カージャール朝(1779~1925年)の特徴 外国への譲歩や領土の割譲をくり返す
カージャール族のアガー・モハンマドは、1779年に独立しカージャール朝を創始する
ファトフ・アリー国王の時代 ロシアとイギリスの介入に悩まされ、1813年には不平等条約を結ばされる
第3代国王モハンマドの時代(1834~48年) イギリスに利権を渡し、半ば植民地化する
19世紀の中頃に、新興宗教のバーブ教が流行り、弾圧をうけてバハーイー教に転化する
19世紀の後半になると、植民地化がさらに進み、イランは弱っていく
イギリス人のロイターは、破格の利権を得て、財政と金融を支配する
政府がタバコ利権をイギリス人に譲渡したのが告発され、アフガーニーらがタバコ・ボイコット運動を起こす
アフガーニーはパン・イスラーム主義の普及に努め、イラン国王の暗殺を首謀する
ロシアの弱体化と日本の躍進を見たイランは、立憲革命を起こす 初の憲法が制定される
第6代国王ムハンマド・アリは、武力で国会を解散させようとする 市民は立ち上がり、新国王を立てる
1908年にイランで油田が見つかる イギリスとロシアはイランを分割統治しようとし、英露協商を結ぶ