フランスはベトナムに侵攻し、1883年に植民地にする

(これならわかるベトナムの歴史、わかりやすいベトナム戦争から抜粋)

イエスズ会の宣教師がベトナムで布教を始めたのは、17世紀である。

グエン朝(当時のベトナムの王朝)は、最初はおだやかな態度だったが、途中から対決姿勢に転じた。

19世紀に入ると、フランスはベトナムの植民地化を目指して、干渉を始めた。

フランスは、ナポレオン3世の時代になると、領土拡大政策を採った。

ベトナムに使節を送って、ダナン港の割譲を要求した。

それが断られると、1858年8月31日にフランス軍艦14隻がダナン港に侵入し、ベトナムを占領しようとした。

1860年には、サイゴンがフランス軍の手に落ちた。

ベトナムとの戦争が長びくと、フランス軍は増援部隊を送って、首都フエに侵攻した。

そのため、グエン朝のトゥドゥック帝(嗣徳帝)は、1862年にフランスと条約を結んだ。

この条約は、「キリスト教の布教の承認」「南部3省の割譲」「賠償金400万ドル」をベトナムに強いるものだった。

フランスはこれに飽き足らず、メコン・デルタに侵入して、その併合を宣言した。

さらに、ベトナム北部への出兵を決定した。

ベトナムは清(当時の中国)に増援を求めて、清は3.5万人の大軍を送り込んだ。

フランスは清に宣戦布告し、フランス艦隊は清の艦隊を撃破した。

不利を知った清の宰相・李鴻章は、フランスと条約を結んで、清軍はベトナムから撤退した。

ベトナムは、1883年にフランスと「第1次のフエ条約」を結ばされて、『フランスの保護国』となった。

84年には『フランスとベトナムの保護条約』も結ばれた。

ベトナムは、フランスの植民地に転落した。

植民地化は、最初は南部だけだったが、徐々に中部と北部も保護領となっていった。

(2014.3.14.)


ベトナム史 フランスの植民地時代~日本の占領時代 目次に戻る