1940年に日本軍が侵攻する
そして日本とフランスで共同統治を行う

(これならわかるベトナムの歴史、わかりやすいベトナム戦争、から抜粋)

1940年6月にヨーロッパでは、ドイツ軍の電撃的な攻撃により、フランスは降伏した。

この動きを見計らって、日本軍は、9月にはインドシナ北部に、翌年7月にはインドシナ南部に侵攻した。

日本軍がインドシナに侵攻したのは、中国との戦争を続けるための物資を確保するためだった。

フランスのインドシナ総督府は、日本軍と折り合いをつけて植民地支配を続けようとし、日本とフランスによる二重支配が出現した。

日本のこの侵攻に対し、アメリカとイギリスが反発し、日本資産の凍結や日本への輸出の停止を行った。

この措置に反発した日本は、1941年12月8日にハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ・イギリスに宣戦布告をした。

そして日本は、タイを除く東南アジア全域を占領した。

日本は占領にあたって、「大東亜の解放」を声高に唱え、一部の国には独立を与えた。

それは、日本の戦争に東南アジアの人々を協力させるためであった。

日本はなぜ、ベトナムにおけるフランスの植民地体制を維持したのか。

それは、当時のフランスのヴィシー政権はドイツに協力しており、ドイツと同盟を結んでいた日本がフランス領を奪うわけにはいかなかったからである。

さらに、フランスの支配体制を活用した方が有利だ、との計算もあった。

1943年には、日本の輸入の56%は、インドシナからのコメが占めるようになった。

それほど日本は、インドシナのコメに頼っていた。

日本がベトナムを侵略した目的には、以下の理由もあった。

1つは、「インドシナから中国へ送られる援助物資の輸送阻止」。

もう1つは、「アジアからのヨーロッパ勢力の駆逐」。

日本軍は、フランス以上の圧制を敷いた。

そのため、抗日運動が盛り上がった。

(2014.3.21.)


ベトナム史 フランスの植民地時代~日本の占領時代 目次に戻る