山本七平の周期説を今に当てはめてみる、日本政治を語る③
(2021.9.19~26.)

昨年度の日記で取り上げた、山本七平の著作にある「15年周期説」。

これを現代の政治に当てはめて論じるシリーズの、第3弾です。

前回の記事からかなり経ってしまいましたが、久しぶりに続きを書きます。

ここまでの話が気になる方、まだ読んでない方は、2020年7~9月の日記2020年10月~12月の日記を読んでみて下さい。

前回の『山本七平の周期説を今に当てはめてみる、日本政治を語る②』では、2012年の末の政権交代までを書きました。

今回は、政権交代をして第二次・安倍政権が始まり、その政権が終わった2020年までを論じていきます。

第二次・安倍政権は、2012年12月に発足し、2020年9月に終わりました。

この時期に、山本七平の15年周期説を当てはめると、ちょうど国民の総政治化(全体主義の国民運動)が盛り上がるはずで、2020年あたりで崩壊する事になります。

2020年に向かって全体主義の運動が盛り上がり、一挙に崩壊するはずでしたが、実際にその通りになったと私は考えます。

第二次・安倍政権の時期に起きた「国民の総政治化=全体主義の運動」は、短くまとめるとこうだったと思います。

『もう我々には余裕はない。
日本には、かつての豊かさも輝きもなく、国際的な地位もどんどん低下している。

このままだと我々の未来は暗いものになる。
日本は負け犬になる。

暗い未来を回避するには、やはりカネを沢山儲けるしかない。
カネさえあれば何とかなる。

とにかくカネが欲しい。何としても欲しい。
カネを手に入れるためなら、手段を選ばない。

我々には、もう余裕はないのだ。
だから、どんなビジネスにでも手を出すし、儲かりさえすればいいのだ。」

この刹那的で、やけっぱちな考えが、安倍政権と、それを支持する人々の深層心理にあったと、私は分析します。

第二次・安倍政権の当時、政権の中枢およびその強固な支持者からは、上記の価値観・情念を、私はひしひしと感じました。

彼らにとって、それはとても切迫した想いで、当人たちはえらく必死になっており、想いを共有しない人々を非難し、時には罵倒するほどでした。

さらに言うと、彼らは自分を愛国者だと盲信しており、上記の価値観(危機感)を共有しない人々を、どこかで非国民と見ている感じがありましたね。

第二次・安倍政権は、時期によって支持率の変動はありましたが、平均すると40~45%くらいの支持率があったと思います。

国民の約半数が(消極的な支持も含めて)安倍政権を支持し続けたために、最終的に歴代で最長の政権となりました。

しかし、いま改めて振り返ると、7年半以上も続いた政権なのに、とりたてて政治の実績がありません。

これは、驚くべき無能ぶりで、日本史上の珍事と言ってもいいでしょう。

このような結果になったのは、安倍政権が打ち出すろくでもない政策に対し、国民の半数くらいがきちんと反対・反論をして、暴走を食い止めたのが大きいです。

第二次・安倍政権の時期の「国民の総政治化=全体主義の運動」は、それに乗っかったり溺れたりしない人が、国民の半数を占めました。

その結果として、安倍政権の「カネ儲けのためなら何でもする」という政策の数々は、何度も挫折しました。

今回の「全体主義の運動」は、これまでと違って、あまり大きなムーブメントになりませんでした。

これは、日本国民の進化だと、私は思っています。

では、これから第二次・安倍政権が行った、金儲けに特化した政策たちを見ていきましょう。

この政権については、安保法制を改定して、集団的自衛権の行使を可能にしようとした事が、思い浮かびやすいと思います。

しかし私は、この政権期に起きた様々な出来事(モリカケなどの汚職事件を含む)や、当時の社会の雰囲気などを振り返って、この政権の本質は「金儲けがしたい、とにかくカネが欲しい」に尽きると思います。

安倍政権の行った、金儲けに特化した政策には、次のものがありました。

①カジノの誘致

②東京オリンピック(開催に向けた建設と投資のラッシュ)

