(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)
1945年に朝鮮半島を米ソが分割すると、ソ連は北朝鮮に「自分の言う事を聞く国家」を作ろうとした。
スターリンは1945年の8月末に、ソ連極東軍に対して「ソ連の言う事を聞く朝鮮人の指導者を、私に推薦しなさい」と命じた。
極東軍は、「極東軍に所属している、ソ連軍大尉の金日成が最適です」と報告した。
金日成は、9月にスターリンと面談した。
スターリンは、自分の言葉に頷くだけの金日成に満足し、北朝鮮の指導者にする事に決めた。
金日成は、1945年9月19日に、ソ連の軍用船で北朝鮮に上陸した。
そして10月14日に、平壌で演説した。
当時の北朝鮮には、『金日成将軍の伝説』という噂が広まっていた。
「金日成という将軍が、各地で日本軍と戦い、大きな戦果を挙げてきた」との噂である。
その金日成将軍がソ連軍と一緒に戻ってきた、というので、大勢の人が演説に集まった。
しかし演説しているのは、33歳のソ連軍の男である。
聞いていた人々は、「ニセモノだ」と思い、騒ぎ始めた。
会場を警備していたソ連軍は、威嚇射撃をして鎮めた。
1946年2月に、「北朝鮮の臨時の人民委員会」が発足した。
委員長には、金日成が就いた。
ソ連の支配に反対する人々もいたが、ソ連軍と北朝鮮の保安隊が弾圧した。
46年11月には、第1回の「人民委員会の選挙」が行われた。
各選挙区から1人しか立候補しておらず、自由な選挙とはかけ離れたものだった。
この選挙で選ばれた者が集まって、『北朝鮮の人民委員会』を結成した。
この委員会が、北朝鮮の政府になっていった。
委員長は、当然ながら金日成である。
(2014.1.4.)