(『物語イランの歴史』から抜粋)
石油の国有化は、イギリスとの緊張をもたらし、国王などの保守派の反発も招いた。
これらの勢力は、モサッデク政府の転覆を謀るようになった。
イギリスは、石油問題を国際司法裁判所に提訴し、国連の安保理にも提訴した。
さらにペルシア湾に海軍を派遣した。
こうしたイギリスの動きに、モハンマド国王も呼応した。
しかし、モサッデクは国民から圧倒的な人気を得ていた。
彼は対抗策として「憲法の規定では、軍の統帥権は首相にある。国王は統帥権を放棄しなさい。」と要求した。
国王が拒否したため、モサッデクは1952年7月17日に首相を辞任した。
モサッデクが辞任すると、彼の再任を求めるデモが各地で盛り上がった。
この国民の声により、モサッデクは7月22日に首相に再任された。
同日付けのエジプトの新聞は、「モサッデクの再任は、彼の行動が正義と清廉に基づいていて、国民が彼の愛国心を疑わなかったからだ」と書いた。
国民から支持されていたモサッデクだが、イギリスとの争いに有効な解決策を見い出せなかった。
1950年1月に彼は、「石油国有化によりイラン経済は損失を被らない」と表明していた。
しかし西側諸国がイランの石油をボイコットしたため、経済は悪化し貿易収支は大悪化してインフレが進行した。
モサッデク政府が52年10月にイギリスと断交すると、国民戦線の有力者たちはモサッデクと袂を分かってしまった。
(2014年2月12日に作成)