③リニア新幹線の着工

④原発の再稼働と輸出

⑤武器輸出の解禁

⑥観光立国

⑦ゼロ金利やマイナス金利の継続

⑧年金積立金を株式市場に投入

上に並べた政策は、冷静に考えると、本当に必要なんだろうか?と疑問が湧くものばかりです。

中でも、カジノ、原発、武器輸出は、モロに悪どいビジネスで、他人が不幸になっても自分さえ良ければいいと考える者しか、手を出さない分野です。

上に挙げた8つの政策を1つ1つ見ていきましょう。

まず「①カジノ誘致」ですが、これはアメリカのカジノ業界からの要望があり、安倍・自公政権は今まで日本で禁止されてきたカジノを法改正して造れるようにしました。

ギャンブルを政権の成長戦略に組み込むなんて、本当にどうしようもないですね、自民党+公明党は。

当然ながら、国民の過半数がこの政策に反対をしました。
世論調査ではっきりと示されていました。

結局のところ、住民たちの反対と、コロナウイルス流行による観光産業の大ブレーキにより、カジノはまだ1つも日本に造られていません。

アメリカの大手カジノ会社であるサンズは、日本進出から撤退を表明しました。

カジノ誘致は、国民や住民の反対を押し切って進めましたが、大失敗に終わった政策と言っていいでしょう。

次に「②東京オリンピック」ですが、これは多くの人々が賛成しやすい政策で、割と順調に進んだビジネスでした。

建設業や観光業を始めとして、沢山の企業や店がオリンピックに向けた好景気や観光客にありつこうと、目の色を変えていましたね。
実に浅ましい光景でした。

テレビ番組のじゅん散歩を見て知ったのですが、東京では神社までが外国人観光客や若者をターゲットにして新商品を展開してました。

東京オリンピックは、もちろん金儲けが目的でしたが、そうではないと人々が幻想を抱ける華やかさや国際性があるので、後ろめたさを感じずに金儲けに走れると、多くの人が飛びつきました。

安倍政権にしても、金儲け第一主義の政策の中でも批判を浴びにくい政策だったようで、モリカケ汚職などで政権が失速すると、オリンピックに注力している感がありました。

ところが2020年に入ると、コロナウイルスが登場し、状況が一変しました。

正に2020年に、それまで盛り上がってきた「全体主義の運動(今回は金儲け至上主義)」がどーーーんと崩壊しました。

東京オリンピックは、本来ならば中止にすべきでしたが、金儲けをしたい連中が足掻いて、1年の延期になり、結局はコロナが大流行して緊急事態宣言が東京都に出ている中で強引に開催されました。

開催したとはいえ、観客は会場に入れなかったし、コロナ流行中なので国民の7~8割が開催に反対していたしで、大失敗に終わったと言っていいでしょう。

なおオリンピックは、華やかさをマスメディアやオリンピック委員会は宣伝し演出しますが、実体はカジノや原発や武器輸出と同じくらいにドロドロした汚い利権のある世界です。

その事を知っている方や、実体を見抜いた方には、東京オリンピックを返上する事や、中止する事を求める者もいました。

私はさらに一歩進んで、オリンピックそのものが消滅する事を望んでいます。
その事は、別記事(オリンピックは使命を終えている、消滅させよう)に詳しく書いてあります。

私は、コロナ流行が始まった時、「これで東京オリンピックは中止されるだろう」と思いました。

オリンピックの暗黒面を知っており、オリンピックを開催するとその後に大抵は開催国が大不況になると知っていたので、「中止にしたほうがいい、そのほうが日本の傷は小さくなる」と考えました。

