レザー国王は独裁体制を築き、様々な政策を行う
1933年にはイギリスに有利な石油協定を結ぶ

(『物語イランの歴史』から抜粋)

レザー国王は、初めて国家規模の徴兵制を施行し、議会はすべて国王派で固めた。

議会は形骸化し、レザー国王の独裁体制となった。

レザーは、イギリスとソ連によるイラン支配を排除しようとし、国立銀行や財政制度をイラン人の手に取り戻した。

また、女性の社会進出を奨励し、男女同権を提唱した。

彼は、イスラム教の聖職者の力を弱める事に努めて、イスラーム以前のイラン文化を讃えた。

この路線に従って、アーリア人種としてのイラン人を強調し、ゾロアスター教(イランにおけるイスラム教以前の宗教)に価値を認めた。

ペルシア語(イラン語)からアラビア語の語彙を排除することに努め、工学・科学・医学などでは西欧語を取り入れた。

大学の創設も行い、伝統的な教育機関だったマドラサ(イスラム教の大学)の権威を奪った。

宗教裁判所の権限も、縮小・廃止した。

レザーの行った近代化(世俗化・欧米化)は、聖職者たちの権利を脅かした。

これが、1979年のイラン革命の遠因ともなった。

レザーの時代に、イランは中央集権の国家に変貌していった。

レザーは、イギリスの石油利権については、1932年11月に「ダースィー利権」を廃止して、翌年に新たな石油協定を結んだ。

この新協定は、60年間に及ぶ長期のもので、「1バレルあたり4シリングが、イラン政府の取り分となる」と規定された。

これは、石油価格が上昇してもイランの収入は増えない仕組みであり、明らかに不平等だった。

(2014年1月19日に作成)


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