(『これならわかるベトナムの歴史』から抜粋)
フランスの植民地になった後に、ハムギ帝は激しく抵抗した。
フランス軍を攻撃して、自らゲリラ戦を続けた。
ハムギ帝は1885年に、全国に「勤皇の檄」を発し、それを受けてヴァンタン(村々の知識人)たちはこぞって蜂起した。
だが、ハムギ帝はフランス軍に捕まり、フランス領だったアルジェリアに連行された。
各地でフランスへの抵抗は続き、フランスは1890年代の半ばまでは、ハノイからランソンに至るインドシナ1号道路も確保できないほどだった。
(2014.3.14.)