フランスは独立宣言を認めず、
ベトナムを軍事力で屈服させようとする
インドシナ戦争が始まる

(これならわかるベトナムの歴史、わかりやすいベトナム戦争、から抜粋)

第2次世界大戦が終わると、フランスはインドシナでの植民地支配を再び行おうとした。

フランスは、ホー・チ・ミンらの独立宣言を全く認めなかった。

そして、1945年9月下旬(独立宣言のすぐ後)にメコン・デルタに兵を進めて、各地を占領していった。

これをしたのは、大戦中に戦闘をせずに戦力を残していた、ベトナム駐留のフランス軍(10万人)である。

フランス軍と、それに協力する少人数のイギリス軍は、45年末~46年末までの1年間に、あらゆる手段を使って新生ベトナム民主共和国の抹殺をはかった。

46年7月にフランスは、ベトナム南部に『コーチシナ共和国』を樹立させた。

ベトナム政府は、フランス軍と協定を結んで戦争を避けようとした。

しかし、フランスが妥協しなかったために交渉は決裂し、フランス軍は46年11月にはハイフォンを無差別爆撃した。

1946年12月19日に、北部ベトナムのハノイで、フランス軍とベトミンの衝突が起きた。

ホー・チ・ミンたちはハノイを脱出して、北部の山岳地帯に根拠地を作り、「救国宣言」をして全面的なフランス軍との戦闘に入った。

これが、『インドシナ戦争』の始まりだった。

その後すぐに、ベトミン軍をソ連が支援し始め、フランス軍をアメリカが支援し始めた。

インドシナ戦争は、冷戦に巻き込まれた。

そして、1954年7月の休戦協定まで、戦争は7年半も続いた。

インドシナ戦争が始まると、ベトミンは北部の山岳地帯に退き、中国国境に近いため中国からの支援を得るようになった。

ベトミン軍は、「ゲリラ戦」と「正規軍のよる野戦」の2本立てで戦い、前者では成功し、後者では大損害を出した。

これは、後のベトナム戦争と非常によく似ている。

中国は、1949年に国共の内戦を終えると、内戦中に捕獲した大量のアメリカ製兵器をベトミン軍に供与した。

(2014.3.24.)

(『現代ベトナムを知るための60章』から抜粋)

1945年9月2日に、ホー・チ・ミンは『ベトナム民主共和国(ベトミン政府)』の独立を宣言した。

この宣言は国際社会では認められず、連合国は北緯16度線を境として、北は中国(国民党)軍、南はイギリス軍が進駐した。

そして南部はフランスに返還されて、46年3月には北部もフランス領に復帰した。

その後、フランスはベトミン政府の抵抗にあい、12月から『インドシナ戦争』が始まった。

(2014.5.19.)


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