だから本当に残念でしたね、安倍政権が中止ではなく延期の決断をした時には。

結果的には、延期をする事で経費がさらに膨らみ、延期したけど通常開催は行えず、赤字だけが膨らむ事になりました。

その赤字は、日本国民と東京都民が負担する事になるでしょう。

赤字の全体像はまだ見えておらず、来年にオリパラの大会組織委員会が最終赤字額(決算)を発表をするそうです。

私からすると、オリンピックは何ら美しいものも正義も無い、魅力に欠ける大会です。

しかし、スポーツに過度の信奉や親近感を持つ人が多いらしく、なおかつ宣伝に乗せられているようで、オリンピックに特別の魅力を感じている方が見受けられます。

東京オリンピックが近づくにつれて、特別のステータスをオリンピックに付与しようと、あの手この手で宣伝が行われましたよね。

テレビのCMで「東京オリンピックで国民は1つになろう」と語られた時には、本当に気持ち悪かったです。

「オリンピックで国民は1つになろう」というスローガンは、全体主義の臭いがしました。

私みたいな、オリンピックに懐疑的な人間からすると、「お前は非国民である」と言われている感じがありましたね。
まあ私はそんな事で心の折れる人間ではありませんが。

「東京オリンピックで国民は1つになろう」というスローガンに対し、私はこう思いましたよ。

「たかだか数週間の運動会なのに、そこに向けて国民が1つになろうなんて、バカじゃないか。

色んな価値観の人がいるんだし、オリンピックに興味の無い人や、批判をしている人も、当然いる。

興味の無い人や、批判している人をどうするのか。
強引に考え方を改めさせるのか、そいつらは国民じゃないと無視するのか。

スローガンを掲げた者達は、自覚は無さそうだが、発想が全体主義に繋がっており、危険思想を孕んでいる。」

山本七平の言う「国民の総政治化」、つまり国民を1つの方向に動員しようとする動きが、「オリンピックで国民は1つになろう」に現れていました。

次は、「③リニア新幹線の着工」です。

これは、観光立国や東京オリンピックとも絡んだものだと思います。

安倍政権の1つの特徴に、考え方が古い、何十年も前に流行った政策を蘇らせようとする、のがあります。

新幹線に力を入れるというのは、田中角栄らの時代に流行ったものです。
その後に国鉄の赤字が問題視され、国鉄は民営化されて、政治改革で新幹線の新規建設が停止されたりと、新幹線は時代遅れの政策となりました。

それがリニアになったからといって、いきなり復活するのはどうかと思います。

今までの流れを大転換させるならば、それだけの説明が必要なのに、その説明は無かったですしね。

リニア新幹線は、今までの新幹線と技術も規格も違うので、新たに線路を一から造らなければなりません。

そうしてリニア新幹線は基本的に地下を進むので、その工事は莫大なカネと時間と労力がかかります。

地下を掘っていくので、環境破壊が深刻だと見られており、掘って生まれる土の処理も問題視されています。

こういう問題点を知らない人だと、リニアで新幹線が速くなっていいじゃんと思うのでしょうが、総合的に考えると、必要のないものです。

実際に、住民や自治体の反対があるため、計画通りに進んでいません。

色んな利権があって、人々の反対を無視して進んでいる状態ですが、たぶんカジノや東京オリンピックと同じで、上手く行かないでしょう。

次は、「④原発の再稼働と輸出」です。

これはもう最悪でした。

福島原発の大事故があり、その処理がなかなか進まずにいるのに、原発をベースロード電源に入れて重視する安倍政権に、私は怒り心頭でした。

安倍政権は、原発の輸出にも熱心で、安倍首相は外遊時に原発を売り込んだりしてました。

本当にめちゃくちゃでしたね。

原発の大事故を起こしたのに、他国に原発を売ろうとする神経は、異常でした。

原発利権の延命と、金儲けのことしか考えてないのは、明らかでした。

私は、安倍首相の行状を見ていて、恥ずかしさで一杯でした。

「こんな人が日本の代表として各国政府と交渉するのは、あんまりだ。きつすぎる、見るに堪えない。一刻も早く辞めてほしい。」と、彼の首相在任中ずうーーっと思っていました。

