(『中東戦争全史』山崎雅弘著から抜粋)
クーデターでファルーク国王を追い出したガマール・ナセルは、ネギブ中将(ナギーブ将軍)をトップに担ぎ、改革を行っていった。
ナセルはまず、『土地改革法』を制定して、地主や貴族の搾取から農民を解放した。
続けて1953年6月には、王制を廃止して、『エジプト共和国』の建国を宣言した。
ネギブが臨時大統領となり、ナセルは副首相兼内相となった。
この建国は、アレキサンダー大王のエジプト征服以来ずっと失われていた「エジプト人自身による統治」が、2300年ぶりに実現したものであった。
旧支配層との関係を深めたネギブは、ナセルの改革に危機感を抱き、「ムスリム同胞団」を使って、ナセルを暗殺しようとした。
1954年10月26日に、演説するナセルに向けて、数発の銃弾が放たれた。
弾はナセルの身体をかすめて、頭上の電球を破裂させたが、彼は演説を続けた。
この事件によりネギブは失脚して、ナセルは「不死身の英雄」として国民の支持を集め、初代大統領に就任した。
(2014.2.24.)
(『インテリジェンス 闇の戦争』ゴードン・トーマス著から)
ナセルは民衆の人気を元に大統領となったが、その裏には連日のように大報道キャンペーンを行って後押しするカイロのある新聞の存在があった。
実は、その新聞社のオーナーは、CIAのエージェントだった。
(CIAはナセルを支援していた。
それについては、こちらを見て下さい。)
(2015.5.13.)