(『兵器ディーラー』ハーマン・モール著から抜粋)
1979年
1月16日
イランで、ホメイニーが中心となって、イラン革命が成立する。
11月 4日
イランのアメリカ大使館をホメイニーの信者が占拠し、大使館員を人質にする。
12月 7日
キルス・ハシェミは、「イランが人質を、兵器と交換する可能性がある」とアメリカ政府に持ちかける。
交換計画の具体的な進展はなかった。
1980年
4月25日
米軍は、ヘリコプターによる人質の救出作戦を実行する。
砂ぼこりでエンストし失敗する。
9月22日
イラク陸軍がイランに侵攻し、イラン・イラク戦争が始まる。
11月 4日
アメリカの大統領選で、ロナルド・レーガンがジミー・カーターを破る。
勝因の1つは、長びく人質問題だった。
11月10日
イラクがホラムシャールを占領して、イラン領4千平方マイルを支配する
1981年
1月21日
レーガン大統領の就任式当日に、人質が444日ぶりに解放される。
アメリカは、イランとの合意事項の一部として、対イランの通商制裁を大幅に緩和する。
兵器の禁輸は続行する。
12月14日
イスラエルが、シリアのゴラン高原を併合する。
アメリカは、2週間前にイスラエルと交わした「了解覚書」を破棄する。
1982年
5月21日
新聞コラムニストのエバンスとノバクは、「イスラエルがイランに兵器を引き渡している」と報道する。
そして、「アメリカ政府は事実を知りながら、予防措置をとっていない」と指摘する。
5月24日
イランがホラムシャールを奪還する。
7月13日
イラン軍が反攻に転じ、初めてイラク領内に侵攻する。
8月18日
イスラエル政府は、イランに飛行機の部品を売却した事実を認める。
11月
「イスラエルが、TOWミサイルをイランに売却している」と報道される。
1983年
4月
アメリカは、同盟国に対して、「イラン向けの兵器売却は止めてほしい」と求める。『信頼作戦』を開始する。
同月
イラクは、イランの都市に対するミサイル攻撃を開始する。
7月25日
タイム誌は、「数億ドルのアメリカ製装備が、イランに売却されている」と報じる。
キルス・ハシェミと弟のバランが、イラン側のディーラーとして名を挙げられる。
仲介業者は、ロンドンの「ズーマー・フライ社」。
10月23日
ベイルートのアメリカ海兵隊の施設が、爆破テロにあう。
兵士241人が死亡し、アメリカは「イランの関与の証拠がある」と言明する。
12月
ハーマン・モールは、軍装備の初契約をする。
サウジアラビア向けの軍用ブーツを受注。
1984年
1月
飛行機内で、モールは共同出資者になるジョン・ソンダースと隣り合わせる。
1月20日
アメリカのシュルツ国務長官は、「イランは国際テロのスポンサーである」と公式に言明する。
3月16日
CIAのベイルート支局長であるウィリアム・バックレーは、テロリストに誘拐される。
3月27日
イラクはペルシア湾のタンカーを攻撃し、イランとの戦争を拡大させる。
5月
モールとソンダースは、2つの会社を設立する。
ロンドンのビクトリア・ストリートにある、イラン政府の兵器購入事務所を、モールは初訪問する。
6月
モールは、アブダビ・ドバイ・オマーンへ商用で行く。
7月
モールの兵器初取引が成立。チリ向けの機関銃。
11月
モールはサム・エバンスを知る。
紹介者は、レ・アンバサドゥールのチェアマンであるロバート・ミルズ。
11月19日
イラン側の仲介者マヌチェル・ゴルバニファーと、元CIA職員のセオドア・シャックレーが、ハンブルクで会談する。
アメリカとイランの国交正常化、イランへの兵器供与、ベイルートのアメリカ人の人質解放などを話し合う。
12月 3日
ベイルートのアメリカン大学の司書であるピーター・キルバーンは、ベイルートでの連続誘拐事件の最初の被害者になる。
(2014年3月5日に作成)