(物語イランの歴史、誰にでもわかる中東、から抜粋)
レザー国王(レザー・ハーン)は、イギリスとソ連の干渉に対抗するため、ドイツと同盟を結んだ。
そしてナチス・ドイツから軍事支援をうけたが、これが連合国に懸念を呼んだ。
第二次世界大戦が始まると、レザー国王はいち早く「中立宣言」をした。
しかし英ソ両国は、「ドイツ人を駆逐する」と言って、1941年8月25日にイランに攻め込んだ。
ソ連は北部から、イギリスは南部から、イランに侵攻したのである。
そしてレザー国王を廃位した。
レザーは南アフリカに移住し、44年7月に死去した。
イギリスとソ連は、「ドイツ人の軍事顧問のイランにおける活動は、イランのすぐ北にあるソ連領バクー油田にとって脅威である」と考えた。
バクー油田の保護と、イランの石油の奪取が、連合軍の目的だった。
イランを占領すると、イギリスは、アングロ・イラニアン石油会社(アングロ・ペルシアン石油の後身)の施設を増やした。
ソ連とアメリカの石油会社も、利権を要求した。
(2014年1月19日に作成)