(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
ベトナム戦争が始まると、日本の世論の反対をよそに、アメリカ軍は沖縄から直接に出撃するようになった。
日米安保条約では、「戦争に日本の基地を使う場合には、日本政府と事前に協議する」と定められていた。
しかし協議は行われず、アメリカ軍のシャープ提督は「我々は、この基地をいつでも自由に使用する権利を持っている」と明言した。
そして、東京周辺の病院には、毎日のようにベトナムで負傷したアメリカ兵が運び込まれるようになった。
日本人の中には、ベトナム戦争に参加する者もいた。
アメリカ軍の用員になって戦死する日本人は、何人もいた。
日本の「船員の職業安定所」では、アメリカ軍に参加する仕事を斡旋した。
佐藤栄作・首相は、アメリカ軍が北爆を行った時に、「北ベトナムへのアメリカの報復爆撃は、やむをえない」と言い、アメリカの行動を支持した。
そして、ナパーム弾の原料など、様々な物資が日本から運ばれた。
ベトナム戦争に関連した日本の輸出は、「ベトナム特需」と呼ばれて、1年間で6億ドル(当時の2160億円)にもなった。
日本は、アメリカのベトナム攻撃を、軍事と経済の両方で支えた。
○村本のコメント
当時は、日本でも反戦運動が盛り上がりました。
反戦の活動をする人がいる一方では、戦争すらも金儲けの機会にする人々がいたわけです。
しかし、人を殺す道具を作ることに協力できる精神構造は、本質的に異常ですよ。
金儲けのためならば何でもするような企業は、地球上から根絶する必要があります。
(2014.6.5.)