(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
アメリカは、1965~73年の8年間で、300万人以上の兵士をベトナムに送り込み、5.8万人が戦死し、1200億ドルの戦費をつぎ込んだ。
アメリカ政府はベトナム戦争を、「共産主義者の侵略からベトナムの自由を守るため」と宣伝した。
それを信じて、戦場に立った若いアメリカ兵たちが見たのは、まったく異なる状況であった。
ヘリコプターから捕虜を突き落としたり、村に火を付けて村民を虐殺したりしていた。
アメリカ兵は、現地の人が農民なのかゲリラなのかが分からないので、皆殺しにしていたのである。
人種や民族に対する偏見もあった。
アメリカ軍とサイゴン政府軍(南ベトナム政府軍)は、人々を強制的に移住させる戦略を採った。
移住を強いられた人々は、鉄条網で囲まれた新しい村で暮らさなければならなかった。
そうした人々は、350万人もいたという。
アメリカ兵の中では、黒人兵士の死亡率が群を抜いていた。
アメリカでの黒人人口は12%だが、戦死者の25%に達している。
アメリカ軍の中でも強硬派だったカーチス・ルメイ空軍参謀長は、「ベトナムを徹底的に爆撃して、石器時代に後戻りさせる」と言い、核兵器の使用まで主張した。
ベトナム戦争が拡大して、テレビや新聞で連日に報道されると、アメリカ軍や協力している韓国軍の残虐な行為が知られる事になった。
アメリカの各地で反戦デモや集会が行われ、1967年10月21日にはワシントンに10万人が集まり反戦を訴えた。
日本でも、労働組合が反戦ストライキを行い、「ベ平連」などが活動した。
そして、アメリカに協力する日本政府(自民党政権)への批判も強まった。
1973年に和平協定が結ばれると、アメリカ軍はベトナムから撤退を始めた。
そして、戦争をサイゴン政府軍に肩代わりさせた。
サイゴン政府が協定を守らないので、北ベトナムと解放戦線はサイゴン政府を攻撃した。
75年3月に攻撃を始め、4月30日にサイゴンが陥落した。
サイゴン政府がこんなにあっけなく倒れるとは、誰も思ってなかった。
ベトナム戦争では、アメリカ兵の死者は5.8万人で、平均19歳の若い兵士たちだった。
ベトナム人の死者は190万人に達し、400万人を超えたとする人もいる。
さらに、戦争に巻き込まれた隣国のラオスやカンボジアでも、数十万人が死亡した。
(2014.6.5.)