(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
1954年4月に、スイスのジュネーブで、アメリカ・フランス・イギリス・ソ連・中国の5大国の会議が開かれ、インドシナ問題の解決について話し合った。
その席には、ベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム国(南ベトナム)、ラオス、カンボジア、の参加も認められた。
会議の結果、7月に『ジュネーブ協定』が結ばれた。
ベトナムに関しては、「北緯17度線を軍事境界線とする」「一切の増援部隊を禁止する」「国際的な監視委員会を置いて全国選挙を行い、南北を統一する」と決まった。
しかし、ベトナム国のバオダイ(フランスの傀儡国王)は署名を拒否し、アメリカも「調印しない」と表明した。
統一選挙を行えば、ホー・チ・ミンが大統領に当選するのが明らかだったために、バオダイとアメリカは拒否したのである。
(ホー・チ・ミンは、ベトナムの民衆から支持されていた)
結局は、南北の統一選挙は行われなかった。
(2014.3.27.)
(『現代ベトナムを知るための』60章から抜粋)
ジュネーブ協定が締結されると、ベトナムは北緯17度を「軍事境界線」として、分断された。
この協定では、2年以内にベトナム全域で総選挙を実施して、「民族自決による統一」が成される事になっていた。
しかし、アメリカの後押しで55年10月に、南ベトナムで『ベトナム共和国』が建国された。
これにより、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)の「2つのベトナム」が固定化した。
(2014.5.19.)