(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)
朝鮮戦争が終結すると、金日成は権力基盤の強化に乗り出した。
当時の北朝鮮の指導層には、かつて日本軍と戦った「抗日ゲリラ」出身の人が沢山いた。
金日成は、かつての抗日ゲリラたちに『朝鮮戦争で勝てなかった責任』を押し付けて、「アメリカのスパイ」などとして裁判にかけ、次々と処刑した。
これは、かつてソ連でスターリンが行った権力基盤の強化手法と同じである。
さらに金日成は、ソ連共産党に近い人や、中国共産党に近い人も、次々と追放や死刑にしていった。
「反党分子」とか「反革命」と罵倒して、排除していった。
1967年5月の朝鮮労働党の総会では、金日成と金正日は、党内の実力者たちを「反党分子」として追求・糾弾し、彼らを失脚させた。
こうして、金日成を「首領さま」とあおぐ独裁体制が確立した。
北朝鮮の「現実を直視しない誇大妄想な路線」も、同時に確立した。
金日成体制は、一般民衆に対しても粛清を徹底させた。
国民に密告を奨励し、糾弾集会も開いた。
罪状が認められた者は、僻地に追放されたり、強制収容所に送られた。
収容所送りになった者は、6.5万人に及ぶ。
金日成体制は、「金日成への個人崇拝」も行った。
全国各地に、金日成の銅像や肖像画を置いた。
経歴も捏造して、「金日成の父や祖父も、革命家だった」とした。
これはやがて、「革命家系の後継者」として金正日(息子)への権力継承に道を開いた。
(2014.1.4.)