(これならわかるベトナムの歴史、わかりやすいベトナム戦争、から抜粋)
日本軍が1940年9月にインドシナ北部に侵略すると、インドシナ共産党は『ベトナム独立同盟(ベトミン)』を41年に結成した。
ベトナム独立同盟は、「ベトミン(越南)」と呼ばれて、以後の独立運動の中核となった。
ベトミンは、インドシナ共産党が中心だったが、他の組織も参加する統一組織であった。
そして日本およびフランスの支配から独立する事を目的にした。
1945年4月になると、ベトナムの状勢は急変した。
ドイツの敗戦が近づくと、日本軍はフランス駐留軍の武装解除をし、インドシナの完全掌握を図ったのである。
これに対して、北部ベトナムではベトミンの抗日闘争が一気に激化した。
1945年半ばには、ホー・チ・ミンが指導するベトミンは、ベトナム北部で解放区を広げていた。
ホーは、「新しく誕生するベトナムは、人口の90%を占めるキン人だけの国ではなく、多くの民族から成る国だ」と宣言した。
日本は、45年8月10日に、国体護持(天皇制の維持)を条件にポツダム宣言を受け入れた。
これを知ったインドシナ共産党は、『全国抗戦委員会』を設立した。
ベトミンは、新しい政府を樹立して連合軍を迎え入れる方針を決定し、8月16日に『臨時政府の樹立』を決めた。
そして、ホー・チ・ミンを臨時政府の主席に選出した。
(2014.3.24.)