第3代国王モハンマドの時代(1834~48年)
イギリスに利権を渡し、半ば植民地化する

(『物語イランの歴史』から抜粋)

第2代国王のファトフ・アリーは、1834年に他界したが、大ハーレムを所有していたので、100人もの子供がいた。

王位はモハンマドが継いだが、彼が王位についたのはイギリスの後押しがあったからである。

イギリスは、ロシアがイランで得ているのと同じ利権を、1836年と1841年に獲得した。

1841年の条約では、「最恵国待遇」をも獲得し、イランはイギリスの半植民地になった。

1840年に、シーア派の一派である「イスマーイール派」が反乱を起こした。

この反乱は鎮圧され、イスマーイール派は人々はインドに逃れた。

イスマーイール派の指導者は、代々「アガー・ハーン」を名乗るが、アガー・ハーンの家系はその後、インドで富豪になっていく。

(2014年1月17日に作成)


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