イラクがイランに攻め込んだ理由①

(『フセインの挑戦』小山茂樹著から抜粋)

イラクのフセイン政権は、なぜイランに侵攻したのだろうか。

その真の狙いは、『イラン革命で出現した、ホメイニーを指導者とする新生イランを倒すこと。イラン革命の伝播を阻止すること』であった。

イラクとイランは、宗教的にも民族的にも相互に深く浸透し合っており、イラン革命に脅威を感じたとしても不思議ではなかった。

(イラクのサッダーム・フセイン政権は、イラン革命が伝播してきて自分の政権(バース党政権)が倒されるのを恐れたのである)

イランはイスラム教シーア派の国だが、そもそもシーア派の発祥の地はイラク南部である。

イラクの人口の6~7割は、実はシーア派教徒であると言われている。

これを考えれば、イラクに与えた衝撃の大きさが分かる。

(2014年8月18日に作成)


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