だから、安倍政権を支持する人々にも、ずっと怒りを感じていました。
「お前ら、いい加減にせえよ」と思い続けてましたよ。

結局、原発の輸出は、安倍政権が肩入れしていた原発メーカーの東芝が大赤字となり、東芝の粉飾決算も判明するという、最悪の結末となりました。

世界的に再生可能エネルギーが躍進する中、古臭い原発に固執した結果、みじめな敗北となったと言えます。

安倍政権(日本政府)が原発輸出政策に費やした労力やカネを、他に事に使っていたらどうだったろうと考えると、本当に残念でなりません。

次は、「⑤武器輸出の解禁」です。

長らく日本は、武器の輸出を禁じていました。

この事は、日本が平和を愛する国として世界に認知される要因となり、憲法第9条と共に大いに機能し、日本の評判を高めてきました。

アメリカには例外的に武器を輸出してきましたが、これは日本がアメリカの属国である1つの証でしょう。

アメリカには輸出してきたとはいえ、日本は平和主義の一環として、武器の輸出を極力してきませんでした。

それを安倍政権は覆し、武器の輸出を認める、武器装備移転三原則を採用しました。

これは日本の劣化、後退だと私は思ってます。

武器を売る事は、紛争を生んだり、紛争を助長したりしています。

どこかで紛争や内戦があると、アメリカやロシアは肩入れして、武器を売る事が多いですが、悪そのものだと思ってます。

かつての日本も、中国の内戦(軍閥の争い)に介入し、武器を売ったり、色々と支援する代わりに利権を要求してました。
鬼畜の行いだったと思います。

こういう事は、もう日本はしてはなりません。

武器売却をビジネスにするなんて、下衆のする事です。

人生には、カネよりも大事なものがあります。

次は、「⑥観光立国」です。

これは、安倍政権の途中から、えらく前に出して連呼するようになりましたね。

東京オリンピックが近づいて、外国人の観光客が増えてきたため、「観光で儲けましょう、日本には観光資源が沢山あります」とテレビなどが訴えてました。

今の菅政権もこの政策を引き継いでますが、私はずっと観光立国に疑いの目を向けています。

というのも、観光に力を入れている国は沢山あるし、それらの国と勝負して日本が大勝する絵が全く見えないからです。

そもそも立国というのは、まだ強みの無い国や特徴の無い国が、何かに注力する事で、強みや個性を生み出し繁栄を目指すのを指します。

日本はすでに色々な強みを持っており、先進国の一員なのに、なぜ今さら立国をしなければならないのか。
変だと思いませんか。

日本で金融ビッグバンが話題になっていた時は、金融ビッグバンで「金融立国」を目指そうと言う方が何人もいました。

そう述べた方は、「日本の円を、ドルに次ぐ通貨にできるはずだ」とか言ってました。

私が反対していた金融ビッグバンは行われましたが、現在の円はあの頃よりも地位はむしろ下がっていると思います。

「金融立国」は、失敗したと言えるでしょう。

「観光立国」は、「金融立国」と同じ臭いを感じます。
なんとなくブームが来ているから、それに乗っかっていこう、どうせなら「立国」と言ったほうがカッコイイじゃん、という軽薄なものを、私は感じています。

観光を産業として発展させたい、というのは理解できます。

しかし、立国という前のめりで、別の産業の今までの積み上げを無視もしくは軽視するニュアンスの言葉を出してくる所に、危うさを感じています。

日本についてよほど自信が無いのでしょう、立国をしたがる人達は。

観光立国の政策も、2020年のコロナウイルス発生と流行により、崩壊しました。

政府の掛け声に乗って、観光事業で投資したり起業した方はかなり居るようですが、ほぼ全員が今は苦境にあるでしょう。

私に言わせれば、浅はかな安倍政権の政策に乗ってしまったのは大ミスでしたね。

実のところ観光業は、波があるし、右肩上がりに進むものではありません。閑古鳥が鳴く時期もあります。
それなのに右肩上がりに行くような幻想を持ち、事業規模を急拡大させた人や企業は、愚かとしか言いようがないです。

現状だと、コロナ流行が収まったら、また観光客が戻ってきて好景気になるという前提で、与党の自公やマスメディアは色々と目算を立ててますが、そんなに上手くいかないと私は予想してます。

