(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
1945年の1月頃から、ベトナム北部では大飢饉となり、200万人の餓死者が出た。
この大飢饉は、いくつかの理由が重なって起きた、人災である。
まず、44年秋から寒い日が続き、45年春のコメの収穫が減っていた。
さらに、インドシナ総督府は、コメを強制的に買い付けていた。
44年には12.5万トンのコメが買い付けられて、その6割は日本とフランスに回された。
日本軍の倉庫には、2年分の食料が確保されていた。
そして、日本軍は戦争のために、ジュード・綿・落花生などを強制的に栽培させていた。
水田をつぶしてジュードに切り換えさせられた地域もあった。
44年にはアメリカ軍の爆撃が激しくなり、各地の流通網が断たれた。
そのため18.6万トンも北部に運ばれていたコメは、44年には6800トンしか運ばれなかった。
(2014.3.23.)