(物語イランの歴史、誰にでもわかる中東、から抜粋)
1953年1月に、アメリカでアイゼンハワー政権が誕生した。
この政権は、前任のトルーマン政権よりも「反共」の立場をとっており、イラン国内でのトゥーデ党(イラン共産党)の伸張と、それに寛容なモサッデク政権に危惧を抱いた。
トゥーデ党は、50年代に入ると勢力を回復させて、油田地帯では石油労働者のストを指導していた。
アメリカは(アメリカの石油会社は)、長年にわたってイランの石油に野心を持っていた。
しかし、いかなる影響力も持っていなかった。
石油経済学者のモスタファ・ファテは、こう説明する。
「アメリカとイギリスは、イランの石油利権で秘密の合意に達した。
アメリカがモサッデク政権の転覆を支援する代わりに、イギリスはアメリカの石油会社に利益の40%を渡すと決めた。」
アメリカは、新米的でアメリカの支援を求めるモハンマド国王に、どんどん傾斜していった。
イギリスやアメリカにとっては、モサッデクの「立憲君主制」よりも、国王の「独裁君主制」の方が、利益を獲得するのに都合が良かったのだ。
イギリス・アメリカ・イラン国王は、モサッデク政権の転覆で合意した。
そして、アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官、アレン・ダレスCIA長官、CIAのリチャード・ヘルムズらが、作戦を練った。
アレン・ダレスとヘルムズは、OSS時代に勤務を共にしていた。
イラン国内においては、駐イラン大使のロイ・ヘンダーソンが政権転覆作戦の中心となり、彼は「アジャックス(AJAX)」と呼称されるクーデター計画を提唱した。
53年6月のアメリカ国務省における会議で、「アジャックス計画」は最終決定した。
同年夏に、イラン国王は憲法違反を承知で、ザヘディー将軍を首相に指名した。
モサッデクはこれを拒否し、国王の廃位を迫った。
国王は、国外に逃れた。
1953年8月19日に、CIAはクーデター計画を実行した。
CIAの支援を受けたザヘディー将軍が中心となって、国王派の軍隊が出動し、CIAの資金で買収された貧民たちが加わった。
そして、モサッデク首相は逮捕された。
その後、国王はイランに呼び戻された。
このクーデターは、その後の25年間の国王独裁体制と、国際石油資本(石油メジャーたち)のイラン石油支配をもたらした。
1954年には、イラン政府とBPなどの石油メジャーとの間に、「コンソーシアム石油協定」が結ばれた。
この時代には、イランにはハリール・マレキーという先進的な思想家がいた。
彼は、中国の周恩来やエジプトのナセルが「第三世界」という言葉を使い始める前に、『第三勢力論』を打ち出した。
マレキーは、こう主張した。
「アメリカ(西側)とソ連(東側)の他に、第三の勢力がある。
西ヨーロッパ諸国などには、アメリカを模倣しない卓抜した勢力がある。
東側陣営にも、非コミンテルンの独立的な社会主義がある。
こうした勢力は、単純で皮相的な米ソに優る。」
(2014年2月12日に作成)