カージャール族のアガー・モハンマドは、1779年に独立しカージャール朝を創始する

(『物語イランの歴史』から抜粋)

1747年にナーディル・シャーが殺害されると、イランは戦乱の時代になった。

この混乱は、キャリーム・ザンドによって平定された。

ザンドは、1750~79年まで、南部の都市シーラーズを支配した。

この『ザンド朝』は、モンゴルやトルコ系民族の支配を経て、実に700年ぶりにイラン人が建てた王朝だった。

ザンド朝は宮廷に、トルコ系のカージャール族のアガー・モハンマドを、人質として置いていた。

79年にザンドが亡くなると、アガーは逃亡して生まれ故郷に戻り、カージャール族を率いて『カージャール朝』を創始した。

アガー・モハンマドは、1786年にテヘランを首都にした。

そしてザンド朝を継いでいたルトゥヒーを破り、ケルマーンの地で男子2万人の目を潰したという。

アガーは、95年に支配地をアゼルバイジャン・アルメニア・グルジアにまで拡大し、グルジア人の数千人を奴隷にした。

そして96年にテヘランで「王の中の王」と名乗り、カージャール朝を正式に成立させた。

ところが翌97年に、自らが死刑を宣告した召使いによって、暗殺された。

(2014年2月18日に作成)


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