観光業は波があるし、日本がブームになっていたのは終わったので、少なくとも外国人観光客はしばらく低調なのではないかと予想しています。

次は、「⑦ゼロ金利やマイナス金利の継続」です。

これは、金融政策として長く続けられているので、もはや日本では当たり前の光景ですが、冷静に考えると、異常な政策ですよ。

出来るだけ早く脱却すべきなのに、そういう姿勢や意欲が日本政府に無いのは、ヤバイと思います。

聞くところによると、金利の安い日本で資金調達をし、それを他の国で運用して儲けるのが、横行しているそうです。

そういった、世界を舞台に取引する金融トレーダーが、一番恩恵を受けているのではないでしょうか。

ごく普通の日本人にとっては、ゼロ金利やマイナス金利は、メリットが薄いと思います。

第二次・安倍政権では、「異次元の金融緩和」を行いましたが、そういう極端な事をするのは、長期的に見て誤りだと思います。

安倍政権の時期は、倫理が次々と崩壊し、憲法までもが軽視され無視されましたが、その異常さは金融政策にも現れていました。

次は、「⑧年金積立金を株式市場に投入」です。

これも、異常な政策です。

ぶっちゃけた話、安倍政権の支持層の1つが富裕層で、株高になると支持が続くので、株高にするために年金積立金を投入したのが濃厚です。

最近は、世界的に株価がおかしいですよね。

日本でもコロナ流行で不況下なのに、日経平均株価が3万円の大台に乗るという意味不明な現状です。

日本の株高は、政府が年金積立金や日銀を使って株を買うからだというのが、指摘されています。

株安になると政府が(日銀が)買い支えているとか、よく言われてきましたが、「政府が株式市場をそんな風に自己都合で操作していいのか」と私はずっと思っていました。

冷静に考えると、とってもおかしい状態ですよ。
そういう政策を打つ人達が、「市場原理」とか「自由競争」とか口癖で言うので、よけいに変な事になってます。

以上のように、第二次・安倍政権は目先の金儲けに邁進し、その政策の多くが政権存続中に失敗に終わりました。

それなのに、安倍政権を支持し支え続ける人々は、一定数居ました。

何とも不思議だったので、私は彼らの観察を続けましたが、「本質的に思考がとてもネガティブだ」と感じました。

安倍政権の支持者の言動は、簡単に誰かを否定するし、常にケンカ腰だし、きちんと議論しないし、やたらと理屈を並べるしと、大人気の無さと自信の無さがありました。

彼らは、表面上は「世界で輝く日本」とか「日本は凄くて世界一」とか言うのですが、そういう極端な発言を次々とするあたりに、私は逆に自信の無さを見ましたよ。

その自信の無さは、中国と韓国をとにかく下に見て罵倒する姿に、顕著に出ていたと思います。

現実には、中国はどんどん力を付けてきて、もはや国際的には日本と比較にならない存在になっています。

韓国も、芸能分野(音楽や映画やテレビドラマ)は世界に普及しており、日本のはるか上を行ってます。

日本がだめと言うつもりは全く無いですが、中国と韓国を下に見るのは間違っているし、かえって日本の力を奪っていると思いますね。

それぞれの国と国民に、個性や良さがあるのであって、どちらが上とか下ではない、というのが真実だと思います。

安倍政権の支持者たちが持つ、自信の無さと卑屈さを表した現象として、「トリクルダウン」という言葉の流行がありました。

トリクルダウンとは、したたり落ちるという意味で、「富裕層や強者が豊かになると、その冨がしたたり落ちて、一般人も豊かになる」との考えです。
これが一時期に流行り、安倍支持層の間で信じられて、彼らの拠り所となり、安倍政権の政策を支持する根拠となりました。

経済学者の中に「トルクルダウン理論」を唱える者がいて、安倍支持層はこれを信じたわけです。

私としては、この理論が正しいと思えなかったし、なにやらインチキ臭いものまで感じましたね。

トリクルダウンの発想は、富裕層や強者に依存する考えが根底にあり、したたり落ちるのを待つ一般人たちはとても受動的です。

待つ側には創造性はなく、とにかく信じて待つしかありません。

実際に安倍信者たちは、「今は待つんだ、きっと冨がしたたり落ちてくる」と当時言ってました。

私はその姿に、卑屈さを見たし、哀れみを感じました。

冨というのは、自分たちで生み出したり、自分たちで分かち合うものじゃないですか。

ひたすらしたたり落ちるのを待つという発想に、彼らの自信の無さが強く表現されていましたね。

自信の無さの裏返しだったと思いますが、安倍政権の支持者たちは、自分と違う考えの人々を、一括して否定する感じが濃厚でした。

特に熱狂的な安倍政権の支持層だった「ネット右翼」と呼ばれる人々は、違う考えの人々を一括して「サヨク」とか「売国奴」とか「在日」とのレッテルを貼り、蔑視を露骨に表現していました。

