(『現代ベトナムを知るための60章』から抜粋)
南ベトナムでアメリカが擁立した、反共・親米の政権(ゴ・ディン・ジェム政権)は、旧ベトミン勢力の弾圧を始めた。
そこでベトナム労働党は、「15号決議」において武装闘争での勝利を目指す事にした。
そして1960年12月に、『南ベトナムの解放民族戦線』が結成された。
こうして、ジェム政権と解放民族戦線との内戦が始まった。
解放民族戦線を危険とみたアメリカ政府は、ベトナムに本格的な軍事介入を始めた。
そして1963年10月には、ジェムの暗殺を黙認した。
(アメリカCIAが、ジェムの暗殺を行った)
アメリカは、北から南への補給ルート(ホーチミン・ルート)の遮断を重視し、64年8月の「トンキン湾事件」を契機として直接的な軍事介入を始める。
こうしてベトナム戦争は、「アメリカの戦争」となっていった。
(2014.5.19.)
(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
南ベトナムのゴ・ディン・ジェム政権は、1963年にクーデターによって倒された。
その後、何人もの軍人が次々に政権を握ったが、民衆からは全く支持されなかった。
軍事顧問団を送り込んで南ベトナムを操ろうとしていたアメリカは、戦争を始めて直接的な介入をする事を決断した。
(2014.5.19.)