き出した。

ここまでは良かったんですよ。国民の求める方向に順調に来ていた。

私は当時とても驚いたのだが、少しすると田中真紀子・外相と外務官僚のバトルが始まった。

官僚たちが、大臣で上司である真紀子の言う事を聞かず、真紀子の不利になる情報をマスコミにリークしたりして、足を引っ張るのです。

気がついたら、国民から厚い支持を集め期待を背負って外務省に乗り込んだ真紀子が、大臣なのに、外務省内で孤立するという、意味不明な状況になった。

真紀子も「何じゃこりゃあ」と思ったらしく、ついには「外務省は伏魔殿だ!」との名言まで飛び出した。

外務省は、いくつもある省の中でも毛色が違い、何をやっているかが外から見えない組織である。

外交は機密事項とか言って、国民に情報を開示しない。

この異常さの背景を探ると、日本政府の対米従属がある。

外務省は、日本の対米従属体制の本丸という一面があり、情報開示を進めていくと日米の密約にも行き着く。

だからこそ、そこにメスを入れて、外務省がひた隠しにしてきた事を、明らかにする必要があるのです。

私は当時、外務官僚たちの内向きで、国民に情報を隠すという背信行為をしながら、それを恥じない態度に、腹が立った。
「ふざけるな!」と思った。

だから真紀子を強く応援していた。「がんばれ真紀子」と思っていた。

しかし真紀子は、劣勢に立たされた。

なにしろ、小泉純一郎・首相が動かない。
純一郎が動けば、声をかけて真紀子を支持し応援すれば、一挙に物事は前進し解決するのに、微動だにしない。

他の大臣たちも、静観している。

仲間であるはずの真紀子を、首相以下の大臣たちが全くサポートしないのです。

あの冷めた空気、困りきった様子の純一郎らの態度を見て、「日本政府って異常な組織だな」と痛感しましたね。

真紀子は追いつめられ、相当に腹が立ちイライラしたらしく、次の爆弾発言をした。

「私が改革しようとすると、いつも後ろから足を引っ張る人がいる。

 いったい誰なんだよと思って後ろを振り返ったら、なんと小泉首相だったんですよ!」

この真紀子の魂の叫びを聞いた時、大笑いしました。

小泉純一郎の正体をモロに晒す、隠し立ての一切ない、真実の響きに満ちた言葉だった。
誤魔化しばかりの日本政治に突然現れた、救いの福音みたいだった。

そんな歴史に残る名言を放てる、真紀子の度胸の良さと言葉のセンスの良さに、感心しましたよ。

大笑いした後は、彼女に深く同情しました。

正に「ハシゴを外される」とはこの事だと思った。

小泉純一郎は、田中真紀子とコンビを組んで総裁選を戦った時、「国民目線で改革する」とか「旧態依然の自民党をぶっ壊す」と訴えていた。

その公約を、真紀子は律儀に守って奮闘していたわけですよ。

だから純一郎は、盟友であり公約を実行しようとする真紀子を、支援するのが当然だった。

それなのに純一郎ときたら、裏で見えない所から、真紀子の足を引っ張っていたのです。

卑怯な態度を告発された純一郎。

さあ純一郎はどう出るのかと注目したが、何と!

自分の恩人でパートナーの真紀子を更迭し、首を切ってしまった。

これを見た時、「小泉純一郎は信じられない位に冷酷な男だな」と思った。

同時に「純一郎は口では威勢のいい事を連発しているが、真の改革する意志は無いのだ」と悟った。

田中真紀子は、この切り捨てが大ショックだったらしい。

それまでの元気の良さが消滅し、自民党からも離党してしまった。

後になって民主党政権で大臣もしたが、私の見るところ、彼女は純一郎に裏切られて以降、精彩を欠き、抜け殻状態でした。

外務省に関しては、同じ頃に起きた鈴木宗男の北方領土に絡むムネオハウスの事件も、強く印象に残っています。

宗男が汚職をしたのも事実だろうが、それ以上に、宗男に対する外務省の攻撃が凄まじくて、そっちに目が行った。

外務省は全力で叩き潰しにいっており、「与党の有力議員に対し、ここまで攻撃を加えていく外務省って、何なんだろう」と、政界の裏側を見た気がした。

結局、田中真紀子と鈴木宗男の失脚騒ぎで、外務省と機密費の問題がウヤムヤになってしまった。

私は本当に残念でしたよ。

(長文になったので2回に分けます。②へ続く。)


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