だから、彼らと違う価値観や意見を持つ私は、安倍信者たちが闊歩する第二次・安倍政権の時代は、とても息苦しかったです。

私にとっては、小泉純一郎・政権と、第二次・安倍政権が、経験した政権の中で最も息苦しく、社会の雰囲気が不快でした。

この2つの政権は、長期政権になりましたが、山本七平が言う「国民の総政治化の時期(全体主義の時期)」にぴったり当てはまります。

安倍晋三・首相は、2017年7月の都議選に向けた街頭演説において、「安倍辞めろ」と叫ぶ人々に対し、指をさして「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言しました。

この行為は、第二次・安倍政権の持つ、多様な意見を認めず、別の考えを持つ者を敵と認識して排除しようとする体質を示した好例でした。

安倍首相は、街頭にいる自分の支持者たちに向けて、「こんな人たちが国民の中にいる、あんな奴らに負けるわけにいかない」とアピールしたわけですが、この考えは全体主義につながる考えでした。

幸いな事に、「政権の批判をする人々も国民の一員なのだ」との論調が広がり、安倍首相の狭量さがマスメディアで指摘され、安倍首相も「批判する人を排除する意味ではなかった」と弁解したので、何事もなく収まりました。

しかし、安倍首相の上の発言は、それを聞いた人の中に真に受けて、安倍政治を批判する人を蔑視する者が出かねないものです。

実際、安倍晋三のこの時の発言には、蔑視のニュアンスがあります。

ある人々を敵視したり、蔑視したり、排除しようとするのは、典型的な全体主義の行いです。

そして支持者たちを扇動し、自らの政治に動員しようとするのも、全体主義の手口です。

安倍政治には、この傾向がかなりありました。
だからこそ私は、息苦しさを感じたのです。

安易に自分と違う人々を否定すると、井の中の蛙になり、大きな成長が難しくなります。

それに政治は、多くの人々のアイディアや協力を仰がないと、上手く行きません。

だから第二次・安倍政権は結局のところ、長く続いたのに、実績がほとんど無いまま終わりました。

安倍首相は在任中、レガシー(政権の後世にのこる遺産)を強く求めて言葉にも出していましたが、はっきり言って無いですね。

安倍首相は、最終的に首相在任の最長記録を樹立した直後に辞任しましたが、最長記録を更新した事でレガシー達成と思い、それで満足してやる気が完全に切れた、そんな印象を私は受けました。

首相在任中に行った政策ではなく、在任最長記録を自慢に(レガシーに)しなければならない、そんな辺りに安倍晋三の無能さ(勘違いぶり)と、真に有能な人々と交われない寂しい人生が表出していると思います。

