カージャール朝(1779~1925年)の特徴
外国への譲歩や領土の割譲をくり返す

(『物語イランの歴史』から抜粋)

カージャール朝(1779~1925年)に対するイラン人の歴史的評価は低い。

ヨーロッパ勢力によって、イランが弱体化した時代だからである。

この時代には、イギリスやロシアがイランに進出し、イランはカフカスの領土の大半をロシアに割譲し、イギリスの干渉によりアフガニスタンの併合を断念させられた。

カージャール朝は、経済でも上手くいかず、破綻した財政を立て直すために諸外国にイランの利権を与えた。

この時代は、聖職者の役割が増大した時期でもあった。

シーア派の聖職者たちの「イジュティハード」が、大幅に認められた。

カージャール朝は、トルクメンという少数の遊牧民族の王朝であり、抑圧的な支配を行った。

国民の生活は困難を極め、人々は救世主の到来を待望するようになった。

(カージャール朝は、トルクメン系のギジルバーシュ7部族の中の1部族である、カージャール族のアーガー・ムハンマドが創立者である)

聖職者の私兵集団である「ルーティー」は、法の執行を手助けした。

バーザール商人は、聖職者と手を結び、税の額を決めていた。

カージャール朝の歴史は、外国への譲歩や領土の割譲のくり返しであった。

ロシアとイギリスの進出に悩まされたが、その一方でロシアとイギリスの支援で王朝は維持できた。

(2014年1月17日に作成)


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