そんな人を強く支持した、安倍信者と評された人々も、たぶん寂しさを抱えた人生なのだと思います。

話を山本七平の15年周期説に戻しますが、彼の説でいくと、2020年に「国民の総政治化(全体主義の運動)」が崩壊するはずでした。

上記した通り、実際に2020年には、東京オリンピックの延期と、第二次・安倍政権の退陣があり、それまでの全体主義を感じさせる政治が崩壊しました。

15年周期説は、今回も当たったと言えるでしょう。

しかしながら、だいぶ前に太字で書いた通り、今回の「国民の総政治化(全体主義の運動)」は、付き従わない人々が多数おり、だいたい国民の半数を占めたと思います。

ですから、安倍晋三が首相になり、取り巻きや支持者と共に暴走する事が7年半も続いたのに、それほど日本に被害は広がりませんでした。

これは、誇っていい日本の前進・進化だと思います。

私の見るところ、安倍晋三の後を継いだ菅義偉・政権は、全体主義ではありませんでした。

あくまで私の感覚ですが、さほど息苦しくなかったし、人々が自由にものを言えて、堂々と菅首相を批判したり、時にはボロクソにけなすのまで社会は容認していました。

これが第二次・安倍政権の時だと、政権の行いをきつく批判すると、安倍信者たちが騒ぎ出し、批判した者を攻撃し始めて、社会に息苦しさが生じてました。

菅義偉には、国民を煽ったり恐怖に陥らせて、1つの方向に動員しようとする、気持ち悪さは無かったです。
そこは安倍晋三と大きく違いました。

2020年から現在の2021年9月までは、コロナウイルスの流行があって、各国でロックダウン(都市の封鎖)が行われたり、ワクチン接種の半ば強制が行われてきました。

世界的に、権力が人々に色んな事を押し付けて、人々の自由を縛る状態が続いています。

つまり、全体主義の動きが世界各地で強く起きており、世界全体に息苦しさがあります。

日本でもコロナ対策の名の下に、人々の考えや行動を制限し、1つの方向に動員しようとする動きがあります。

しかし日本では、ロックダウンもワクチン強制も起きていません。
ワクチン・パスポートという、権力が人々に強制的に格差を付ける狂気の政策も、日本では採用されていません。

だから日本では全体主義の動きは少なくて、マシな方だと思ってます。

世界で過激なコロナ対策が打たれる中、菅政権は「コロナ対策が遅い」とか「無能」とか批判されながらも、ロックダウンもワクチン強制もしませんでした。

この事を、私はかなり評価しています。
確かに動きが鈍いし無能でしたが、極端な過激さに走らない良さがありましたよ。

もし東京オリンピックを中止にしていたら、菅政権の支持率は持ちこたえて、現在の退陣表明には至らなかったのではないでしょうか。

菅義偉は、側近の助言を聞いてオリンピック開催で支持率を上げようとしたと、新聞などでは解説してました。

完全に間違った判断を、菅義偉と側近はしました。
中止にしたほうが絶対に支持率は上がったんですけどねえ。

山本七平の説では、「国民の総政治化(全体主義)」が崩壊して終わると、「国民の非政治化(官憲主義)」が始まると説いてます。

私は、菅政権を見ていて、山本七平の言うところの「官憲主義」だったと思うのです。

安倍から菅に政権が替わった時に、全体主義から官憲主義にチェンジしたと考えます。

もし菅政権が全体主義だったら、どこかに敵を見つけて、猛烈に叩いたでしょう。

そうやって人々を1つの価値観に染め上げようとしたはずです。
安倍政権がしたように。

菅義偉は、敵を強引に設定して、そいつをひたすら悪者だと喧伝する事を、しませんでした。

私はその姿を見ていて、「菅義偉は安倍政権の時、官房長官として数々の非道な発言をしてきたが、性根はそれほど曲がっていない」と思いましたよ。

安倍晋三は首相の時に、ある時は北朝鮮を悪者に仕立て、ある時は中国や韓国を悪者に仕立て、ある時は政権に批判的な者を悪者に仕立て、ある時は日教組を悪者に仕立て、ある時は学者を悪者に仕立てと、常に悪者を設定していました。

そうやって危機だと煽りつつ、悪者に設定した者を罵って、自らを正義の存在に見せようとしていました。

私に言わせると、そういう奴こそ悪者です。

菅政権は、全体主義の気持ち悪さはありませんでしたが、官憲主義の冷たさはありました。

「官憲主義」というのは、国民の声に耳を傾けず、一部のエリート層だけで政治決断をしていくものを言いますが、これを菅政権はずっと行っていました。

もし国民の声に耳を傾けていたら、東京オリンピックの中止を決断したでしょう。

世論調査では7~8割の人が東京オリンピックの中止か再延期を求めていたし、再延期したら冬季オリンピックと開催年が被るので、中止がベストの選択でしたよ。

これで、第二次・安倍政権期に起きた「国民の総政治化(全体主義の動き)」を論じるのは終えます。

山本七平の15年周期説は、ここまで書いてきたとおり、現在まで当たってきたと思いますが、これは決して良い周期ではありません。

全体主義も、官憲主義も、民主主義から遠いものです。

日本の政治は、全体主義と官憲主義が交互に起きる状態から、脱却する必要があります。

そのためにどうすればいいかを、次回の日記に書こうと思います。


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